第3話 粋な接待と再会
白石グループが所有するビルはオフィス街の一等地に建てられていた。
カラスたちの街からほんの数駅しか離れていないはずなのに片やビジネスの中心地、片や寂れた裏街とすっかり格差がついてしまっていた。
カラスは周囲を眺めながら、
(あの街は一体どこでボタンをかけ間違ってしまったのかな?)
などと愚にもつかないことを考えながら目的地へと向かった。
中に入ると、そこは一流企業とはとても思えないような殺風景な小部屋で、中央に数台のテレビ電話が置かれているだけだった。
ドラマのように美人受付嬢から笑顔で「いらっしゃいませ」と言われるのを期待していたので完全に肩透かしである。
しかし少し考えてみれば当然の話だ。白石グループの各会社は製造業なので、工場に本社がそれぞれ併設されている。
ここはいわば各社の支社――規模的には営業所の方が近い――が集まっている場所であり、ついでにグループ全体の会議ができる場所として使用されていたのだった。
気を取り直して受話器を上げ、白石マテリアルに繋がる番号を押す。
数回のコールの後に社員と思われる若い男性が映し出された。
「はい、白石マテリアルです」
はきはきとした良い声である。
「お世話になります。わたくし黒羽と申しますが、社長様はいらっしゃいますでしょうか」
「失礼ですが、どのような御用向きでしょうか?」
単刀直入に切り込むと、胡散臭そうな顔をされる。
いきなり来た若造に社長を名指しされたのだからそうなっても仕方のない所ではあるが、もう少しポーカーフェイスの練習をした方が良いのではないだろうか。
「個人的な用件なのでこの場ではお話しできません。ただ、困ったことがあれば訪ねて来いと名刺を頂きました。その言葉に甘えさせて頂いた次第です」
と、内ポケットから例の名刺を取り出してカメラに近づける。
本物かどうか迷っているのだろう、無言の時間が続く。
「……カメラ越しでは判別できませんので、確認のために別の者をそちらにやります。少々お待ち下さい」
「こちらこそお手数をおかけして申し訳ありません。よろしくお願いいたします」
第一段階終了。ここまでは予定通りだ。
白石啓次の若い頃の放蕩三昧は有名で、社長になった後でも当時の顔見知り――一方的なものも含めて――が訪ねてくることはよくあることらしい。
名刺を持っていたとはいえ、自分もそうした連中の一人だと思われていることだろう。
そうなるとやって来るのは十中八九、強面のお兄さん方だと考えられる。
「お待たせしました。白石マテリアルの者です」
現れたのは三十代後半くらいのがっしりとした体格の男で、白石マテリアルのロゴの入った作業着を羽織っていた。
予想の的中率は半分といったところか、強面ではなく笑顔を浮かべていた。
しかし、良く見るとその瞳は笑っていない。なかなかの狸だ。
先程応対してくれた若者と足して二で割ると良い感じの企業戦士が出来上がりそうである。
「わざわざご足労をかけて申し訳ありません。これが先日頂いた名刺です」
「拝見します」
男は名刺を受取るとあちこち眺め始めた。
偽物の痕跡を探しているのだろうが、残念これは本物だ。
「ふむ、確かに当社の白石の名刺ですね。ここではなんですし、場所を変えて話を伺います」
「ありがとうございます。あ、名刺は返して欲しいのですが」
さっさと移動を始めようとした男に言うと、「これは失礼」と名刺を返してきた。
やはり相当な狸である。何も言わなければ名刺を取りあげられているところだった。
案内板によれば白石マテリアルの営業所があるのは四階だったが、男はエレベーターではなく脇にある扉へと向かう。
そういえば男が出てきたのもその扉だった。
予想はしていたが白石啓次に合わせてくれるという訳ではないらしい。
窓のない廊下は無機質な明かりに照らされて寒々しい雰囲気だった。その中を男と二人無言で歩く。幾度か角を曲がりある部屋の前に着くと、男は扉を開けて
「どうぞ、お入り下さい」
と声をかけてきた。
何となく嫌な予感がしたカラスは「失礼します」と一言言ってから素早く部屋の中に入った。
直後、背後を何かが通り抜ける気配を感じる。
二、三歩進み振り返ると入口の陰に隠れていたのだろう別の男が棒のようなものを振り切っている姿が目に入った。
「何をやっているんだ!避けられているじゃないか!」
案内して来た男が扉を閉めて部屋の中に入ってくる。
「客に向かっていきなり鈍器で殴りかかるなんて、最近の一流企業は粋な接待をするんですね」
カラスは結構上手い切り返しだな、と思っていたのだが、そう感じていたのは本人だけだったらしく、
「うるさい!どこで手に入れたのかは知らないがうちの社長の名刺を使って、たかりにきた害虫の分際で生意気なことを言うな!」
なかなかに酷い言われようである。
確かに当たらずとも遠からずな部分があるのでその点に関しては強く否定できない。
