長靴を吐いたヌシ

 むかしむかし、と言ってもほんの十年ほど前。

 ある所、と言ってもいなかの町の外れにあるちょっと大きな池。そこには、大きなおおきなヌシ様が住むという言い伝えがありました。

 ただし、いつの頃からか誰一人としてその姿を見た者はいませんでした。


 ある日、その話を聞いた一人の男の子がヌシ様を釣ろうと池にやって来ました。

 その手にはついこの間お父さんにもらった、ちょっと古いけれど使い込まれた立派な釣り竿が握られていました。


「お父さん、天国から見ていてね。かたきのヌシはきっと僕が釣り上げて見せるから!」


 ……男の子のお父さんは、今日も元気に仕事に行っています。

 どうやら昨日見たテレビ番組に影響を受けてしまっている様子。そんなことで本当に大丈夫なのでしょうか?


「うなー」


 ほら、お供の猫、トラノスケも心配そうな顔をしています。

 なになに……、「ボクのご飯釣れるのかな?」

 おやおや、心配は心配でも男の子のことではなく、自分のご飯の心配だったようですね。

 それにしてもトラノスケはヌシ様でも食べちゃうつもりなのでしょうか?


「トラノスケも応援してくれるのかい?よし!頑張るよ!」


 一方、動物の言葉が分からない男の子は都合のいいように解釈したようです。「むん!」と力こぶを作る真似をすると、釣りの準備を始めたのでした。

 釣り好きのお父さんに連れられて海に川にと出かけていたので、なかなかの手際です。


「ダメだよ、トラノスケ。それはお前のおやつじゃないよ」


 前足でペシペシと叩かれていた餌箱を慌てて取り上げます。

 実はこれこそヌシ様を釣るために男の子が用意した秘密兵器、お父さんの釣り道具の中からこっそりともらってきた撒き餌でした。


「お父さんはこれを使っておっきな魚を釣っていたから、ヌシだってきっと一発で釣れちゃうよ!」


 さてさて、そう上手くいくものでしょうか?

 竿の準備を終えた男の子は、豪快に秘密兵器をばっさーと撒いて、池に糸を垂らし始めたのでした。




 男の子が釣りを始めてから一時間が経ちました。

 さあ、成果はどうなっているのでしょうか?


「はぐはぐ!むしゃむしゃ!」


 なんと男の子の足元ではトラノスケがお食事の最中でした。

 だけどそのお魚、猫であるトラノスケの体の半分もありませんね。やっぱりそう簡単にヌシ様は釣られてくれないようです。


 そして男の子はすっかり不機嫌になっていました。ヌシ様がさっぱり現れないから?

 確かにそれもありますが、男の子の機嫌を損ねた原因は他のことでした。


「あ!なにかきたかも!?」


 釣り糸を巻き取る途中で急に重くなったのです!


 ヌシ様でしょうか?それとも他の魚?


 意気揚々と糸を巻き上げたその先にいたのは……?


「ああああ!!またゴミが引っかかったあ!!」


 池の中でドロドロになったジュースの空き缶だったのです。


「もう!どうしてこの池にはこんなにたくさんのゴミが捨ててあるんだよう……」


 ぶつぶつと文句を言いながら針を取り外すと、空き缶をぽいっと横に投げ捨てたのでした。


 びっくりすることに、男の子の横には釣り上げられたゴミが積み重なって小さな山になっていたのです。

 空き缶に空き瓶だけでなく、ペットボトルにビニール袋、さらにおもちゃや鞄などまでありました。


 トラノスケが食べている一匹を除いて、男の子が釣り上げたのはゴミばかりだったのです。

 不機嫌になるのも仕方がないことでしょう。


「もう、怒った!本当に本当の秘密兵器を使ってやる!」


 ガバッと勢いよく立ち上がると、男の子は近くに置いていた荷物の中をガサゴソと探し始めたのでした。

 取り出したのは小さなプラスチックの入れ物。いえ、その中に何か入っているようです。


「ヌシなんて呼ばれるやつを普通の魚の餌で釣ろうとしたのが間違いだったんだよ!」


 うんうんと頷きながら蓋を開けると……、そこにいたのはなんとカブトムシ!?

 ですが全く動く気配はありません。それもそのはず、このカブトムシは昨日寿命を迎えて死んでしまっていたからです。


「カブトムシは昆虫の王様だから、絶対にヌシだって食い付いてくるよ!」

「うにゃー」


 自信満々な男の子に対して、トラノスケはお腹がいっぱいになって眠くなってしまったのか、「そうだねー」とおざなりな返事を返すばかりでした。


「やっぱりお前もそう思うんだな!」


 しかし、動物の言葉が分からない男の子は今回もまた都合のいい解釈をしたのでした。


 そして、運命の一投が池へと放り込まれると、ぽちゃんという音を残して、重りと一緒にカブトムシは水の下へと沈んでいったのでした。


 ここからはじっと我慢の時間です。

 時々竿を引いては水中のカブトムシを動かすだけ。ヌシが食い付いてくるのをひたすら待ち続けなくてはいけません。


 どのくらい待ったでしょうか。さすがに飽きてしまった男の子は別のポイントを狙うことにしようと糸をまき始めたのでした。


 その瞬間!


 ぐい!と今まで感じたことのないような大きな引きがあったのです。

 見る見るうちに糸が伸びていきます。


「ま、負けないぞ!」


 正気に戻った男の子は力強く竿を引いて抵抗を始めました。しっかりと、でも慌てずにじっくり糸井を巻き上げていきます。


「お、おっきい!」

「うにゃ!」


 時々水面にかすかに見える魚の姿は、男の子が見たこともないような大きさでした。トラノスケも始めて見る大物に大興奮です。


 綱引きのような引っ張り合いを続けること数分、ついにその時はやって来ました。

 ひときわ大きく引っ張られたかと思うと、急にその力が弱くなってしまったのです。


「今だ!」


 男の子はぐいぐいと糸を巻き取っていきます。

 そして巨大魚が水の上へと大きくジャンプ!


「ぐえっ!」

「え?うわっ!?」

「にゃにゃ!?」


 した途端、巨大魚は何かを吐き出しました。

 思わず男の子が尻もちをついてしまっている間に、巨大魚はばっしゃーんと大きな水音を残していなくなってしまいました。


 釣り竿の先には、ボロボロになった長靴だけが残されていたのでした。


「池のヌシ、餌と間違えて捨てられた長靴を食べちゃっていたのかな……」

「ふにゃー……」

「……ヌシがいなくなったら寂しいよね」

「うにゃ」

「掃除、しようかな」

「うにゃにゃにゃにゃん!」




 それからというもの、男の子は休みになると池の掃除にやってくるようになりました。

 やがて男の子のお父さんや近所の人など周りの人たちも参加するようになり、池はどんどんと綺麗になっていきました。


 ヌシ様のいる池はたくさんの魚でにぎわうようになり、散歩に釣りにたくさんの人が訪れるようになりました。

 そして以前のように、時折水面に巨大な魚の影が目撃されるようになったという話です。

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