第3話
阪急梅田駅から特急で約25分。
卒業した三流大学の最寄駅から更に歩いて15分。
街灯の数が極端に減り、若い女子が一人歩くには物騒な道も、夕日が照らす今はのどかな道だ。
小さな公園から、子供達のはしゃぐ声が聞こえる。
どこからか、カレーと石鹸の匂いが漂ってくる。
学生の町でありながら、市内へのアクセスが優れているベッドタウンに住み始めたのはもう4年以上も前の事なのかと、過ぎた時間を思い出す。
通いなれた帰り道をゆっくりと歩くと、4階建てのマンションが見えてくる。
出雲が生まれた年に建った建物は、外壁のタイルに細かいクラックが見受けられるが、阪神淡路大震災にも耐えた鉄筋コンクリートの強い建物だ。
エントランスに続くドアを開けると、郵便局の制服に身を包んだ男性が、足もとに大きな発砲スチロールを置いて狭い道を占領している。
「すいません」と小さく断りを入れてポストのダイヤルを回そうとすると、男性が「あ」と声を上げる。
「三〇二号室の杵築さんですか?」
「あ、はい」
「あーよかった、杵築さつき様からお荷物届いてます」
男性は書きかけの赤い不在表をポケットに押し込み、代わりに「フルネームでサインをお願いします」とボールペンを差し出した。
男性が持ち上げる荷物に貼られた用紙にサインをし荷物を受け取るが、予想外の重さに肩がパキリと鳴る。
「持って上がりますよ!」という男性の優しさに甘え、もう一度発砲スチロールを渡し、急いでオートロックを解除する。
「すいません、ありがとうございます」
「いえいえ……でもめちゃくちゃ重たいですね、これ」
発砲スチロールの上部にはチルド便となまものシールが貼られていおり、品物の所には「食料品」と記入されている。
「実家からの救援物資だと思います」
「ありがたいことやねー」
悪評高い会社のエレベーターを降り、玄関まで荷物を運んでくれた男性は、「まいど!」と最後に笑顔を見せた。
「せーの! ……おっっもい!無理!」
玄関から冷蔵庫前まで運ぼうとして重さに断念した。白い箱に貼られたガムテープを乱暴に剥す。
一番初めに目に入ったのは白い封筒だ。女らしい丁寧な字で『出雲へ』と書かれている。
その下には自家製の梅干し、実家で取れた野菜、パックの野菜ジュース、あご野焼き、重さの原因と思われるお米、レトルトのカレー、クール便なのに常備薬や腹巻まで入ってあった。
こうして時々届く実家からの荷物は、余裕があるとはとうてい言えない独り暮らしではありがたいと思う。と、同時に少し疎ましくも感じてしまう自分は、一人っ子なのに間違いなく親不孝者だと出雲は思った。
「子供じゃないんだから、腹巻とかいらないし」
田舎のスーパーで売っている何のキャラクター化わからないデザインに溜息が漏れる。
軽く畳んで隣に置き、手紙を手に取った。
『出雲へ
春も過ぎ、過ごしやすい気候になりましたが、いかがお過ごしでしょうか。
体調は大丈夫ですか? あなたは小さい時から季節の変わり目に風邪を引きやすいので、心配です。
お仕事はどうですか?
慣れない環境で疲れると思いますが、もし辛いことがあればでも帰ってきても良いので、無理はしないでください。
同封したお米は、お隣のお家から頂いたものです。
兼ちゃんも、高校卒業してからずっと働いているので、もう立派な農家です。
兼ちゃんのお母さんと、いつでも結婚できるねと話しています。
たまには家に帰ってきてください。
お父さんも口には出さないけれど、いつも心配しています。
母より』
「嫁になんていかないってば」
隣の米農家の息子の兼(けん)とは生まれた時からの付き合いで、唯一の幼馴染とも言える間柄だった。
程よい人生を送る出雲とは反対に、物心ついた時から野球に夢中だった彼は高校入学と同時に野球推薦で他県へ行ってしまった。それっきり会っていない。
その兼が農家を継いだ? 野球で芽は出なかったのだろうか。如何せん大学進学時に大阪に出てきてから一度も田舎に帰ったことのない出雲にはわからない。
「あんなハゲ絶対イヤ」
本人たちは心底興味が無いのに。子供の頃の口約束をいつまでも引きずっている親達にうんざりしながら、手紙を封筒に戻そうとした。
「いたっ!」
ピッ、と人差し指に便箋が引っかかる。
薄く入った筋から、ぷくり、と血の塊が生まれる。それはじんじんと、痺れの様な感覚を手全体に広げる。
――お父さんも口には出さなけれど、いつも心配しています。
大した傷ではないくせに、ちょっとした事でぶり返す傷。良く使う場所の所為か、いつだって治りも悪い。
父親が大嫌いだった。
職人気質といえば聞こえは良いが、厳しいばかりの時代遅れの石頭。出雲は父親をいつもそう周りに零していた。
母親や家族に威張り散らかし、自分が男であり、家族を食べさせているから偉いのだと態度で表す食卓は、他所の家とは違い一家団欒の憩いの場ではなかった。
進学する時も「女は家を守るのが仕事。そんなところに行ってどうするのか。モノにならないものに金は払わない」と言われ、半ば勘当のような形で家を飛び出したのだった。
――もう4年も前の事になる。
大見栄張って家を飛び出したのに、実際今は職無しのフリーターだ。情けなくて涙がでそうだ。
早く、何とかしなければ。こんなことがバレれば、家に強制送還だ。
山陰の陰険な土地に戻され、大嫌いな田舎と父親に挟まれて土まみれの一生を終えなければいけない。
「絶対にいや!」
リクルートスーツのジャケットを脱ぎ捨てる。
小さなテーブルに鞄から取り出した買ったばかりの履歴書を取出し、鼻息荒くボールペンを進め始めた。
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