第18話
会社に戻ったのは、午後五時過ぎだった。
死臭を纏った三人を出迎えたのは、「おかえりなさ~い」という御厨の緊張感のない声と「おかえり!」という風呂上がりの夕凪だった。
蛍光灯に爛々と照らされた部屋は、清潔で涼しかった。
まだ少ししか経っていないこの事務所に、出雲は途方もない安心感を覚える。
「本来はここから報告書と請求書を作ってもらうんだが……今日はもう使い物にならないな。少し早いが、もう上がれ」
現場が終わってから返事以外一言も発しない出雲に、鹿骨はそう言い放った。
「杵築さん、シャワー浴びておいで。臭いとか気になるでしょう。タオルとかシャンプーは置いてあるけど、気になるようなら自分専用のもの用意したらいいよ。領収書渡してくれたら経費で落とすからね」
「はい……」
階段を下りて休憩室の扉を開くと、薄暗かった。右手でスイッチを探し、電気をつける。
中央に大人が余裕で寝れるほどの大きなソファーやテレビが置かれている。その休憩室の一角に、各自の荷物を入れるロッカーがある。
今まで女性の社員を雇った事のない大阪支社では、女性専用の更衣室もシャワールームも無い。出雲の着替える場所は大きなパーテーションで区切っただけの簡易なものだったが、それでも初めての女子社員に対する気遣いが見えた。
シルバーの縦長のロッカーからワンピースを取出し、背中側にあるシャワールームへ向かう。
中に入ると、二畳ほどの脱衣所がある。小ぶりな洗面所には、誰のものかわからない歯磨きセットと、髭剃りが置いてある。
化粧台の鏡に映った自分の顔が、驚くほど白く生気がない。
頭がボーっとして何も考えられない。何も聞こえないし、感じない。
心と体が、完全に切り離されたようだ。指先が死人の様に冷たい。
着ていたジャージに鼻を寄せると、ツンとした刺激臭がする。
「くさい……」
先ほどまで自分がいた場所は、夢じゃなかった。
出雲はジャージを床に投げ捨てた。勢いよくシャワーのコックを捻り、化粧が落ちるのも気にせずに顔を乱暴に洗った。
一心不乱に体中を磨いた。涙が止まらなかった。
こうして出雲の長い一日が終わった。
「おい、お嬢死にそうな顔してたけど大丈夫か? そんなに現場ヤバかったんか?」
先に戻っていた夕凪が、自殺霊よりも顔色の悪い出雲を見て鹿骨に問いかける。
「一件目は芸術家気取りの迷惑な現場。二件目は普通の死亡部屋だ。虫も死んでたしこの時期にしたら綺麗なほうだろう」
自分もシャワーを浴びるべく、用意をしながら平然と答える。
「やはり、もっと優しい現場からしたほうが良かったんじゃないでしょうか」
心配そうに見送る帝塚山に「お前は甘い」と言い切った。
「気持ちの良い仕事なんてあるわけがない。それに先に現実知ってた方が良いだろ。育てましたショックです辞めますじゃ、時間の無駄だ」
あくまで大阪支社を預かる部長として、新人には厳しくすると決めているらしい。使える人間なら儲けもの。使えなかったら今まで通り自分が仕事をこなせば良いだけだ。
「あの子、明日来るかな」
御厨の声に背を向けて、鹿骨は二階のシャワールームへ向かった。
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