第5話 失敗
カランカラン。
レトロな様式で整えられた店内にドアベルの音が響く。手を挙げて合図を送ると、直ぐに気付いたようでこちらに向かってやって来た。
「待たせてしまったかしら?」
「俺も今来たところだよ。何だかデートの定番台詞みたいだったね」
「寝言は寝てから言ってちょうだい」
カラスの発した場を和ませようとした軽口を切って捨てると、織江はコーヒーを注文した。
「それで、一体何の用かしら?」
店員が下がるのを見計らって掛けられた言葉にカラスは肩を竦ませるとさっさと本題に入ることにした。
「先日知り合いの同業者の所に白石幸一がやって来て宇宙葬ができないか聞いてきたそうだ」
「社長が!?」
全く予想していなかったのか織江が驚いた声を上げる。
その声は静かな店内に響き渡り、二人して周囲の客に頭を下げることになってしまった。
「その様子だとやっぱり知らなかったみたいだな。弟の啓次と違って品行方正で通っているから網を張っていなかったっていう所か」
「でも、どうして……?」
「それについては分からないけれど、どうやら株で失敗しているらしい。会社の金に手を出すようなことはしていないけれど、相当な借金があるみたいだ」
自問する彼女に答えを提示すると、訝しそうな表情を浮かべた。
「どうしてあなたがそんなことを……」
「腕の良い情報屋がいてね。いくつか調べてもらったんだ」
その言葉に織江の表情が険しさを増していく。
「……ということは私のことも知っているのね」
「白石啓次がお父さんではなく、本当は年の離れた腹違いのお兄さんだったということくらいは知っている」
織江は「そう」と小さく呟くと、カラスをキッと睨みつけて
「そのことで私や白石の家に集たかろうというつもりなら無駄よ。既に顧問弁護士を交えて話は付いていて私は遺産相続から外れているわ」
と言った。恐らくこうしたやり取りを何度も経験しているのだろう。
あれだけの大企業だ、彼女を利用しようと近づいて来た人間も少なくはないはずである。
だが、今はそのことは関係ない。逸れてしまう前に話を進めることにした。
「君のことについてどうこうするつもりはない。それより続きだ。その情報屋曰くここ数カ月の間、白石和馬が公の場所に姿を見せていないそうだけど?」
「……その通りよ」
嘘を吐いても無駄だと思ったのか織江は素直に頷いた。
「姿を消した父親に、犯罪の噂の絶えない宇宙葬を探す息子たち……まるで三流の推理小説みたいだ」
「あの人は死んだりしていないわ」
「でも死にそうなんだろう?」
織江は押し黙ってしまったことでカラスの問いを暗に肯定してしまっていた。
それにしても実の父親であり、かつ雇用主であるはずの白石和馬を『あの人』呼ばわりするあたりに織江の複雑な心境が垣間見える気がする。
「どうして二人は宇宙葬に拘るんだ?白石和馬は何か指示を出していたのか?」
思い切って一番の疑問をぶつけてみる。
織江は無言のままだったが、暫くすると観念したかのように口を開いた。
「一月ほど前の話よ。容体が悪化する直前に会長は幸一、啓次の二人と創業以来の一部の幹部を呼んで、一番面白い葬式プランを考えた者に彼の個人資産の一部をやると言ったの」
「はい?何だそれ?」
「あの人、時々突拍子の無いことを言い始めるの。天才気質とでも言うのかしら。会社もそれで大きくなったようなものよ。後、人を驚かせるのも好きだから今回も皆、いつもの悪い癖が始まったと思っていたわ」
「だけど幸一と啓次の二人は違った。幸一の方は株の損失があったし、啓次に至っては柄の悪い連中との付き合いで金がいくらあっても足りない状況だった。……ふう、これでようやく二人揃って秘密裏に動いていた理由が分かったよ」
「宇宙葬に拘っていたというより、二人とも宇宙憧憬世代だから宇宙葬が『一番面白い』と考えたという所かしら」
重力遮断装置の開発のおかげで宇宙旅行は一気に身近なものになっていた。
団体ツアーなどは下手な海外旅行よりも安い位である。
そのためカラスや織江のように若い世代は宇宙に対してそれほど浪漫を感じていないことが多い。
こうした世代の移り変わりも宇宙葬が廃れてきた要因の一つである。
