序章(2) - 道
そうはいっても、いざ集中しようとしてすぐにできるようなものでもない。更にはポニーテールガールが大きな声で喋り始めた。どうやら電話が掛かってきたらしい。賢の他に客がいないとはいえ、あまりに傍若無人な態度にイライラさえしてきた。
仕方なく賢は店内の正反対の席まで荷物を運び、どうにか一人の空間を作り出した。両手をキーボードに載せる。
時間は一秒一秒、確実に進んでいく。しかし、賢の思考は全く前進しなかった。ただ、先ほどバッグから取り出した中から抜き取った紙切れを眺めるともなしに眺めている。
それは、今回の企画の詳細を橋本部長から聞き取ったメモであった。乱雑に書かれた文字の隙間に、ぐるぐると丸囲みされた単語がある。
『AI利用』
課題は人工知能。人工知能開発で先駆けとなった賢の会社は、現在自動車メーカーをはじめとした各方面からの下請けのような微妙な位置に立っている。それを打開しようとするのが今回の新製品開発の主眼なのだった。得意分野の人工知能を生かしつつ、それを利用する機械そのものも自社で生産しようという計画である。
しかし、案ずるは生むより易しである。具体的に何を作るかと言われれば彼のように悩むのも当然だった。その頃、他の二人はどうしていたかといえば……。
◇
一条啓介は、久しぶりに会った大学時代の友人と安酒を飲んでいた。関西弁の飛び交うその空間は、東京に来て数日しか経っていない彼にとってはまさに故郷そのものだった。
「――で、その竹下っていう先輩はどんな人なんや」
「堅苦しい男やで。社長と話すときはまだしも、社長室を出た後に俺たちに話すときも『どのように進めていきましょうか』なんて言うてんねん」
「そんなのがリーダーか。啓介もかわいそうやなー」
「明日会ったら、俺の最強のアイディアをバーンとぶつけてやんねん。そしたら俺がリーダーになってまうかもしれんな」
ただでさえ騒がしかった居酒屋に、啓介たちの一際大きな笑い声が響き渡る。彼らの夜はまだまだ終わらないようだった。
他方の早瀬さとみも、安心した表情でベッドに横たわりながら、友人と電話を楽しんでいた。
「そうなの。明日企画案の発表なの。……うん、他の人たちが男の人だから、いいって言ってくれるかどうか分からないけどね。……ありがとう。ところで佳織はもうお家着いたの?……えっ、そうなの? 早く帰った方がいいよ」
しばらくして電話を切ると、さとみはスマートフォンを充電器に差し込んだ。赤いLEDが点灯する。
「眩しいな」
スマートフォンを裏返してから、短い髪を手櫛で撫でる。ふんわりとシャンプーの香りが漂った。掛け時計は二十三時を告げていた。
枕元には『人工知能利用案』と大きな楷書体で書かれたA4の束が3部重なっている。それらの角をしっかりと整えてから、部屋の灯りを消した。白く細い脚を布団の間に滑らせ、すぐに眠りについたようだった。
◇
結局、何も思いつかないまま閉店時間を迎えてしまった。賢は呆然とした顔で寒い街へと降りた。
「仕方ない。帰るか」
白い夜の中にふらふらと溶け込みながら、星のない空を見上げた。
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