笑顔になれる鏡屋さん

 桜並木の続く大通りから、細い横道に入った所にそのお店はありました。


 入口の扉には『笑顔になれる鏡店』とあり、近くの看板には


『悲しいとき、辛いとき、怒っているとき、

いつでもどなたでもお立ち寄りください。

きっと笑顔になれます』


 と書かれています。


 そして店の中にはその名前の通りに、大きいものから小さいものまでいろいろな鏡が置かれていました。




 ある日、一人の女の人が店にやってきました。

 なにか嫌なことがあったのでしょうか?ムカムカ、プンプンと怒っていました。

 女の人がある鏡の前に立ったとき、鏡に映ったその人が話し始めました。


『イライラしてもしようがないわ。明るく楽しくいきましょう』


 でも、女の人はそのまま歩いていきました。別の鏡の前に立つと、また鏡の中の人が話しだしました。


『本当に嫌なことばかり。そいつもこいつも皆いなくなってしまえばいいのに』


 でも、女の人はまたそのまま歩いていってしまいました。さらに別の鏡の前に立つと、またまた鏡の中の人が話し始めました。


『でも、あいつは傘を貸してくれたわ』


 女の人は立ち止まると、三日前の雨の日のことを思い出しました。


「傘を返しに行こうかしら」


 怒った顔で傘を返す訳にはいきません。女の人はその鏡で笑顔の練習をすると、店から出て行ったのでした。




 ある日、今度は一人の男の人が店にやってきました。

 なにか悲しいことがあったのでしょうか?シクシク、グスグスと泣いていました。

 男の人がある鏡の前に立ったとき、鏡に映ったその人が話し始めました。


『メソメソしてもしようがないさ。明るく楽しくいこうか』


 でも、男の人はそのまま歩いていきました。別の鏡の前に立つと、また鏡の中の人が話しだしました。


『本当に嫌なことばかりだ。その人もこの人も皆いなくなってしまえばいいのに』


 でも、男の人はまたそのまま歩いていってしまいました。さらに別の鏡の前に立つと、またまた鏡の中の人が話し始めました。


『でも、あの人は手伝ってくれた』


 男の人は立ち止まると、一週間前の仕事中のことを思い出しました。


「お礼をしに行こうかな」


 泣いた顔でお礼をする訳にはいきません。男の人はその鏡で笑顔の練習をすると、店から出て行ったのでした。




 ある日、今度は一人の女の子が店にやってきました。

 なにか恐ろしいことがあったのでしょうか?キョロキョロ、オドオドと怯えていました。

 女の子がある鏡の前に立ったとき、鏡に映ったその子が話し始めました。


『ビクビクしてもしようがないね。明るく楽しくいこうよ』


 でも、女の子はそのまま歩いていきました。別の鏡の前に立つと、また鏡の中の子が話しだしました。


『本当に嫌なことばっかり。その子もこの子も皆いなくなってしまえばいいのに』


 でも、女の子はまたそのまま歩いていってしまいました。さらに別の鏡の前に立つと、またまた鏡の中の子が話し始めました。


『でも、あの子は助けてくれた』


 女の子は立ち止まると、昨日の給食のことを思い出しました。


「ありがとうと言いに行かなくちゃ」


 怯えた顔でありがとうと言う訳にはいきません。女の子はその鏡で笑顔の練習をすると、店から出て行ったのでした。




 ある日、今度は一人のおじいさんが店にやってきました。

 なにか辛いことがあったのでしょうか?ヘナヘナ、トボトボ俯いていました。

 おじいさんがある鏡の前に立ったとき、鏡に映ったその人が話し始めました。


『クヨクヨしてもしようがないな。明るく楽しくいくとしよう』


 でも、おじいさんはそのまま歩いていきました。別の鏡の前に立つと、また鏡の中の人が話しだしました。


『本当に嫌なことばかりが起きる。それもこれも皆いなくなってしまえばいいのに』


 でも、おじいさんはまたそのまま歩いていってしまいました。さらに別の鏡の前に立つと、またまた鏡の中の人が話し始めました。


『でも、あれのお陰で生きてこられた』


 おじいさんは立ち止まると、遠い遠い昔のことを思い出しました。


「久しぶりに会いに行くか」


 俯いたままでは会いに行けません。おじいさんはその鏡で笑顔の練習をすると、店から出て行ったのでした。




 ある日の夜、閉店時間になった後に奥の部屋から店のおじさんが出て来ました。


「ふう~、今日も一日よく働いたな。商売も大繁盛だ」


 おやおや?

 店にやって来たお客さんは皆何も買っていません。


「それなら問題ないよ。お客は全員、悪魔の世界のエネルギーになる『いや~な気持ち』を置いていったんだからね」


 こちらを見てそう言ったおじさんには真っ黒い羽と尻尾、そして大きな角が生えていました。

 そしてその手に持った、『いや~な気持ち』と書かれた大きな袋には中身が一杯に詰まっていたのでした。

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