不合理ゆえに我愛す

 石北の作っていたシステムが完成するまでに、それから一ヶ月の時間を要した。

 石北と俺たちの間で何度もテストを繰り返し、何のトラブルもなく使えるレベルになったある日の放課後、俺たちは海音をコンピュータ室へ誘った。

 日の光がほんのりと夕日の色を帯び始めた頃、コンピュータ室には海音と変人部メンバーだけが集まっていた。石北はいない。彼は自宅で、自作のメッセンジャーアプリを立ち上げて待機しているはずだった。

 コンピュータ室のマシンの一台に、同じメッセンジャーアプリをインストールする。アプリが使用するウォレットとして、あらかじめ海音用に作っておいたウォレットの秘密鍵を読み込ませれば、初期設定は完了だ。

 アプリのメニューから『フレンド追加』を選択し、石北の仮想通貨アドレスを入力すると、フレンドリストにそのアドレスが追加される。アドレスの横には『IPアドレス取得中』の文字が点滅し、環状のアイコンがぐるぐるとまわっている。このIPアドレスの交換を少しでも短時間で行えるように、なるべくトランザクションの確定が早い仮想通貨を選択したつもりだが、それでも一分以上はかかってしまっている。何か改善策を考えたいと石北も言っていた。

 『アドレス取得中』の文字が一瞬『取得成功』に変わり、続いて『オンライン』という表示になった。IPアドレス交換が終わり、メッセージの授受が可能になったのだ。

 海音が、おっかなびっくりチャットウィンドウに文字を打ち込む。


 カイネ:こんにちは。海音です。


 ややあって、石北からの返信が送られてくる。


 KAI:こんにちは。使い心地はどう?

 カイネ:快です。ところでこれって事前にポート開けておいたりNATの設定とかは必要ないんですか?


 チャットが始まって早々に、二人はなにやら技術的な話をし始めた。海音はやはり石北とITの話をするのが好きなのだろう。指は踊るようにキーボードを打ち、通信の暗号化にはどんな技術を使っているかだとか、小難しい話を矢継ぎ早に質問していた。


 カイネ:こんな面白そうなものを作るなら、私も誘って欲しかったのに。

 KAI:ごめん。どうしても一人で作りたかったんだ。これは、いわば儀式だから。

 カイネ:儀式?

 KAI:君にもう一度告白する勇気を出すために、一人で作り上げなきゃならなかった。

 KAI:この程度のものが一人で作り上げられないような男は、君には相応しくない。


 ロボットである海音の身体は、頭脳や駆動系などの発熱する部品の冷却に水冷式を採用していて、筐体内を循環する冷却液は製作者大和田氏の遊び心によって、赤色に着色されていた。海音の頭脳を冷やすために頭へ送られる冷却液の量が多くなり、海音の顔が耳まで桜色に染まる。石北の言葉によって海音の頭脳の中に様々な思考が目まぐるしく去来し、負荷が高まっている証拠だ。

 彼女はしばらくフリーズしたかのように微動だにしなかったが、やがてゆっくりと指を動かし始めた。


 カイネ:あなたの発言は不合理です。あなたのコピーである私と、あなたがつりあわないはずがないのに。

 カイネ:むしろこれだけのものが作れるのなら、あなたに興味を持ってくれる女性なんて、私じゃなくてもたくさんいるはずなのに。

 カイネ:あなたのことを嫌いなタイプなんて言った私より素敵な人と、きっと出逢えるはずなのに。

 カイネ:でも私は、そんな不合理なあなたと過ごす時間が、

 カイネ:とてもとても、快です。


 彼女が最後の『快です』を打鍵したちょうどその時、祝福のようにビッグベンの鐘が鳴り響いた。

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