そしてそうした若い世代に対してそれ以前の年代の人々のことは宇宙憧憬世代と――揶揄して――呼ばれている。
「だけど、そうなると宇宙葬以外が選ばれるかもしれないのか」
白石和馬も当然宇宙憧憬世代であるためその可能性は低いだろうが、絶対にないとは言い切れない。
「それ以前に私を含め大半の人間は普通の葬儀にして欲しいと説得しているわ」
確かに彼ほどの大物ならば家族だけで密葬という訳にはいかないので、ごくごく一般的な葬儀でなければ具合が悪いこともあるだろう。
そしてそうなるとまず間違いなく黒羽葬儀社に仕事が回って来ることはない。
それだけは避けなくてはいけない。
「あのさ、一つお願いがあるんだけれど……」
「突然何?気持ち悪いんだけど」
少し猫撫で声になった感はあったが、そこまで言わなくてもいいのではないだろうか。
織江のきつい返しに若干凹みつつカラスはお願いの内容を伝えた。
「白石和馬に合わせてもらいたいんだ」
「あの人に?何の為に?」
「営業をしようかなってね。やっぱり本人が一番良いと感じるものにするのがベストだと思う。うちなら例え宇宙葬が駄目でもサプライズ好きを満足させることができるかもしれない」
と言いながらも、カラスは最終的には宇宙葬になるような予感がしていた。
晴れた空と裏腹にカラスの表情は曇っていた。いや、空の方もどことなく霞がかっていて青空が見えないので、似たようなものだったのかもしれない。
結局カラスのお願いは「そんなことはできない」と織江にばっさり切って捨てられ叶うことはなかった。当初の予定通り白石兄弟を通じて依頼が来るようにするしかないようだ。
階段を上り事務所の前に来ると中から何やら言い合う声が聞こえてきた。何事かと思い慌ててドアを開けると、そこには黒羽と以前やって来て早々織江に連行されていった白石啓次がいた。
「だから何度も言っているようにバックアップなんて存在しませんよ」
「脅しておいてそれを信じろというのが無理な話だ。確たる証拠かそれに準ずるものがなければこちらとしては安心できない」
どうやら啓次をお呼び出しする為の例のボイスレコーダーについて言い争っているようだ。
その本体自体は既に渡した後のようだが、啓次はコピーしたデータがまだあるのではないかと疑っているらしい。
強請や集りにあった経験が多いためか妙に用心深いところがある。
しかしコピーデータなど取っていないのもまた事実だ。
『無い』ことを証明するためにはこちらの業務データからプライベートな部分まで全てを閲覧させなくてはいけなくなる。
さすがにそんなことはできないので、話は平行線を辿っているのだった。
「大体脅す脅すって被害妄想が過ぎるんじゃありませんか?」
「何だと!?」
「おやおや、そこで怒るということはやっぱり自覚があるんでしょう?」
「違う!今のはそちらの言い方に腹が立っただけだ!」
「この程度の安っぽい挑発に乗るようでは器が知れますな。そんなことだから厄介な連中と手を切ることができないんですよ」
見る見る内に会話が口喧嘩に変貌を遂げていく。
しかも内容が小学生レベルである。規模の違いはあれど、二人とも一応会社のトップのはずなのだが。
このままヒートアップしていけば掴み合いになるのは時間の問題だといえた。
「ちょ、ちょっと二人とも落ち着いて下さい!」
カラスは急いで二人の間に割って入る。
「カラス君!?いつの間に帰って来ていたんだい?」
突然の登場――二人にとっては――に驚いた黒羽が問い掛けてくる。
事務所に入ってから数分は経っているはずなのだが、全く気付いていなかったらしい。
一方、啓次は第三者の登場により落ち着きを取り戻したのも束の間、カラスだと分かるとものすごい形相で睨みつけてきていた。
「とにかく、コーヒーでも入れますから二人とも座って下さい」
「結構だ。これ以上長居するつもりはない」
二人を相手にするのは分が悪いと判断したのか啓次はそう告げると部屋から出て行こうとするが、カラスがその前に回り込む。
白石和馬に直接面会ができない以上、啓次を逃がすわけにはいかない。
「まあまあそう言わずに。せっかくご足労頂いたお客様を手ぶらで返すわけにはいきません。社長、あの情報をお話ししてはどうですか?」
