跳びはねお化けの話

 真夜中の真っ暗闇の中で、跳びはねている者が見えても決して近寄ってはいけない。なぜならそれは跳びはねお化けだから。


 真夜中の真っ暗闇の中で「クケケケケ」とおかしな声が聞こえても、決して近寄ってはいけない。なぜならそれは跳びはねお化けだから。


 跳びはねお化けは子どもが大好き。なぜなら子どもは柔らかくておいしいから。


 跳びはねお化けは石が大嫌い。なぜなら石は硬くて跳びはねないから。


 もしもあなたが跳びはねお化けに出会ってしまったら、体を丸めて「石になった」と言いなさい。そうすれば跳びはねお化けは嫌がって逃げてしまうから。

 だけど跳びはねお化けがいなくなるまでは決して動いてはいけない。なぜなら跳びはねお化けは石が動かないことを知っていて、動いた途端にあなたを食べてしまうから。


 跳びはねお化けは真夜中のお化け。怖がりな子どもは夜に出歩かないように……。




 こんな話を聞かされたところで、怖がるような子どもはいないよ。


 まあ、小学校に入る前の小さな子どもなら怖くて泣くかもしれないけれど、小学生以上ならまず怖がったりはしないだろうね。

 嘘だと思うのなら知り合いの小学生に聞いてみてごらんよ。学校の図書室にどれだけ沢山の怖い話の本が置かれているのかが分かるから。


 そう!怖い話が大好き、という子どもは結構多いのだ。


 それに、最近の小学生を舐めちゃいけない。学校が終わった後も、塾に習い事にスポーツにと大忙しなのだから。夜に出歩くな、だって?そんなのどだい無理な話だよ。




 そんな訳で、僕もその話を聞いた時には鼻で笑ってしまった。

 そもそも跳びはねお化けってどうして跳びはねているのさ?

 そりゃあ、昔話に出てくるお化けたちの中にはよく分からない奴もいっぱいいる。だけどそれを真似たのだとしても、ちょっとお粗末な感じ。設定が適当過ぎるんだよね。


 そういうことならあの笑い声もわざとらしい。「クケケケケ」なんて笑い方をする奴が本当にいたりする?

 それっぽい不気味な笑い声を取って付けました、と言っているようなものさ。


 他にも言いたいことは沢山あるけれど、結局のところ、子どもを怖がらせて言うことを聞かせるには出来が悪過ぎた。

 多分あれだね、最近は変質者とかも多いから気を付けるように、先生か地域の人が急いで作ったのだろう、と思った。


 だから僕はこの話を聞いてもすぐに忘れてしまっていたんだ。


 あの日、あんなことが起こるだなんて思わずに……。




 その日の夕方、僕はいつものように塾へと出かけていた。

 僕が住んでいるのは、はっきりいって田舎だ。電車は二十分に一回しか来ないし、一番近くにあるコンビニに行くのにも歩いて三十分はかかる。

 当然街灯も少なくて、周りが田んぼばかりだと真っ暗な所もある。だから行きはともかく帰りはいつも迎えに来てもらっていたんだ。


 だけど、僕ももう今年で六年生になる。来年からは中学生だ。いつまでも迎えに来てもらっていては格好が悪い。

 そんな風に思って一人で帰る練習をすることにした。


 その話をするとお父さんは楽しそうに、


「お前も男の子だな。よし、やってみろ」


 と言っていたのだけれど、お母さんは心配そうな顔をしていた。だから僕は余計に悔しくなって、こう言ってしまった。


「平気だから、絶対に迎えに来ないでよね!携帯も持っていかないから!」


 今から思えば大失敗だった。せめてすぐに連絡できるように携帯は持っておくべきだったなと思う。

 それでも一度口から出てしまった言葉は変えられない。初めて僕は一人で暗い夜道を家まで帰ることになった。


 数時間前に通ったはずの道なのに、暗くなると全然知らない場所のように思えた。懐中電灯で照らすことのできる輪っかが思っていたよりも小さいし、前にキャンプで使った時よりも光が弱い気がする。

