ビッグベンの鐘

 その日の放課後。

 我らデタラメ高校変人部は、図書室に集まっていた。


「てゆーか、変人部って名前辞めないか」


「名前なぞはどうでもいいのだよ。片平が勝手に部の設立申請書を提出してしまったはずだから変えられないしね。それよりも、我々が助けるべき変人を誰にするかだが」


 部活名に対する俺の不満を華麗にスルーする竹代。


「竹代ちゃんは変人に詳しいから、きっと助けなきゃいけない人に心当たりがあるよね?」


 徹子が訊くと、竹代は少し思案した。


「心当たりがありすぎるというか、変人の知り合いが多すぎて……。まあ、さしあたっては居場所がわかりやすいビッグベン氏あたりにするか」


「ビッグベンって、正門くぐってすぐのところにある時計塔のことじゃないのか? 建物に見えて実はでっかい人間だったりするのか?」


 俺たちデタラメ高校の生徒達の間でビッグベンと言えば、あの定刻ごとに煌めくようなカリヨンの調べを奏でる時計塔のことだ。そのビッグベンはもちろん俺らが助けるべき変人ではないし、そもそも人ではない。はずだ。


「あの時計塔の正式名称は『ビッグベンの鐘』だ。時計技師のビッグベン氏が造ったからそう呼ばれている。ビッグベン氏の本名は大和田おおわだ勉三べんぞうというんだ。大和田の大と、勉三の勉を合わせてビッグベンというあだ名になった」


「そうなのか。で、その和田勉とやらの居場所がわかりやすいというのは?」


「和田勉言うな。ビッグベン氏は時計塔の竣工以来、ずっと時計塔の中に住んでいるんだ。振り子が周期的な運動を続けるだだっ広い部屋、上を見れば大時計のムーヴメントやそこに連動するカリヨンの機構が一望できる天井の高い大部屋に、一人で日がな一日あぐらをかいて座っているのさ」


 なるほど、かならず時計塔の中にいるのなら、たしかに居場所を探す手間はない。しかし、それにしても――


「黒川ケイと保護者の片平だけじゃなく、時計技師まで住んでるのか。この学校はちょっと人が住みすぎじゃないのか」


 変人マンションか。と、誰にともなくツッコミを入れると、徹子がそれを受けて言い添えた。


「ちなみに美術準備室には、私の友達の学生運動家が住んでるよ」


 それは公安に通報しとけよ。立てこもってるのと住んでるのは違うぞ。

 ともかくそんなわけで、俺達は大和田勉三氏に会いに行く事になったのである。


※ ※ ※


 時計塔の中は、入るとすぐ螺旋階段となっていた。煉瓦造りの螺旋階段をぐるぐると登った先、質素な木のドアを押し開けると、建物の中とは思えないほどの巨大な空間の中を、振り子がぶんぶんと音を立てて、幾何学的な模様を描いて揺れていた。

 そして揺れる振り子のその先に、一人の男が座っていた。

 地べたにあぐらをかいているのでわかりにくいが、比較的背の高い男性だ。年齢は壮年、いやもう老年と言って差し支えないように見える。額に深く刻まれた皺と、白内障の手術後の眩しさを避けるためとおぼしき色の濃い大きなサングラスがその年齢を感じさせる。日本人らしからぬほどに縮れた髪の毛もかなり薄くなって、頭の形にそって撫で付けられずに頭皮に垂直に屹立してたてがみの様になっていた。

 振り子は単なる左右の揺れではなく、正八角形の頂点を結ぶ複雑な軌道をしていたから、俺達は振り子をかいくぐって大和田氏のそばへ行くために、注意深く振り子の軌道を読まねばならなかった。

 振り子を避けてようやく大和田氏の前へ進み出た時、時計塔のカリヨンが鳴り響いた。

 カリヨンの奏でるチャイムに最も多く使われるファの音は、ちょうど時計塔全体の固有振動数と一致する様に設計されている。ファの音がなるたびに建物全体が震え、内部にいる俺たちも否応なく揺すぶられる。音とはつまり空気その他の振動であり、音楽によって振動させられている俺達もまた音なのだ。自分が音楽の中に溶解してしまう感覚を、俺達は味わった。

 チャイムが鳴り終わったあと、未だその余韻に揺すぶられているような感覚を感じながら、俺は大和田氏に言った。


「こんにちは。あなたを助けに参りました。変人部です」

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