第8話 別れの時

 そして一人になった車中で、カラスはふと生前の和馬と最後に会った日のことを思い出していた。


「とまあダミーの仕様はこんな感じになっています」

「ふむ。仕方のないこととは言え、最先端技術をこんな風に使うのは悪い気がするな」

「高温で人工骨が焼かれると本物の骨とは異なる燃え方するのかどうか、という非公式の実験だとでも思えば良いじゃないんですか。違っていた時はいろいろばれて大変なことになりますけどね」


 自分で言っておきながらその情景を想像してゾッとする。

 もしもそうなってしまえば余程腕の良い弁護士を見つけなければ刑務所行きは免れないだろう。そんなカラスの考えを見透かしたのか、


「何なら腕利きの弁護士を何人か見繕っておいてやろうか?」


 和馬はニヤニヤと人の悪い笑みを浮かべていた。

「お気持ちはありがたいですが、弁護士を雇える程の大金なんて逆立ちしても出てきませんよ」


 今回の仕事が上手くいけばそれなりにまとまった額の金が入ることになるが、そもそも成功したならば弁護士を雇うような事態にはならないのである。


「大丈夫でしょう。きっと何とかなりますよ」

「小僧は楽天家だな」

「深く考えても答えが出る訳じゃありませんから。予想・予測は大切ですが、それに捉われ過ぎて何もできなくなっては本末転倒ですから。これ俺の持論です」


 カラスが大袈裟に胸を張ると、和馬は「生意気な」と言って笑った。

 何度も足を運んで話をするうちに二人の間ではこうしたやり取りが当たり前になっていた。

 相性が良かったということもあるのだろうが、織江の分析によると、和馬が会社のトップに立って以来正面切って彼に意見するものがいなかったので、カラスのような生意気な若者は物珍しく感じているのだろう、とのことだった。


「さて、これで会長に確認してもらわないといけない案件はすべて片付きました。後はいつその時が来ても大丈夫なように準備を進めておきます」

「そうか。それじゃあ小僧と会うのも今日が最後かもしれんな」


 和馬の言葉にカラスは片付けの手を止めずに「そうですね」とだけ返した。


「一つ聞いてもいいか?」


 和馬の声音が変わったような気がしてカラスは顔を上げた。

 するとそこにはいつになく真剣な眼差しがあった。


「何ですか?」


 断ることもできずに聞き返す。


「どうしてお前はこんなにも親身になってくれたのだ?普通の業者はそこまでしないはずだ」


 カラスは全く予想していなかった質問に答えを窮していた。

 よく考えずに尋ね返した自分の迂闊さを悔いたが後の祭りである。

 腕を組んで考え込む。


 確かに普通の業者であれば和馬の要望など「できない」と一言で終わらせてしまうだろう。

 しかし宇宙葬を扱っているという時点で既に普通とは隔絶しているのである。

 結局の所、こうしたやり方に慣れてしまっているということなのだろう。


 だが困った。

 真剣な和馬の問い掛けに「ただの慣れです」などと答えられるはずがない。何とか良い答えを見つけなくては。


「会長は葬式って何だと思います?」

「死んだ人への別れの儀式、ではないか?」


 何かしらの答えが返って来ると思っていた所に質問がやって来て和馬は戸惑った。それでも自分なりの解釈を伝える。


「やっぱりそう考えますよね」


 納得のいくものだったのかカラスは大きく頷いていた。


「でも、俺は葬式と言うのは死んだ人の最後の我が儘を叶える場だと思っています」

「つまり生きている者の側ではなく、死んだ者の立場から見ている、ということか?」

「そこまで難しく考えてはいませんけどね。ほら、会長みたいに宇宙葬を希望するのってほとんどの場合、家族ではなくて故人なんですよ。だからそんな風に考えるようになったのかもしれないです」


