快と不快と不合理と

 翌日の昼休み。クラスメイトらしき女子たちと、バスケットボールに興じる石北海音を見つけた。

 海音は眼鏡をかけたままボールを追って走り回っていたが、流石に国内屈指の板金工にして最強の眼鏡フェチの変人が作った眼鏡だけあって、落っこちたりずれたりせず、海音の体の一部かのようにぴったりと彼女の端正な顔面に収まっていた。


「海音っちはインドア派のイメージがあるけど、こうやって身体を動かすのも悪くないでしょ?」


 ひとしきり遊んだ後、一緒に遊んでいた女子の一人が、海音に声をかけた。


「え? あ、はい。快です」


 海音は微笑んでそう答える。実際、楽しそうに遊んではいたのだが、俺の目からは、石北と一緒に意識の高いトークをしていた頃に比べると少し、元気がないように見える。彼女の答えを聞いて、「きゃはは、出た。『快です』出た」と手を叩いて喜んでいる周囲の女子との間に、テンションの差を感じる。


「じゃあさ。海音っちもウチらと一緒にバスケ部やろうよ。ここのバスケ部は全国大会目指すようなガチ勢じゃないから楽しいよ」


 その申し出を、海音は丁重に断った。


「それも楽しそうですが、私はやはりITの分野で同じ志を持つ人を見つけて、起業を目指す事のほうに興味がありますので」


 人差し指でくいっ、と眼鏡の位置を正しながら彼女が言うと、女子たちは少し残念そうな表情になったものの、無理強いしようとはしなかった。


「そっかー。でも、たまには今日みたいに昼休みに軽くバスケしよーね」


「快です。是非ともご一緒しましょう」


 その後、海音が他の女子たちと別れて一人になった時に、俺と同じように彼女たちの様子を見ていたらしい竹代が、彼女に近づいていって声をかけた。


「やあ海音ちゃん。クラスメイトとは仲良くやっているようだね」


「快です。皆さんとても親切にして下さっています」


 笑顔でそう答える海音。だがやはり、その笑顔には石北と話している時ほどの輝きはない、と思うのは俺の気のせいだろうか。


「さっき聞いていたら一緒に起業する仲間を探しているようだけど、石北海くんではダメなのかい? 数日前まで仲良く起業の話をしていただろう」


 海音は泣き笑いのような表情を作った。


「彼とは、お互いに求めているものが違うのだと思います。先日、彼に告白されたのですが、それを断って以来、どうも避けられているようなのです。私としては、彼と一緒に起業の話をするのは楽しいのですが、恋人として彼と交際するのはどうしても無理なのです」


 海音は、少しさびしそうだった。恋人としては考えられなくても、趣味趣向が一致する仲間としては石北のことを好いていたのだろう。


「お互いが求めているものが違うのですから、そこを我慢して無理に一緒にいようとするのは不合理です。クラスメイトのいろいろな方と触れ合ってみて、共に起業を目指せる他の人を探す方が建設的です」


 そう言って海音は微笑んだ。しかし竹代は「ぷふい」と不満そうな声を漏らした。


「しかし、海くんはそうは思っていないようだよ?」


 竹代は、石北が今、webサービスの開発に取り組んでいること、それが完成して自分に自信を取り戻せたら、もう一度海音に告白するつもりであることを伝えた。


「そんな……。私、かなり強い言葉でお断りしてしまったんですよ。一番おつきあいしたくないタイプだとまで言いました。でもそれは私の好みに合わないだけで、彼のことを気に入ってくれる女性も絶対にいるのに……。そういう他の女性を探すほうが合理的なのに……。

 そうまでして私にこだわるのは――、不合理です」


 海音は、明らかに戸惑っていた。しかしそれは、嫌いな異性から好意を向けられているという、嫌悪や恐怖を伴う戸惑いではなくて、むしろ分を超えた好意を持たれていることに対して、どう反応してよいかわからないという戸惑いであった。石北の自己評価が低かった頃の思考をコピーして作られた彼女も、やはり自己評価が低いのだろう。自分はそこまで好かれるような価値はないのに、と考えて、混乱しているようだった。


「あっは。まあ、もう少しだけ待ってくれたまえ。もうちょっとしたら、彼から直々に話をするから」


 竹代はそれだけ言うと、海音の元から立ち去った。

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