第7話 サプライズイベント付きお葬式
故人の人徳の賜物なのか、その日は梅雨の合間の見事な五月晴れだった。
安井葬祭会館には規模に見合わない大勢の弔問客が押し掛け大混雑していた。
数日前、白石和馬の訃報は大々的に報道された。
そして時代を牽引した偉人の一人がこの世を去ったことに多くの人が哀悼の意を示したのだった。
「カラス君、あちらの準備はできているか?」
参列者の焼香が始まり、受付が一息ついたのを見計らって黒羽が声を掛けてきた。
本来は葬祭会館のスタッフだけで回すはずだったのだが、前日の通夜に予想以上の人が集まったため、急遽手伝うことになったのだった。
カラスの隣ではカワセミが突然駆り出されてぐったりとしていた。
「先生と編集さんにはもうスタンバイしてもらっています。俺ももうすぐ抜けるつもりです。後は本番の時、変に正義感の強い人がしゃしゃり出て来ないことを祈るのみですね」
「そうか。車の方はどうなっている?」
「そちらも既にシゲさんが待機してくれています。あの人スーツ着せると見違えますよね」
「昔は一流企業勤めだったって言っていましたからねえ。チョイスは無難なものが多いですが、着こなし方は勉強になる所が多いですよ」
ファッションの話になった途端カワセミが息を吹き返して割り込んでくる。
カラスたちは彼のセンスからすれば大多数の人の選択は無難なものになってしまうのではないか、と思ったが敢えて口には出さなかった。
「おっとやばい、それじゃあ俺は抜けますから後はお願いします」
話しこんでいるといつの間にか時間が過ぎていたようで、焼香を待つ人の列が大分短くなっていた。カラスは黒羽たちに早口で告げるとそのまま葬祭場から出て行ったのだった。
「綺麗な顔をしているね。ここまで穏やかな顔の仏さんも久しぶりな気がするよ」
会場の一番奥に置かれた棺は少し傾けられていて、離れていても中の和馬の顔が見えるようになっていた。
黒羽の言葉にカワセミが胸を張って答える。
「当然です、誰が化粧をしたと思っているんですか」
微笑んでいるようなその顔は穏やかで、成程自信満々に言うだけのことはあった。
しかし余り図に乗られてもいけないので少々痛いところをチクリと刺してやることにした。
「その割に『あちら』の方は苦戦していたようじゃないか?」
「しょうがないじゃないですか。あんなものに化粧をしたことなんてなかったんですから」
不貞腐れて答えるが、そもそも『あちら』の出来も十分合格に値するレベルである。
つまり黒羽はカワセミのことを単にからかっているだけなのであった。
そうこうしている内に焼香が終わり、僧侶が退席を始める。直に出棺だ。
「上手くいってくれよ」
前代未聞の葬式の幕開けに、黒羽は知らず知らずの内にそう呟くのだった。
喪主である白石幸一が挨拶を終えて、霊柩車の扉が閉められた瞬間それは起きた。
「待ちやがれ!」
「ひいいぃぃぃ!」
怒声や悲鳴とともに数人の男たちが葬祭会館の脇から現れたのである。
参列者たちは何が起きたのか分からず茫然としていると、男の一人が霊柩車の運転席に取り付き「退け!」と声を上げて運転手を引き摺り降ろしてしまった。
すかさずもう一人の男が助手席に乗り込むと、車は急発進してしまう。
「手前ら待てコラア!!」
残る男が叫びながら車を追うが、当然待つはずもなく霊柩車は遺体を乗せたまま走り去ってしまった。
その時になってようやく事態の大きさに気が付いた誰かが悲鳴を上げる。
悲鳴は混乱を生み、あっという間にその場にいた人たち全員にパニックが感染していった。
「はい、皆さん落ち着いて下さい!」
黒羽の声が響き渡ったのはそんな時である。
一斉に向けられた視線にうろたえることなく、黒羽は拡声器を使って話し始めた。
「以上で白石和馬氏最後のサプライズイベントを終わります。特に事件等に巻き込まれた訳ではありませんので御安心を。運転手の方もほら、あの通り怪我一つありません」
突然振られて驚きながらも、引き摺り降ろされた運転手は無傷であることをアピールする。
なかなかにノリのいい人である。