 さんざん考えた割に上手い理由付けになっていなかった。

 なのでいっそのこと内情を暴露してしまうことにする。


「それにぶっちゃけうちみたいな零細が顧客を確保するにはサービスで差を付けるしかありませんから。新聞屋が洗剤を付けるのと同じですよ」

「通常の葬儀の手配にサプライズの仕込み、終いにはダミーまでか。随分と沢山の洗剤を付けてくれたものだな」

「その分料金に反映させて頂いておりますので」

「死んだ後のことなんぞ責任持てるか」

「ちょっと会長、それはないですよ!?」


 その後、二人のやり取りは「病室で騒がない!」と織江の雷が落ちるまで続いたのだった。




 一方、目的の場所では織江が一人で空を見上げながら立っていた。

 所々に雲が浮かび、その白さで空の青さを引き立てている。

 そういえば子どもの頃はよく雲を何かに見立てて遊んだっけ。ふと懐かしい思いに引きずられて、もう随分前に他界した母のことを思い出していた。


 褒める時も叱る時も「さすがは私の娘!」「やっぱり私の娘ね」と、事あるごとに織江と自分の繋がりを口にする人だった。

 和馬との馴れ初めに付いては聞くことがなかったが、シングルマザーとして織江を育てていたことを考えると、まあよくある話であったのだろうと思っていた。


「母さん、あの人母さんたちのいる所には行かないんだって……」


 そう口に出した所で、ようやく合点がいった。


「そうか、私は母さんとあの人を引き会わせたかったんだ」


 別に謝らせたいという訳ではない。

 母は自身の選択を悔やんだことはなかったし、最後の一時まで精一杯生きていた。

 その点は和馬と似た者同士だったのかもしれない。


 織江はただただ二人をもう一度引き合わせたかったのだ。

 死後の世界がどんなものなのかは分からないが、遺体と共にその魂さえも宇宙に飛び出して行く、そんな風に感じられていた。

 だからこそ宇宙葬に反対であった――啓次の邪魔をしたのは彼のスタンドプレーによって、柄の悪い彼の仲間たちが白石グループに食い込んでくるのを防ぐためだった――し、それを推し進めているカラスのことも気に入らなかったのだろう。


 実はカラスについては和馬が彼を気に入っていたことに対する嫉妬心も含まれていたのだが、本人はそれに気付いておらず、どんな相手にも泰然と自分を変えることのないその在り方に多大な不快感と微かな羨望が綯い交ぜになっているのだと考えていた。


「上手くいかないものね……」


 誰も聞いている者がいないためか、その口調はいつもよりも幼く、そしてか弱いものだった。


「あの人が出した課題に取り組んでいたら、何かが違っていたのかな」


 今更そんなことを言っても益体がない事なのは分かっている。

 相続権の放棄を口実にして、葬式プラン作りに参加しないという選択をしたのは織江自身なのだから。

 実際、彼女が参加していたならば、幸一、啓次と三つ巴の骨肉の争いに、さらにはグループ全体を巻き込んだ後継者争いにまで発展していた可能性もあるため、近しい人々は揃ってその選択を支持していた。


 それでも最終的には和馬の望んだ通りに話が進んでしまい、しかもそれを成したのが外部の人間であるカラスだったという現状を鑑みると、つい愚痴にも似たぼやきが口を吐いてしまうのであった。