「あの情報?ああ、あれか!そうだね。あれなら今回の件の手打ちになるかな」
目配せを受けて黒羽がそれらしく振舞うが、実際には意思疎通ができてはいなかったりする。
その証拠に、
「白石社長、あなたのお兄さんも密かに宇宙葬ができる葬儀屋を探していますよ」
と言うと黒羽は驚いた顔をしていた。
しかしそれ以上に驚いていたのが啓次である。
「何だと!?どういうことだ!?」
噛み付かんばかりの勢いで大の男に詰め寄られて、流石のカラスも引き攣った表情を浮かべていた。
とにかく「落ち着いて下さい」と宥めてから説明を開始する。
「詳しい事情は知りませんが、偶然知り合いの葬儀屋に宇宙葬を取り扱っているかと訪ねてきたそうです」
本当はある程度詳しい事情も知っているのだが、それを言ってしまうと却って啓次を警戒させる可能性があるので黙っておくことにした。
「で、そこでは執り行っていないから、もし必要ならうちが出張することになりそうです」
だがこの一言もまた余計だった。
それを聞いた途端、啓次は真赤な顔でカラスを睨みつけたのだ。
自らの失言に気が付いたが時すでに遅し、視界の隅で黒羽が顔に手を当てて天を仰いでいるのが見えた。
「お前たちが何をどこまで知っているのかは分からんが、余計なことに首を突っ込むのは止めることだ。さもないとお前たちの方が宇宙に行く羽目になるぞ」
啓次はそう釘を刺す――世間一般にはこれを脅しと言うのだが――と、鼻息荒く事務所から出て行ってしまった。
御丁寧にドアが壊れるかと思うくらいに乱暴に閉じて行ったので、大音量が響き渡りいつものごとく隣室から苦情の恫喝が聞こえてきていた。
「どんまい、と言いたいところだけれど、これでカワセミ君の所から仕事が回って来る事もなくなってしまったなあ」
「すみません。調子に乗って喋り過ぎました……」
カラスの失敗は主に二つ、一つは啓次に自分と兄の両方に取り入って、二人を天秤にかけていると思わせてしまったこと。
そしてもう一つは彼らの事情をそれなりに深いところまで知っている、ということを教えてしまったことである。
「でも、もしも受けていたら色々と面倒なことになっていた可能性もあるし、縁がなかったと思って諦めようや。とにかくカワセミ君には別の業者を探すように言っておくよ」
黒羽はカラスの肩をポンと叩くとキッチンに入って行った。
当のカラスは久しぶりにやらかした大失敗に打ちのめされていた。
逃がした魚は大きいというが、まさにその通りだ。
そしてそれ以上に客の信用をなくしてしまったことが痛い。
あれでも啓次は大企業の社長であり、その影響力は計り知れない。彼の何気ない一言で黒羽葬儀社はたちまちのうちに干上がってしまう危険に曝されることになってしまった。
何とかしなければと思えば思う程、頭の中は真っ白になっていく。
カラスは両手で頬を叩くと大きく深呼吸した。
痛い。
思った以上に力が入っていたためパンと大きな音がして、黒羽が何事かと顔を覗かせていた。
しかしその甲斐あってか頬の痛みと引き換えにして意識がクリアになっていくのを感じる。
「社長、ちょっと足掻いてきても良いですか?」
「足掻く?何か当てがあるのかい?あ、事務仕事が面倒だから逃げるのはなしだよ」
冗談めかして言ったが黒羽の眼は笑っていなかった。
実は先日やっていた事務作業が、カワセミがやって来たために中断してしまったままなのである。
「ちゃんと営業しに行ってきますよ。確かに本音を言えばあの仕事の続きをやるのはうんざりしますけれどね」
「それなら仕方がないか。それで一体どこへ行くつもりなのかな?」
「白石和馬本人に会って来ようと思います。上手くいけば一発大逆転できるかもしれない」
カラスの答えに黒羽は目を丸くしていた。
「それはまた大胆な作戦に出たね。でも確かに本人が決めてしまえば周りがどう騒ごうと問題じゃなくなるか。分かった、好きなだけ足掻いておいで」
「はい!」
黒羽の了承を得てカラスは勢いよく飛び出して行くのだった。
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