あの黒川ケイ
「あなた方は
淡々と試合の段取りを進める
「ちょ、ちょっと待ってくれ。俺たちはチェスを教えてもらってただけで、チェス部に入るつもりはないぞ」
「かまいません。これはチェス部が今後、校外の試合で活躍できる可能性があるかどうかの判断のために、今からチェスを習い始めた人がどのくらい強くなり得るのかを知るための勝負ですので。あなた方がチェス部に入らなくても、今後同じように安場さんからチェスを習う方がいて、その方が強くなる可能性があれば良いです」
ふぁさ、と長い黒髪を右手で払って、狭ノ山は続けた。
「ともかくその五番勝負で、あなた方の勝利数が、
「待ちたまえ、私たちはチェスを始めてたった二週間で勝負することになる。さすがにハンデが欲しい」
狭ノ山の説明を遮って、竹代が声を上げた。
「安場さんの他に一人ぐらいは勝たなければ実績にならないが、たった二週間で一人でも勝てるようになれば上出来だ。二勝四敗でもこちらの勝ち、くらいのハンデが妥当じゃないかね」
「そうですね――」
狭ノ山が首肯しかけた時、それまで黙りこくっていた副会長の
「会長、あの奥に座っているセミロングの女子、あの黒川ケイです」
それを聞くと狭ノ山は、すっと目を細めてにっこりと笑った。
「ああ、貴女が黒川ケイさんですか。同じ学年首位の常連同士、いつかお会いしたいと思っていました」
そう言って彼女は、軽く頭を下げてお辞儀をした。そう言えば、定期テストの度に張り出される学年上位者のリストは、毎回全教科一年生は黒川ケイ、二年生は狭ノ山茶子が一位である。
「黒川ケイさんがいらっしゃるなら、二週間と言わず今試合をしたとしても安場さんと黒川さんで二勝くらいは出来てしまいそうですね。やはり勝利数にハンデをつけるのは止めましょう。五番勝負のうち三回は、有利な先攻をあなた方にお譲りしますわ。ハンデはそれだけで十分でしょう」
竹代は悔しそうに「ちっ」と舌打ちした。ケイの実力を隠したまま有利な条件を引き出そうとしたらしいが、残念ながらケイの頭脳の明晰さは校内では割と有名なので、さすがに無理がある。
「で、どうです? この勝負、お受けしていただけますか」
狭ノ山は、かすりを真っ直ぐに見つめて問いかけた。
「もし仮に、わたしらが負けたとして、部室没収以外に何かペナルティはあるんか?」
「ありません。これは決定済みの部室接収に対する純然たる救済措置です。貴方がたが負ければ部室接収、勝てば接収を撤回。それ以上でも以下でもありません。もちろん勝負をお受けにならないのなら、当初の決定に従い粛々と部室を接収いたします」
それを聞いてかすりは、小首を傾げて考えるそぶりを見せた。
「つまり勝負に負けても勝負そのものを降りても結果は同じ、勝負に勝てば部室を明け渡さんでええっちゅうことやな。なら、降りる選択肢はないな。勝算は低いが負けてもともとや。受けて立つで」
狭ノ山は、口角を上げてニンマリと微笑んだ。
「決まりですね。では、再来週の土日、午前九時から試合開始といたしましょう。それではごきげんよう」
踵を返して去ろうとする狭ノ山たちを、ケイが「待って」と呼び止めた。
「将棋の電王戦なんかでは、ソフトウェアと対戦する棋士はあらかじめそのソフトを提供されて、事前に指し口を研究できる。同じようにそちらも、対戦に使うチェスソフトをこちらに渡して欲しい」
これに対して岩槻は、ゆっくりと首を横に振った。
「プロ棋士とAIの対戦で棋士があらかじめ相手AIを研究できるのは、棋士側の棋譜が簡単に手に入るため、棋士の指し口を研究することは可能であるからですわ。あなた方の棋譜は手に入らないので、わたくしがソフトを提供するのは逆にアンフェアですわ」
しかしケイも、簡単には引き下がらない。
「ならせめて、チェスソフトに改造する前の将棋ソフト、これをソースコードごと提供して欲しい。将棋のソフトでチェスの指し口はわからないから問題ないはず」
「ソースコードごとですか。それはさすがに……」
尻込みする岩槻に、「差し上げましょうよ」と狭ノ山が口を出した。
「あの黒川ケイがなにを企んでいらっしゃるか興味があります。ソースコードを開示しましょう」
岩槻が頷いて、後でマイコン部員にソースコードの入ったUSBメモリを届けさせると約束し、生徒会一行は去っていった。
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