第15話

 気分が乗らない。

ふてくされたまま出雲はまっすぐ窓の外を眺める。

 夕凪とは車庫で別れた。彼は時間の融通が利いたアルバイト達を途中で拾い港区の現場に向かった。

 鹿骨が運転する二トンのトラックは、後ろにシルバーの箱がついている。車高が高いそれは三人乗りで、日本人の平均身長を越える二人に挟まれた真ん中の席はどうにも居心地が悪い。

 助手席の帝塚山がセットしたカーナビが、車内に間抜けな音を立てる。市内の地図は運転手の鹿骨の頭の中に入っているが、渋滞状況を見るためだ。

 ナビは最短ルートを導き出す。赤く渋滞の表記も出ていないので、トラックは素直に道路を走った。

 目的地の都島区内代町までは、会社から十分もかからない。国道一号線を東に進むと、桜の通り抜けで有名な造幣局が見えてくる。その先にある大川に架けられた桜宮橋――通称銀橋を渡るともう都島区に入る。

 現場の前は道が狭かったが、運よくマンションの隣がコインパーキングだった。危なげなく駐車を決め、車から降りた所で中年の男性が走り寄ってきた。

「お久しぶりです、急に呼び出してすいません」

 腰の低い人だった。勢いよく頭を下げた拍子に社員証が胸ポケットから飛び出す。

 弱ったような表情の顔には疲労が滲んでいる。ため息を吐きながら「困ったもんですよ」と首を抑えた。

「物量は多めです。新しいものばっかりですけど、何にも使えんでしょうね……なんしか血がひどくて」

「産廃なので金額高くなりますよ」

 産廃というのは産業廃棄物の略である。ゴミは大まかに分類すると、家庭等から排出された一般廃棄物と、事業活動で排出される産業廃棄物の二つに分けられる。

 金額が高くなるのは一般廃棄物は市町村に処理するのに対し、産業廃棄物は市町村等の一般廃棄物用の処理施設での処理・処分をすることはできないからだ。

 その為、産業廃棄物を処理・処分できる許可を受けた産業廃棄物処理事業者へ処理・処分委託することとなっている。

 別途で収集運搬費や処分費がかかる上に別途で収取運搬費も掛かる為、金額が跳ね上がってしまう。

 普通の家具なら一廃で処分できるが、しかし今回の場合は血液が付着している。感染性産業廃棄物に分類されるので、扱う業者はさらに少なくなるだろう。

「ええ、分かってます。死んだ入居者の親は小金持ちみたいなんで、大丈夫やと思います。まぁ、気が動転してはりますけどね……」

「ご本人様は?」

鹿骨は建物周りを見回すが、依頼人の母親の姿は見えない。

「病院です。暫くは立ち直れんでしょうね」

 とにかくどうぞ。案内されたマンションは三階建てで、入口も狭いが小さいながらも手入れがされているのがわかる。

エレベーターが無いので養生の必要性を話しながら階段を登る。ワンフロアに二つの部屋があり、現場は二階の左側だと一目でわかる。回すタイプのドアノブが壊されて扉に穴が開いていた。

 穴に指を引っかけてドアを開くと、中は一見普通の部屋だった。狭い部屋には男物の靴が三足散らかっている。

 気になったのは匂い、だ。

 なんとも言えない錆びくさい臭いがする。どこかで嗅いだ事のある臭いに出雲の首筋がぞわりと粟立つ。

土足のままキッチンを抜けると、小さな部屋全体が血の海に染まっていた。 

 天井、窓、壁紙、床。ありとあらゆるところに血が飛んでいる。

 それだけではない、アート、と呼ぶには理解が及ばない絵が、部屋の三方に書きなぐられている。

 明らかに精神的におかしい絵だ。虐殺された動物、磔にされたキリスト、頭が竜で足が百足の様に生えた動物。壁をキャンパスに見立て書きなぐっていた。残った白い壁には「死シテ完成スル」と血で書かれていた。

 その下のフローリングには真っ黒なシミがついている。そこで死んだのだろう。乾いて酸化した血だまりだった。

「うっ、」

 異様な光景に胃酸がこみあげてくる。

 帝塚山が差し出した青いバケツに出雲は胃液をぶちまけていた。顔を背けて咽ていると「おい、外でやれ」と鹿骨が目線をよこした。

 力の入らない足で部屋を飛び出した出雲は、胃の中のものをすべて吐き出した。鼻と目から液体が流れて喉に痛みが走る。

 反対に部屋の中では、鹿骨が冷静に「趣味悪いな」と呟く。

「これはダメですね。遺品整理の前に特殊清掃入れないと。この状態では私どもの業務の範疇ではないですね」

 鹿骨は手袋をした手で壁の汚れを削る。染み込んで黒く変色した血は、素人の手では扱えない。

「首つりとかだったら良かったんですけど、遺品の整理は清掃が終わってからですね」

「そんな、じゃぁ今日中には終わらんのですか」

「そうですね……まぁ弊社でも作業終了時に簡単な清掃は行わせていただいております。ですが、今回の場合は結局血の汚れを落とさないといけませんよね? そうなれば感染症の可能性も考えて、やはり特殊清掃に頼んでいただいた方が無難かと思いますよ」

「やっぱりそうですか……」

 がっくりと肩を落とした佐竹に「私どもの知り合いの特殊清掃業者にご連絡いたしましょうか? 本日中に出来るかはわかりませんが」と帝塚山が提案している。

 一人外廊下に出た鹿骨は、階段の端にうずくまる出雲を無理やり立たせ「車に戻ってろ」と背中を強い力で押した。

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