それにしても躊躇なく攻撃してきたところをみると、彼らにとってこうした出来事は割と日常茶飯事なのかもしれない。
なかなかに素敵なブラック企業である。
「あの、何か勘違いがあるようですが、俺はお宅の社長さんとの話が途中になっているので、続きのアポを取りに来ただけですよ」
一応説得を試みてみるが、
「嘘を吐くな!二度と強請ろうなんて気が起きないように体に分からせてやる!」
男たちは全く聞く耳を持っていなかった。
いつの間にかカラスを案内して来た男の方も武器を持っている。
「二人掛かりでしかも武器まで持っているとなると、正当防衛になるかな。いいですね、そっちから売って来た喧嘩ですからね」
カラスは誰にともなくそう言うと臨戦態勢に入る。
といっても特にファイティングポーズをとる訳でもなく、少し右足を引いて半身になる程度だ。
「うらああぁぁぁぁ!!」
見事なまでの奇声を上げて一人目が襲いかかってくる。
しかし先程の奇襲時ならともかく、正面切って大上段からの大振りな攻撃など避けるのは容易い。
カラスは軽く左に一歩踏み出すと、お返しとばかりに「ふっ!」と小さく息を吐きながらレバーブローを見舞う。
「ぐえええぇぇっ!!」
人数に得物と圧倒的優位に立っていたので反撃があるとは考えてもいなかったのだろう、男はまともに食らってしまい、床に倒れて悶絶していた。
ストリートファイトならすかさず止めを刺して戦闘不能に持ち込むのだが、さすがにそれは過剰防衛だろう。
とりあえず男の得物を手の届かない部屋の隅に蹴り飛ばすと、カラスはもう一人の男をジロリと睨みつけた。
「まだやりますか?」
声をかけると男は腰が抜けたのか「ヒィッ!」と悲鳴を上げて倒れこんでしまった。
どうやらこの男たちは雇われている用心棒――の先生――という訳ではなさそうだ。
「ふう、これは話し合いどころじゃなさそうだな……」
カラスはそう呟くと腰を抜かした男の方に歩み寄り、顔を近づけて用件を告げた。
「黒羽が『先日は父親の葬儀の相談に乗ってくれてありがとうございました。お礼をしたいので連絡を待っています』と言っていたと社長さんに伝えて下さい。それで話は通じます。分かりましたか?」
カラスの言葉に男はがくがくと首を縦に振った。
「あ、それとこの建物に入ってからのことは全部録音してありますから。三日以内に社長さんから連絡がない場合、週刊誌に面白い記事が載ることになりますのでよろしくお願いしますね」
ポケットからボイスレコーダーを取り出して見せると、男の顔が真っ青になった。
自業自得だ。
下手をすれば殺されていた可能性だってあるのだから同情してやる義理はない。
カラスは男たちを残して悠々と部屋から出て行ったのだった。
しかし、ここで終われないのがカラスという男だった。
「あれ?どっちだったっけ?」
案内されている時は前を歩く男の挙動に意識を集中していたせいか、部屋から出てすぐに道が分からなくなってしまっていた。
仕方なくあちらこちらを歩き回っていると、ある部屋から光が漏れているのが見えた。
このまま徘徊していて不審者扱いされても困るので、恥を忍んで道を教えてもらうことにする。
部屋の前のプレートには給湯室と書かれていた。
その名の通り部屋の奥ではやかんがコンロにかけられていて、女性が一人でお茶の準備をしている。
「あの、すみません」
驚かさないように慎重に声をかける。
「はい、何でしょうか?」
「実は案内してくれていた人と逸れてしまって……」
振り返った女性の顔を見てカラスの台詞が途中で止まる。
その女性こそ先日会った白石嬢だった。
「まさかあんな所で会うことになるとは思わなかったなあ」
喫茶店の奥まった席でカラスは上機嫌でそう口にした。相手はもちろん先程ばったり再会した白石嬢で、こちらは反対に不機嫌な顔をしていた。
「何だか運命的なものを感じるね。そうは思わない、相上織江さん?」
「この前と違って随分と馴れ馴れしいですね」
軽口に返ってくる言葉も冷ややかである。しかし、それも仕方のないことであろう、不幸なことに――カラスにとっては幸運なことに――ネームプレートを付けていたため先日名乗った白石姓は嘘であるとばれてしまった上に、本名まで知られてしまったのだから。
「さすがにお客様にはちゃんと敬語を使うよ。でも今はプライベートだからね。公私は分けるタイプなんだ」
「そうですか。立派な考え方ですね。でも私は、余り面識のない相手にも敬語を使う方が良いと思いますけれど」
「俺たちは十分面識があるだろう?二人っきりでコーヒーを飲んだ仲じゃないか」
軟派な態度を続けるカラスを織江が睨みつける。
「……前置きはもう良いです。あなたの用件は何ですか?何の目的があってあそこへ来ていたんですか?」
彼女に嘘を吐いている様子は見られない。
加えて、白石マテリアルの営業所にいたのならば、最初に連絡を入れた時点でカラスの訪問に気付いているはずである。
つまり織江は白石マテリアルとは別の会社に所属しているということになる。