 どうやら精神面では余り両親に似なかったらしい。心の内を後悔という感情が暴れ回っているのを感じる。


 そう、後悔なのだ。


 既に賽は投げられている。今の織江にできることはただカラスの到着を待つということだけだった。




 木々の生い茂る林道に入ると路肩の広くなった場所で停車する。道端には奥に続く獣道のようなものがあり、少し見え辛いが野球チームのロゴの入った赤い帽子が落ちていた。

 織江から教えられた場所で間違いない。


 カラスは車から降りると棺に小型の重力遮断装置を取り付けた。

 よく考えればさっきもこれを使っていればあんな大変な思いをしなくて済んだ気がする。

 しかしバッテリーに制限がある以上無駄遣いはできない。だからあれで良かったのである。そういうことにしておこう。


 獣道は足元こそしっかりしているが、所々木の枝が張り出してきていてお世辞にも歩きやすいとは言えなかった。

 しかも棺を持った状態なので余計に進みにくい。

 重力遮断装置によって重さは問題なかったが、大きさはどうしようもない。邪魔な枝を押して引いて曲げて、時には折ってなんとか棺が通る空間を作っていった。

 結局、獣道を通り抜ける頃には棺を乗せ換えた時以上に疲れ果ててしまっていた。


「お疲れ様、随分時間が掛ったのね。でもこの位で音を上げるなんて、あなたもう少し運動した方が良いわよ」


 地面に座り込んで荒い息を吐いていると、いつの間に近づいてきていたのか織江がミネラルウォーターを差し出してきた。

 小言に反論する気力もなく、手を上げてそれを受け取ると一気に喉に流し込む。そしてようやく一息つくと周りを見渡す余裕ができた。


「へえ、これはいい景色だな」


 そこは林道側とは打って変わって周囲の見渡せる場所だった。

 小高い丘のようになっているため眼下には大きな工場や集落が、遠くにはビルの群れが一望にできた。


「直ぐそこに見えるのが白石工業の本社工場よ」


 織江が指差したのは先程見えた工場だった。


「本社から近いとは聞いていたけれど、目と鼻の先じゃないか。バレるんじゃないのか?」

「平気よ。会長が亡くなったから昨日から数日間は完全休業にしているの。ここに来る前に寄ってみたけれど誰も来ていなかったわ」


 既に確認済みだったようだ。何とも仕事の早いことである。

 和馬は生前織江を私設秘書として重用していたのだが、それは血縁関係によるものではなく、純粋に彼女の能力を買ってのものだったらしい。

 そしてその頃の名残で織江は未だに白石グループの各施設へ簡単に出入りできていたのだった。


「何?」


 凛々しい横顔に見惚れていると、振り返った織江は怪訝そうな表情をしていた。


「何だか出来る女性って感じだなと思って」

「感じじゃないわ。私は本当に出来る女なの」


 自意識過剰と取られかねない台詞だが、実際に大企業の会長秘書をこなしていた彼女が言うと説得力がある。

 カラスは肩をすくめて「左様ですか」と答えると、再び視線を遠くの景色に戻した。

 それっきり二人とも口を開くことなく佇んでいた。

 時折木々の間を心地の良い風が吹き抜けて行き、その度にサアァーという葉擦れの音が響く。


 しかしいつまでもこうしてはいられない。

 梅雨時であるためいつ雨が降り出すか分からないし、何よりも時間がかかればかかる程、誰かに目撃される危険が大きくなるのだ。


「そろそろ始めようか」

「ええ、そうね」


 カラスの提案に、織江は先程の自信に満ちた声とはまるで異なるか細い声で答えた。


「頼んでいたものは持って来てくれた?」

「向こうにまとめて置いてあるわ」


 カラスはまず織江の持ってきた荷物の中からアウトドア用のテーブルを広げると、次に小さく折りたたまれた何かを取り出した。

 それは宇宙旅行時に参加者に配られる簡易式非常宇宙服にも使われているものであり、厚手のビニール地のような特殊素材で広げると筒状になっていた。

 本来ならば宇宙葬用の特別製の棺を使うのだが、今回は通常の葬式も行うためこれで棺を包むことにしたのだった。


 織江はテキパキと準備を進めるカラスをぼんやりと見ていた。

 暫くすると最初に広げたテーブルの上に棺が置かれ、後は蓋を閉めるだけになった。


「別れの挨拶はしなくてもいいのか?」


 準備ができたのかカラスが振り返って尋ねてきた。織江は少し考え込んだ後、小さく首を横に振って


「いらないわ」


 と一言だけ返した。後悔するかもしれないと思ったが、生前の彼とのことを思えば今更な気がした。

 カラスもそれ以上は聞かずに蓋を閉じると、取り外していた重力遮断装置を取り付けた。


 勘違いされ易いのだが重力遮断装置に飛行能力はない。

 あくまで浮いているだけで、そこに力を加えてやることで初めて移動が可能となる。

 今回の場合、カラスと織江の二人で棺を上へと放り投げてやることになるのである。


「バッテリー残量も問題ないし、安定もしている。テスト完了」


 各部をチェックしながらカラスは棺の足側へ向かう。そのため織江の立ち位置は必然的に頭側となった。

 所定の位置に行くと驚きで息が止まりそうになる。

 蓋の一部が透明になっており、さらに閉じているはずの棺の小窓が開いていたのだ。


「ちゃんと挨拶しておけ」


 ハッと顔を上げると、カラスがいつになく真面目な顔をしていた。


「余計なお世話よ」


 俯いて何とかそれだけを口にする。

 棺の中の和馬はこれからたった一人で広大な宇宙へ旅立つとは思えない安らかな顔をしていた。

 織江は何も感じないようにと塗り固めていた心の壁が度重なる衝撃でボロボロになっているのを感じていた。


「それじゃあ始めるとするか。さようなら、白石和馬さん」


 カラスの声に合わせて「さようなら」と口にするととてつもない喪失感が襲いかかってきた。

 それでも渾身の力を込めて棺を空へと解き放つ。


 ゆっくりと上がっていく棺を見上げていると不意に視界が滲んだ。


「いつも自分勝手で、フォローするこっちのことも考えて欲しかったわ……ほんと、バカ親父」


 溢れ出る涙を拭うこともせずに、織江はただひたすらに見上げ続けた。


 雲に隠れるほど棺が上がった時、突然背後から物音が聞こえた。

 驚いて二人が振り向いた先にいたのは見覚えのある男たちだった。よく見るとつい数時間前和馬の葬儀で顔を合わせた白石工業の幹部たちだ。


「織江ちゃん!会長は!?」

「あそこです……」


 小さく指差すと織江はついに泣き崩れてしまった。


「あの手紙の内容がどうも引っかかってやって来たんだが……そうか。会長はあの二人の所に行ったのか」


 いつの間にか棺は小さな点ほどの大きさになっていて、すぐに見えなくなってしまった。

 それでも誰もそこから動こうとはせずにいつまでも空を見上げ続けていた。

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