機械としての

 コポコポとお湯が沸く音を聞きながら、伸びをする。破滅的な音が心地よく自分の背骨から実験室に響く。彼女はベッドに座り、ケーブルに繋がったまま足を組み、目を閉じる。僕には当然よくわからないのだが、「画面」を開くときにはこの方がいいらしい。理屈の上では、目を閉じているかどうかに関係はないと思うのだが。


「メール、チェックしておいたよ。君のところに来るのはジャンクばっかりだ。でも、この2通は見た方がいい」

「はいはい、なに?『subject件名: ドブネズミに困っています』?」

「ドブネズミの駆除の話から、性行為の話に移る流れが素晴らしく良くできてる」

「ジャンクじゃないか」

「文学と呼びたいね」

「オオアリクイにき足らず、ネズミとは」

「確かに意外性はなくなったかもしれないが、現実味が増したともいえるさ」


 コーヒーをマグに注ぎ、香澄かすみに渡す。ふん、と鼻を鳴らして受け取った彼女がコーヒーをすするのを横目に、ネズミのメールを [保存版] フォルダに投げ込み、もう1通の見た方がいいメール、教授からのやつ、の返信画面を開く。


 香澄は、飲み干したマグをベッドの上に雑に置くと、また、瞑目めいもくする。僕は、6時からは作業に入るから、それまでにね、と彼女に声をかけ、準備を始める。


 彼女は、優しい微笑みをたたえたまま微動だにしない。多分、意識の上ではたくさんの画面が飛び交っているのだろう。通信量を示すグラフの値が30.3[log2(bytes)/sec.]あたりまで急上昇し、すぐ10以下に戻る。何かをローカル香澄の中に落としてきたらしい。それが何かまで、覗き見るのは、流石によろしくないと思われるので、具体的には分からない。

 でも、彼女の表情が楽しさの周りで踊っているので、僕は、それを好ましく思った。




 さて、午前中にやるべきだったアップデートもエラーログの回収・分析も終わって、お昼ご飯を食べに学食に来ていた。飲食店に恵まれないこのキャンパスでは、ほとんど全ての学生が昼休み時間、学食に集中する。だから、今は14:00。この時間なら過ごしやすいのだ。絶妙に美味しくなくて微妙に値が張るゆえに若干人気のない第三食堂ならなおのことだ。

 それにしてもお腹が空いた。昨日の晩以来食べていないから、

「ぐぅ」

腹の虫がなった。すぐさま香澄がクスクス笑う。箸が転んでもおかしい年頃ってわけじゃないだろうに。

「そういう笑い方すると、交換が早くなるぞ」

 少しムッとして八つ当たりする。一応、事実だが。そういうれつへい音を出すときに、今使っている声帯モジュールでは、他の音の場合より圧力が高くかかる。圧力が高いということは、負担がかかっているということで、つまり、モジュールの交換が早くなりうる。

「ははっ、誤差でしょ」

「おっしゃる通り」

「ところで、それ、もらっていい?」

「ああ、いいよ。はい」

 箸でミートボールをつまみ、口元へ持っていく。子供っぽい、とは思うけれど、香澄は意外とこういうのが好きだ。はずかしめるためにこれが好きだと言っている節がない、とは思わないけれど。

 もし、ここが第三食堂じゃなければしていたところだ。もっとも、そうしたらそうしたで香澄は楽しそうに笑うことを僕は知っている。


 少し「おぎょう悪く」箸がねぶられるとともにミートボールが視界から消える。このあと、そのミートボールは胃へと運ばれる、はずもなく、容赦無く破砕はさいモジュールで切り刻まれて、いくらかのようばいを通った後に圧縮、パウチに詰められる。

 ミートボールの運命としてはいささか嬉しからざるところだろうが、彼女の口内には圧力センサといくぶん単純な味覚センサがあって、彼女は食感と味とを楽しんでいるから、最悪というほどではないと思う。むしろ、さいモジュールの後にpHピーエイチセンサやら特定の有機物をそれぞれに検出するセンサ群やらが控えているわけで、人間よりも「よく味わって」いかねない。データ上は。


 僕はそんなことを考えながら、はしちゅうに遊ばせて、しゃくする香澄をながめていた。

 と、そのとき、Scribスクリブが通知をしてきた。香澄からだ。大きなcsvベースのファイルの右端に手描きの赤丸が施され、殴り書きされている。


 曰く、

「初めてのトイレだ」

と。

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