「君のことをストーキングしていたわけじゃない。あそこで君と会ったのはあくまで偶然」
「そんなことは分かっています。私が聞きたいのは、私と会う前にあなたが何をしていたかということよ」
誤魔化すカラスに痺れを切らしたのか、織江の口調が厳しくなる。
「聞かなくても分かっているんじゃないか?君に会う以外で俺があそこに行く理由なんて一つしかないだろう」
この期に及んでしらを切っても無駄なことは分かっているが、相手がどの程度理解しているのかを試す意味も込めてわざと勿体ぶってみせる。
「マテリアルの啓次社長にコンタクトを取りにきたのね。でも駄目だった」
そして結果まで言い当ててみせた所から、織江はしっかりと理解しているといえた。
「そういうこと。まさかあんな歓待を受けるとは思わなかったよ。あの連中いつもあんなことをやっているのかい?」
「具体的に何をしているのかは知らないわ。噂だといきなり袋叩きにするとか、刃物で脅すとか怖いことをしているらしいけれど」
「その噂本当だよ。案内された部屋に入るなり木刀みたいなもので殴りかかられた」
あくまで噂だと思っていたのだろう、織江はカラスの言葉に目を丸くしていた。
「よく無事でいられたわね?」
「運は良い方なんだ。しかし、いくらグループ同士とはいえ他の会社にそんな噂が流れているってどうなんだろう?もしかして仲が悪かったりするのか?」
ふと浮かんできた疑問を投げかける。
「会社同士の仲が悪いというより啓次社長とその取り巻きが嫌われているだけよ。でも独自の人脈を使って実績を上げているから表立って文句が言えないの」
つまりは今でもそちらの筋のお兄さんたちと繋がりがあるということだ。
叩けばいくらでも埃が出てきそうだが、そんな話は聞いたことがないことから、権力側との繋がりも持っていると思われる。
既に何人かは宇宙へ放出されているのかもしれない。
「何だ、真面目に社長さんをしているのかと思ったら、中身はヤンチャしていた頃のままだったのか」
「そうよ。というか、あなたそんなことも知らずに会おうとしていたの?」
良く言えば大胆、悪く言えば無謀なカラスの行動に織江は呆れていた。
「いろいろと調べてはいるけど、直接会って話が聞けるならそれに越したことはないからね。飛び込みの営業みたいなものだよ」
「何だか違う気がするわ……」
納得のいかない様子の織江に、コホンと一つ咳払いをしてカラスは強引に話題転換を図った。
「とりあえず俺の方はそんな所だよ。今度は君の番だぜ」
「私?」
「とぼけるなよ。いくら見ず知らずの相手の前だとはいえ、白石啓次の娘になり済ますなんてことをただの一社員ができるはずがない。君は一体何者だ?」
「…………」
「聞きたいことは聞いておいて、いざ自分の都合が悪くなったらだんまりって言うのは褒められたことじゃないと思うけどな」
それでも織江は口を開こうとはしなかった。
無言のまま時間だけが過ぎていく。
どのくらい経ったのだろうか、先に折れたのはカラスだった。織江の頑なな態度に両手を上げて降参の意を示す。
「分かった、今はこれ以上のことは聞かない」
「良いの?」
「良くはないけれど無理矢理聞き出すわけにもいかないんだから仕方がないじゃないか。それに、そんな重要な話をしてもらえるくらい信頼されているなんて思えるほど自意識過剰じゃないつもり」
そう思えるに至った苦い過去が思い出されそうになったが、カラスはそれに無理矢理蓋をした。
今は辛い過去を思い出して凹むよりも目の前の美女とのパイプ作りを進める方が重要である。
「とりあえず俺の連絡先を教えておくよ。一日に何度かは確認しているから、そこに書き込んでくれれば翌日には連絡を返せる」
紙ナプキンにネット上のアドレスを書き込んで渡すと、織江は不思議そうな顔で尋ねてきた。
「え?端末は?」
個人用の端末は現代人にとって必須アイテムである。
地域によっては身分証明も兼ねて携帯が義務付けられている所すらあるほどだ。
「端末は持たない主義でね」
「ただ単に料金が払えないだけとか?」
「……そうとも言うな」
痛いところをズバッと突いてくる娘さんである。
カラスは一瞬返事に詰まってしまった。
「変な人。とにかく少し時間を頂戴。私の独断では話せないこともあるし」
しかし、そうした所も織江には好印象に映ったようだ。
実際に情報を回してくれるかどうかは分からないが、検討するに値する相手だと思わせることはできたらしい。
「分かった。それじゃあ君からの連絡が来るのを楽しみに待っているよ」
ここが引き際だと感じたカラスはそう言い残すと、二人分の支払いを済ませて先に店を出るのだった。
ちなみに危うく声が出そうになるくらい高価だったのだが、格好を付けようと領収書を貰わなかったために地味に痛い出費となってしまった。
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