第2話 鉢合わせる客たち

 強かった日差しも和らぎ影が長くなった街中をカラスは事務所に向かって走っていた。


「くそっ、あんな店入るんじゃなかった」


 思わず悪態を吐いてしまう。

 腹ごなしの散歩の後、時間つぶしに入った賭場で大当たりしたまでは良かったのだが、余りに引きが強過ぎたために店側に怪しまれて特別室に案内されてしまったのだ。

 運良く顔見知りがいたので儲けた大半を返すことで話を付けることはできたのだが、お陰で余計な時間を食ってしまったのだった。


 階段を駆け上がるとドアの鍵を急いで開ける。

 鍵が掛っていたことからまだ社長は帰ってきていないようだ。


「あの、黒羽葬儀社の方ですか?」


 ほっと息を吐いたところに声を掛けられて驚いて振り返ると、そこにいたのは妙齢の女性だった。


 美人だ。


 街ですれ違えばつい振り返って見てしまう程の美貌の持ち主だった。思わず見惚れていると女性は怪訝な顔をし始めた。


「おっと、すみません。私は黒羽葬儀社の者で、皆からはカラスと呼ばれています」


 慌てて名乗ると彼女は困惑したようだ。


「いきなり言われても意味が分かりませんよね。『最期のお別れの時こそ笑顔で』というのが当社のモットーでして、これは一つのユーモアなんです」


 モットーは本当だが、カラスと呼ぶ由来については嘘っぱちだったりする。


「ああ、黒羽葬儀社だからカラスさんなのですね」


 どうやらこの女性、頭の回転は速いようだ。安直なネーミングだが言われなければ気付かない人も案外多いのである。


「その通りです。……えっと、ところで当社に何か御用事でしょうか?」

「あ、私は本日お伺いする約束をしていた白石と申します」


 約束していたということは、名前は書かれていなかったがメモにあった来客者のことで間違いないだろう。


「社ちょ、いえ黒羽から伺っております。急用で留守にしていて申し訳ありませんでした。お待たせしてしまいましたか?」

「先程着いたばかりですから大丈夫です」

「そうですか。黒羽ももう直ぐ帰ってくると思いますので中に入ってお待ちください」


 ほんの数時間前まで自分が横になっていたソファに白石嬢を座らせると、飲み物の用意を始める。

 コーヒミルで豆を挽き、コーヒーメーカーにフィルターをセットする。ドリップを始めると部屋中に香りが広がっていった。


「お待たせしました」


 ミルクと砂糖をつけると、カップの持ち手を・・・・・・・・左にして・・・・白石嬢に出す。


「あの、お構いなく」

「いえいえ、お客様に飲み物をお出ししないなんてとんでもない」

「でも……」


 遠慮をしているのか彼女は口をつけようとしない。


「あ、コーヒー駄目でしたか?」


 中にはコーヒーが飲めない人や緑茶や紅茶でなければいけない人もいる。来客自体が久しぶりのことだったので、その点を確認するのをすっかり忘れていた。


「いえ、そういう訳ではないのですが……」


 飲み物を出されることなどよくあることだろうに、彼女はどこか落ち着きをなくしていた。コーヒーに何か入れられているかもしれないと警戒しているのだろうか?


(馬鹿馬鹿しい、ドラマじゃあるまいし。第一そんな危険に曝されている女性が一人でこんな辺鄙な所に来るはずがない)


 と、浮かんできた荒唐無稽な考えを打ち消した。黒羽葬儀社の入っているビルのある辺りは商業区からも官公庁舎の集まっている地区からも離れているため、どう言い繕ってもアクセスがしやすい場所とは言えないのである。


「無理にとは言いませんが、宜しければ飲んでみて下さい。豆から淹れたのでインスタントのものよりは美味しいと思いますよ」


 カラスの勧めに観念したのか白石嬢は「それじゃあ一口だけ」とカップを左手で口元へと運ぶ。

 その薬指には指輪も、その跡も無かった。やはり白石『嬢』である可能性が高そうだ。


「おいしい」

「お口に合ったようでなによりです」


 手を観察していたことはおくびにも出さず、カラスは笑顔で答えた。自分のカップを持ち彼女の向かいに正面から少しだけずらして座る。社長からも相手を頼まれていることだし、遠慮なく美女との二人きりの時間を楽しませてもらうことにしよう。


「うん、おいしい。やっぱり豆から淹れると風味が違いますね」


 にっこりと笑顔を向けると、緊張しているのか彼女は小さく「そうですね」と答えると黙ってしまう。まずは少しリラックスしてもらうことから始める必要がありそうだ。


「実のところ、普段はインスタントなんです。お客様が来たときだけこうして豆から淹れて、その御相伴にありつける訳ですけれど、御覧の通り入り組んだというか裏路地というか、ぶっちゃけ感じのよろしくない所なので、余りお客が来ないんですよ」


 突然の内情暴露に白石嬢は困惑しているようだ。


「しかも大抵の場合は社長の黒羽が応対するので、自分で淹れておきながらこうやってコーヒーを飲める機会は滅多にないんです。ですから……」


 そこで一旦言葉を切り、じっと白石嬢の瞳を見つめる。


「どうも御馳走様でした」


 真剣に見つめられて一体何を言われるのかと緊張していたのであろう、彼女は始めきょとんとしていたが、しばらくすると言葉の意味を理解したのか小さくくすりと笑った。


「良かった、ようやく笑ってもらえました」

「あ……その、ごめんなさい……」


 自虐ネタを笑ってしまったことを失礼に感じたのか白石嬢が謝る。そこからも彼女の育ちの良さが伺えるというものだ。

 カラスは彼女の謝罪をゆっくりと首を振って否定しながら、上客の匂いを感じ取り絶対に逃がしてはいけないと心の中で思っていた。


「構いませんよ。お客様の緊張をほぐすことができたのなら台所事情が悪かった甲斐があるというものです」

「そういうものでしょうか?」

「はい。そういうものです。とは言え、当社に来られるということは身内や知人に不幸がある、または不幸があったということでしょうから暗くなって当然だとは思いますが、ね」