 もしかしたら電池が切れかけているのかも。そう思うと怖くなった僕は、小走りで駆け出していた。


 だけど、悪いことというのは重なってくるものらしい。何かにつまづいた、と感じた時にはもう僕の体は地面倒れていた。


「うぅ、いたいよう……」


 掌や膝の辺りがジンジンする。多分転んだ時に怪我をしたんだろう。もしかすると血が出ているかもしれない。

 怪我の様子を見るために起き上がろうとして僕はハッとした。

 塾の荷物は背負っていたリュックに詰めていたので無事だったけれど、大事な懐中電灯を手放してしまっていたのだ。


 慌てて周りを見回してみても真っ暗で何も見えない。用水路かどこかに落ちてしまったのか、それとも落とした時に壊れてしまったのか。


 どちらにしても僕は真っ暗な中に一人ぼっちになってしまった。


「う、うええ……」


 どうして僕がこんな目にあわなくちゃいけないんだろう。そう考えると、ふいに涙が出てきた。


「お父さん、お母さん、たすけてよう……。怖いよう……」


 そう、本当に怖かったのだ。六年生にもなって情けないという人もいるかもしれない。

 だけど真っ暗闇で自分の手も見えないような場所に一人ぼっちにされたら、きっと僕と同じように寂しくて怖くなってしまうに違いない。


 いつの間にか、僕は膝を抱えてシクシクと泣いていた。


 どれくらいの時間そうしていたのだろうか。突然僕の耳に聞いたことのないしわがれた声が飛び込んできた。


『おかしいのう。子どもの泣き声がしたから来てみたのに、大きな石があるだけじゃないか』

「違うよ!それは石じゃなくて僕だよ!」


 顔を上げて大きな声で叫んだつもりだったけれど、僕の体は痺れて全く動かなかった。

 でもそのお陰で助かったんだ。


 だって、そのしわがれた声の奴はとんでもないことを言い出したのだから。


『せっかく久しぶりに子どもの肉が食べられると思っていたのに、とんだ骨折り損じゃ!』


 その言葉を聞いた瞬間、僕はとても恐ろしくなった。


 ガタガタと震えて、口もカチカチ鳴っている気がする。

 止まれ!止まれ!と念じても止まりそうもない。


『おやおや?なんじゃこの石は?ブルブルと震えておるぞ?カチカチと音もしているな?』


 僕はもう必死になって奥歯をギュッと噛みしめて、膝を抱える腕に力を込めていた。


『ありゃ?動かなくなってしもうた。変わった石もあったもんじゃのう』


 そう言ってそいつは僕の頭をツンツンとつついていた。


(やめて!髪があるのがバレちゃう!)

『これは珍しい!毛のある石じゃ!……もっと色々と調べてみよう』


 心の叫びもむなしく、そいつは僕の髪の毛に気が付いてしまった。

 生きた心地がしないというのはこういうことなのだろう。僕はギュッと目をつぶって泣きたくなるのを我慢していた。

 そしてその間にそいつは僕の体のあちこちを触り回っていた。


『こっちは柔らかいし、こっちは触ると引っ込むぞ。不思議な石もあったもんじゃ』


 おかしなことに、どんなにいろんな所を触って変に思っても、そいつには僕が石にしか見えないようだった。

 やがてそいつは僕の前に回り込むと、怪我をしていた膝や掌の匂いを嗅ぎ始めたようだ。


『スンスン、クンクン。この辺から血のような、はたまた鉄のような匂いがするな……』


 念入りにクンクンと鼻を鳴らしていたのだけれど、急に何かを思いついたように僕から離れた。


『分かったぞ!お前は石に化けた何者かだな!

 子どもの泣き声でおびき寄せて、隠し持っている鉄の武器で「えいやっ!」と切りつけるつもりだろう!

 わしをやっつけるためにやって来たのだろうが、そうはいかんぞ!こうしてくれる!』


 その途端、僕の体は全く動かなくなってしまった。


『うぬぬ……。近頃は子どもを食っていないから力が出ないな。

 それでもわしが逃げるまでは動けないはずだ!

 いつか逆にやっつけてやるからな、覚えていろよ!』


 捨て台詞を吐いた後、ビュン!と音がしたかと思うと、そいつの気配はなくなっていた。

 ただ遠くの方から『ウキャキャキャキャ』という笑い声のようなものが聞こえた気がした。


 その後のことはよく覚えていない。

 しばらくして動けるようになると急いで立ち上がり走りだしていた。どこをどう通ったのかも覚えていないが、気が付くと僕は家の前に立っていた。


 扉を開けると、心配そうな顔をしたお母さんが立っていた。


「お母さん!おかあさん!」


 そんなお母さんにしがみついて僕は泣いた。泣いて泣いて、鳴き疲れてその日は眠ってしまった。


 次の日、僕は家で学校で、家族や友達に昨日あった出来事を話した。

 だけど


「転んだ拍子に変な夢を見たんだろう」


 と誰にも信じてはもらえなかった。それも仕方がない。僕だって昨日のことがなければそう思ってしまっただろう。


 でも、あれは本当にあったことなんだ。


 子どもが好物なこと、動かない僕を石と間違えていたこと、そしてビュンと音をたてていなくなったことから、あいつはきっと跳びはねお化けだったのだ。


 ただ一つ、『クケケケケ』とは笑わなかったのだけれど。

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