第9話
大阪府は33の市に分けられている。中でも府民は愛する大阪を話す時「キタ」と「ミナミ」に分ける。
「キタ」はその名の通り大阪市北区、主に梅田周辺を指す。
しかし「ミナミ」は大阪市南区の事を呼ぶ訳ではない。その地名は、今は存在しないのだ。1989年に大阪市東区と南区が合併し、中央区と名を改めた。今もその辺りが繁栄していることから、その名残で皆「ミナミ」と呼ぶ。主要駅は難波駅。その名残で有名所は道頓堀とグリコの看板だろう。
有限会社トートは「キタ」にある。梅田駅から乗り換えて1駅。近くには日本一長い商店街があり、買い物やランチには困らない。
鉄筋コンクリート製のしっかりとした造りの建物4は階建で、1階は車庫、2階が仮眠室兼休憩室、3階が丸ごと倉庫で、4階が事務所と応接室になっている。倉庫と事務所を兼ねた建物は大きく、ひんやりと冷たい。
出雲の初出勤から5日経った今朝、初めて事務所に大阪支店の人間が帰ってきた。 出雲が立ち上がるより早く鹿骨盤(ししぼねめぐる)は、「おい、どういうことだ」と帝塚山を睨み付けた。朝の挨拶も出来ぬ間のことだった。
事務所の中で見る大阪支社で一番偉い上司は、なんだか疲れているように見える。
鹿骨は殺気に近い雰囲気を醸し出しながら、少し離れたお誕生日席のチェアを引いた。足元に真っ黒の鞄を置き、パソコンの電源を入れる。凶悪な表情とは反対に、1つ1つの動作は丁寧で静かだ。
モーター音を聞きながら、帝塚山は困ったように笑っていた。驚きに固まっている出雲とは反対に、まるでこの状態が初めからわかっていたように冷静である。
「どこまで話した」
帝塚山に問いかけるものの、視線をくれてやることもせずにマウスを操作する。テンポよくマウスを動かし、不在時に溜まっていたメールを処理する。
「大切な話は上長からの方が良いかと」
「この3日何をやらしていた」
「幸いなことに現場は無かったので、電話対応とマニュアルを読んでもらっていました」
「そんなもん大学で習っているだろう」
「大学と、会社でやるのには大きな違いがあると思いますよ」
会話をしながらも、鹿骨の視線はパソコンモニターに注がれている。帝塚山は慣れた手つきで使い捨てのカップをスリーブにセットし、コーヒーメーカーを起動させた。決して静かではない抽出音を聞きながら、出雲はハッ、と我に返る。
「すいません、私がします」
「うん、じゃあ持って行ってくれる?」
花柄のおぼんを慎重に受け取って、不慣れな手つきで鹿骨のデスクに置く。
「あの、改めまして杵築出雲です。どうぞよろしくお願いいたします」
「有限会社トート大阪支社部長 鹿骨盤だ。今日からお前の教育担当になる」
え、と出雲は体を固まらせる。
「帝塚山さんは?」
「こんな浮ついた感じにするなんて教育係失格だ。ここでは俺がルールだ」
このご時世ワンマン社長でも言わない台詞を平然と言われた。出雲は自分が馬鹿にされている事にも気付かずぽかんと間抜けな顔をしている。
「おはよーさん!」
その時、バン! と大きな音を立てて事務所のドアが開いた。大男が何か黒い荷物の様なものを小脇に抱えている。
「静かに開けろといつも言っているだろう!」
「スンマセーン!」
悪びれた様子もなく、夕凪虎児(ゆうなぎとらじ)は小脇に抱えた荷物を隣の椅子に投げ、自身もどかり、と筋トレ用品が置かれたデスクに着いた。
乱暴に置かれた荷物は、もぞもぞと動いている。地中を這う芋虫の様な動きはやがて収まりの良い場所を見つけたのか、ぴたりと止まった。
「御厨、起きろ!」
黒いモコモコしたパーカーを着た御厨翔(みくりやしょう)は、エメラルドグリーンの目を細めたまま手当たり次第机を叩く。
やがて手探りで発見した長距離移動用の枕を首にはめ、再び目を閉じる。
「……」
人数が増え急に圧迫感を増した事務所で、出雲は頭の整理が追いついていなかった。
混乱極める出雲と反対に、慣れたように帝塚山が手を叩く。
「じゃぁ、全員揃った所で自己紹介から始めようか」
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