しかし喪主の幸一や黒羽を知る啓次はまだ納得がいかないのか、人を掻き分けて近づいて来ようとしていた。
ここで割って入られてしまうとせっかくの演出が台無しになるどころか、この後の予定にも支障をきたしてしまう。
黒羽は早々に次の手を打つことにした。
「さて、これより和馬氏からお預かりした手紙をお読みしますので、くれぐれも静かにお聴き下さい」
予想通り和馬の名前を出されて二人の動きが止まる。
懐から手紙を取り出すと同時にしっとりとした曲調のBGMが流れてくる。
側にいた館長を見ると良い笑顔で頷いていた。付き合いが長いだけあってこの辺りの判断は絶妙である。
黒羽は頷き返すとゆっくりとした口調で和馬の手紙を読み始めた。
『親愛なる家族、社員そして友人たちへ
まずはわざわざ時間を取って私の葬式に来てくれたことに感謝したい。どうもありがとう。
私の葬式だからきっと良い天気で足元が緩いなんてことはないはずだ、と思うがもしも雨の場合は不肖の息子たちのせいである。クリーニング代は彼らに請求してもらいたい』
彼らしい冗談に周囲から笑いが漏れるが、不肖と称された当の二人は苦い顔をしていた。
『さて、この手紙が読まれているということは、映画のような衝撃的な出来事を目の当たりにしたことだろう。
既に種明かしはされていると思うが、あれは私から皆への最後のサプライズである。本当に何か事件が起きたと勘違いして一一〇番通報などしないように。
しかし、長年苦楽を共にしてきた者たちならば予想していたことであろうから、それ程サプライズにはならなかったかもしれない』
その途端、あちこちから「もちろん何かあるとは思っていた」という旨の発言が聞こえてくる。
見てみるとそう口にしているのは幸一や啓次を含めた企業のトップばかりだった。見栄を張るのも社長の仕事らしい。
黒羽は笑いを堪えると、続きを読み進めていった。
『楽しんでもらえたならば幸であるが、もし悪趣味だと不快に思われた方がいたならば申し訳ない。これまで通り私自身がフォローするつもりで計画してしまったが、その時にはもうこの世にすらいなかったことを失念していた。
そのため苦情は皆があの世にやって来た時に聞くことにするとしよう。その日が一日でも遠くなることを祈って結びの言葉に代えさせて頂く。
白石和馬』
読み終わった後も故人との思い出を振り返っているのか、暫くの間は誰も何も喋らなかった。
黒羽は幸一を手招きすると、拡声器を手渡した。
「申し訳ありませんが、改めて締めの御挨拶をお願いします」
幸一は複雑そうな顔をしていたが、いつまでも皆を待たすことはできないと感じたのか、言われた通り挨拶を始めた。
館長に目配せしてから黒羽はゆっくりとその場から立ち去ると会館脇の路地に入る。
そこにはカワセミと先程霊柩車を追いかけて去っていった男、編集さんがいた。
ちなみに霊柩車で逃げたのはカラスと先生である。
「いやあ、迫真の演技でしたね。お陰で上手くいきましたよ」
「そうか?それならわざわざ出張って来た甲斐があったっていうものだな」
「でもあれ、演技と言うよりは先生とのいつものやり取りの気がしますけれどねえ」
照れ臭そうに笑う編集さんにカワセミが茶々を入れると、本人もそんな気がしていたのか一転してガックリと肩を落としてしまった。
「あいつもいい加減諦めて言うことを聞いてくれれば良いんだがなあ……」
編集さんのぼやきはダークスーツにサングラスという格好とも相まって、黒羽たちには完全にその手の筋の人のものに思えた。
何はともあれ、これでこちらの仕事は完了である。
「それじゃあ後はカラス君に任せて我々は一足お先に休憩しようか」
「それが良いですねえ。家族の控室に置いてあった料理が手付かずになっていた筈なので、それを拝借しましょうか」
そんなことを話しながら三人は会館の裏口から中に入っていくのだった。
一方その頃霊柩車の中では興奮した先生をカラスが宥めていた。
「先生、いい加減に落ち着いて下さいよ」
「そんなこと言われても、カラス君たちとは違って僕は人前に出ることなんてないから落ち着かなくて」
「人前に出ないのは俺たちも同じですよ。基本裏方の商売なんですから」
