アップダウンのある生活

 僕の彼女は、香澄かすみと言う名前だ。

 香澄の体は、頭の先からつま先まで、税金とちょっとした技術でできていて、今もこの世で生き続けている。その機械の体で。


===



 きょくとうこう大学 (FIT) 工学部の朝は早い。3:40。住んでいるアパートから研究室まで電動自転車で移動する。朝日がのぼる前の緊張感のある空気が、ほほでていく。

 普通よりどこか未来的で冷たい街を抜け、12階のビルの裏手で自転車を降りる。


「お疲れ。法律きまりを守るためとはいえ、わざわざぐのは疲れるだろう?」

「いやいや、お前さんを運ぶためとあれば、わけないことじゃよ」

「なんだい、その口調。次からこれ、なしで運ぶかい?」


 香澄がケーブルを右手で振って示す。そのケーブルは彼女の体から伸びていて、さっきまで自転車に電力を与えていた。


「ご勘弁。香澄は重いんだから」

「ほう? 女性として振る舞う人間に体重の話をするなんて。命がいらないのかな?」

「事実だろ。軽いのを使ってるけど、アクチュエータモータ類だけで人間1人とお釣りが……」

「そ。じゃあかえりは、なし」


 持っていたケーブルを香澄が軽く引くと、薄いベージュのショートスカートのすそにケーブルが吸い込まれていく。香澄の長い髪がケーブルの伸びていた方向と反対に揺らめく。


「えー………」

「反省ぐらいしたまえ、若人わこうどよ」


 カードキーでホールの扉を開け、彼女と連れ立って入る。なぜかこの時間にも大学にいて、ホール奥のエレベータから出てきたボサボサ頭の教授にしゃくし、入れ替わりにエレベーターに乗る。


6。

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 緑と白の混ざった配色の廊下を通り、3番目の重たい鉄扉をカードキーと指紋・静脈パターン認証で開ける。やや面倒だが、中にある機材がそこそこ高価ゆえだ。かたがない。


 僕らが入ると同時に点灯した照明に照らされた実験室の様子は、昨日21:00に帰ったときのままだ。大きく開いた窓の外に目をらすと、平たい街の向こうに海岸線がぼんやりと見える。遠くの見えもしない波打ちぎわを思うと、空の色まで帰ったときのまま、という笑えない事実も少しは気楽に捉えられるような気がする。


 彼女は窓の外をってため息をつく僕に目もくれず、さっさと部屋の真ん中にしつらえられた病院的 狭 い ベッドに座って、白を基調としたブラウスを脱いでいる。


 いつまでもぼうっと窓の外を眺めているわけにもいかない。僕は窓から目をはなし、コーヒードリッパとコンピュータの電源を入れた。


 彼女もいい加減この作業に慣れてきたのだろう。言葉をかける前から、枕元に脱いだ衣服を放り、ようついのジャックに天井から垂れてきているケーブルのプラグを繋いでいた。


「ほら、始めるよ」

「了解」


 ボタンを押して転送を始める。彼女が、彼女のデータが、ケーブルを通じて吸い上げられて仮想的なサーバに分散、複製、処理、加工されていく。


 そう。僕の彼女はクラウドに。

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