第17話
そこからの記憶はあまり無い。
次の現場は当日対応になった。
「へぇ、新しい子? バイトじゃなくて? 女の子雇うのなんて珍しいね、つらい仕事なのに」
新人だと紹介した帝塚山に驚いたように管理会社の社員が目を見開く。その口元には三重に重ねたマスクがされていた。随分と慣れている様子だ。
先ほどの出雲の様に吐き続ける大屋さんを置いて部屋に入った。
こちらの方がに臭いがきつかった。それも先ほどの非ではない。
すっぱくて、重い、嗅いだ事のない臭いに再び胃液が込み上げてくる。
部屋の隅の畳には細長い形のシミが出来ている。シミの形を良く見れば片方は丸く、片方は二股に分かれている。倒れたまま死んでいたのだろう。体液が染み込んで腐り、少し凹んでいた。
虫はいなかった。生きている虫は、だ。
足もとには無数のハエの死骸が転がっていた。遺体が見つかった時点で白骨化がすすんいる現場には、しばしこういう事が起こる。
指示されるままに付けたマスクは全く役に立っていないが、しばらくすると嗅覚はマヒしてあまり匂いを感じなくなった。しかしこの場合は鼻ではなく頭がマヒしているだけなのか。出雲自身もわからなかった。
ただ、「ハズレですね」と上司に言った帝塚山の声が耳に残る。
狭い部屋の中には、都島区の血まみれの現場と違って、生活感があった。
テレビ、冷蔵庫、買ったばかりと思われる真新しげなパソコン。
きちんとした生活をしていたのだろう。流し台には一人暮らしの慎ましやかな食器が水切りラックに置かれたままだった。
出雲は意味も解らず言われるままに手を動かす。足もとに落ちていた黒い塊を持ち上げた。ゴミ袋に入れようとすると、斜めにした拍子に落ちた虫の固まりから、色が顔を出す。
死骸を手で払ってみると、それはガラスで出来た写真立てだった。中央にハートのクッションに寝かされた、生まれたばかりの赤ん坊が写っている。右下にはその赤ん坊の名前が書かれていた。先ほどプラスチックの衣装ケースから発見された通帳と苗字が一緒だった。
そこには「生」の匂いが生々しく残っており、出雲の胸を締め付けた。
「ガラスは不燃物だから分別しろよ」
緑色の手袋をはめた鹿骨が、写真縦を不燃物と書かれたダンボールに放り投げる。パリンとガラスの割れる音が出雲の心に響いた。
いつの間にかカーテンが取り外された窓からは、夕日が差していた。入口以外締め切られた部屋の中は蒸して、額に汗が流れる。
電気も水も通っていない部屋で、半透明の袋の中に入っていく遺品たち。
遺族の希望があれば、貴重品や供養する品、通帳や形見分けの品などを別に取り置き渡すのだが、今回の依頼人は大家だ。
「どうしましょうか」
「この人の別れた奥さんと連絡がついたんやけど、それが何もいらんって言うのよ……」
差し入れと言ってお茶をくれた六十代の女性は、悲しそうに言った。
リサイクル出来るものはトートが引き取り、仕分けを行いリサイクル・リユース品として国内外で販売する。
それ以外の不用品はこのまま一般廃棄物許可業者が回収しに来て、ゴミとして捨てられていく。
てきぱきとゴミ袋を使い分ける鹿骨と帝塚山の二人は、顔色を変えることもなく「仕事」をしていた。
荷物を運び出し、畳もその下の板も剥され拭き掃除をされた部屋は、がらんとしていた。
「最後にオゾン焚いて終わりだ」
バリバリと音を立てながらパッカー車に巻き込まれていく遺品たちを見送る。
最後に手元に残った、会社名の入った一番小さなサイズのダンボールの半分も満たない遺品たちを大家さんに預けて、業務は終了となった。
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