と、こんなやり取りも実はもう五回は繰り返しているのだった。
先程黒羽から和馬の手紙を使って参加者を上手く丸め込めたと連絡が入り、一時は冷静さを取り戻しかけた先生がまた興奮してしまった。
その際、漏れ聞こえてきたカワセミたちの声が微妙に出来上がっているような気がしたのだが、カラスは精神衛生上深く考えないことにした。
「もう直ぐシゲさんとの合流場所か。先生!まだ力仕事が残っているんですからはしゃぎ過ぎないで下さいよ」
「勿論分かっているよ」
と答えが返って来るものの本当にどこまで理解しているのかは甚だ疑問である。
だが余り突っ込んで気分を害されても面倒だ。カラスは運転に集中することにした。
三十分程走っただろうか、カラスは郊外のある民家の敷地内で車を止めた。
空家になって久しいのか建物は痛み、木々は生え放題となっているが、その結果外部からの視線を遮っていた。
二人は車から降りると、既に到着していた見慣れない姿の見慣れた人物に声を掛けた。
「お待たせしました」
「その顔を見るに上手くいったみたいだな」
スーツ姿で真っ直ぐ立つシゲはボロボロの外套を着て腰が曲がった普段とは似ても似つかないものだったが、人懐っこいその笑顔だけは変わっていなかった。
「はい。後の処理も特に問題もなく終わったそうです」
「そうか。それじゃあこちらも急いで向かわないといけないな。さっそく積み替えよう」
シゲの車の後部には霊柩車に乗せられた棺と全く同じものが置かれていた。
「棺はともかくなにも中の重さまで一緒にしなくても良かったのに……」
「何を言っているんだ、重さが違えばそこからばれる可能性だってあるんだぞ」
三人で運ぶには少々厳しい重量に先生がぼやくと、すかさずシゲが窘める。
そして二人が別なことに労力を使った分カラスの負担が大きくなってしまう。
「二人とも話していないでしっかり持って下さい」
結局、二つの棺を乗せ換え終えた時には三人ともゼイゼイと大きく息を吐いていた。
「一応傷とか無いか確かめておきます」
若さ故か一番早く回復したカラスが霊柩車に乗せた棺を確認して回ると、外部に傷は見当たらない。
そしておもむろに棺を開ける。そこには和馬そっくりの人形が入れられていた。
「本当に良くできているよね」
「カワセミの力作だな」
いつの間にか回復した二人もカラスの背後から覗き込んでいた。
これこそ黒羽とカワセミが話していた『あれ』の正体であり、本物の遺体の代わりに火葬されるダミー和馬一号――命名、黒羽――である。
火葬後の拾骨ができるように人工骨が埋め込んである。
「でも、一生懸命作ったのに僕ら以外誰にも見られることがないのは寂しいものだね」
「それは仕方がないことだな。というより見られない方が良い。親しい人間ならどこに粗を見つけるか分かったものではないからな」
二人の会話にカラスはどこか違和感を覚えて、棺の中を見回す。
すると重大なミスに気が付いた。
「しまった!花を入れ替えないと!」
棺を開けることはないが、最期の別れと顔の部分の小窓を開けられる可能性はある。
その時入れた筈の花がなければ一発でばれてしまうところだった。
急いで本物の棺を開けると中の生花を取り出して、ダミーの周りに配置する。
「これでは本物の方が寂し過ぎるな」
シゲはそう言うと、近くに咲いていた花を数本手折り和馬の棺の中に入れた。
「シゲさん、もしかして白石会長と面識がありました?」
「いや、直接会ったことはないな。だけど、面白い人だという噂はよく耳にしていた」
棺を閉めると、三人は改めて和馬の遺体に手を合わせた。
「予定よりも時間がかってしまったな。それじゃあ先生と私は火葬場に向かうぞ」
「お願いします。火葬場に着いたら後は向こうの係員の指示に従ってもらえれば大丈夫です。その後は安井会館に戻って社長たちと合流して下さい」
「気を付けてね。また後で」
口々に挨拶を交わし、シゲと先生は霊柩車へ、カラスはシゲの乗って来た車に乗り込んでそれぞれの目的地へと向かった。
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