 変化を促しながらも変わらずにいられる部分を何割か残す、カラスの会話術、というよりも人心掌握術の肝となる部分だ。

 つまり一部『ありのままのあなた』を認めることによって相手からの信頼を得ようとする訳である。


「無理に明るく楽しくする必要はありませんが、今から肩肘を張ったままだと本番になる前に疲れ果ててしまいます。ですから当社では足を運んで頂いた方になるべくリラックスしてもらうことを大切にしているのです」


 と、さりげなくPRしておくことも忘れない。大々的に広告が打てないため、口コミに頼るしかないからだ。

 彼女がいつかどこかで誰かに話してくれる可能性がある以上、そうした努力を怠る訳にはいかないのである。とは言え、極めて黒に近いグレーゾーンの職種なので余り有名になると困るのも確かだった。


 閑話休題。


「やはり本番はいろいろと大変なのでしょうか?」

「そうですね。家族または親類のみの家族葬ならともかく、特に来場者を制限しない場合は家族も知らないような故人の個人的な知り合いが来ることもありますから……」


 白石嬢の問いかけに途中でカラスは言葉を濁す。その脳裏にはつい先月取り行った葬儀で、やってきた故人の愛人と家族との間で修羅場になってしまった光景が思い出されていた。


「どうかなさいましたか?」


 黙り込んでしまったカラスに白石嬢が不思議そうな顔を向ける。


「いえ、何でもありません」


 さすがにあれは特殊な事例だと思いたい。カラスは笑顔で返すとコーヒーを飲み干した。


 いつの間にか時間が過ぎていたようで、気付くと官公庁だとそろそろ終業になる頃合いになっていた。女性と、それも美人と一緒に過ごしていると時間の流れが一層早く感じてしまうものなのである。

 そして長くなってきたとはいえ春の日の入りはまだまだ早い。はっきり言ってこの辺りは、昼間であれば問題ないが暗くなってから女性一人で歩くには物騒な地区である。

 申し訳ないが、今日の所はお帰り頂くということも視野に入れる必要がありそうだ。


 そんなことを考えていると外から話し声が聞こえてきた。

 ガチャリと大きな音を立てるドアを開けて入ってきたのはカラスの良く知る人物、つまりは社長の黒羽だった。


「やあ、遅くなってごめんね。丁度そこでお客様とばったり会ってね。さ、狭い所ですがどうぞ上がって下さい」


 一日に二人も客が来るなんて珍しいことがあったものだ。しかも客同士が顔を合わせるとなると、カラスの知る限り今まで一度もそんなことはなかったくらいの珍事である。


「失礼する」


 そう一言告げて黒羽の後ろから現れたのは五十歳前後の男だった。中肉中背の黒羽よりもしっかりした体つきではあったが、ダークグレーのスーツをきっちり着こなしていてどこか神経質そうな印象を与えていた。


 しかし、直後そんなことはどうでもよくなるようなことが起きた。


「お父さん!」


 男の姿を見た白石嬢が突然声を上げたのである。


「な!?どうして君がここに……?」

「それはこちらの台詞!お爺様のことは家族みんなで話し合って決める約束のはずよ!勝手なことをしないで!」


 男の声を遮ると、畳み掛けるように続ける。


「とにかく家に帰りましょう。すみません、今日の所はこれで失礼します。また改めてご連絡させて頂きますので」


 それだけ言うと唖然とするカラスたちを置いてきぼりにしたまま、彼女は男の手を引いて出て行ってしまったのだった。


「一体何がどうなっているんだい?」


 尋ねる黒羽にカラスはただ首を横に振るのだった。




「とにかく状況を整理しようか」


 白石嬢が黒羽の連れて来た男と一緒に出て行ってからしばらく経った後、二人は向かい合って座っていた。


「整理と言っても、俺は今日来る約束をしていたっていう彼女を部屋に通していただけですよ」


 淹れ直したコーヒー――今度は残念ながらインスタントである――に口をつけながらカラスが答えた。


「それがそもそもおかしいんだ。今日会う約束をしていたのは、私と一緒に入ってきた彼だよ」


 黒羽は懐の名刺入れから一枚取り出してカラスに渡した。

 そこには


「白石マテリアル株式会社代表取締役社長、白石啓次」


 と書かれていた。


「そう。白石グループの創始者で中核の白石工業会長である白石和馬の次男で、グループの傘下企業である白石マテリアルを任されている」


 白石工業及び白石グループと言えば新興ながらも一大企業体だ。

 重力遮断装置を用いた浮遊構造物の基盤・土台となる素材を開発、特許を取得したことで中堅企業から一気に大企業へと躍進を遂げたことで有名である。

 他にも宇宙空間における太陽光発電施設の基盤・土台製作も請け負っていたはずだ。


「そんな人がこんな時間にお伴も連れずにここまで来たんですか?」


 日が暮れてからは女性の独り歩きができないような場所だ。例え男でも身なりが良ければ襲われる可能性は高い。


「今でこそ立派な社長様だけど、若い頃は遊び回っていてこの界隈では有名人だったんだよ。だから何かあっても顔が効くと思っていたのかもしれないね。それとも誰にも言えないような内容の話だった、とか」

「誰にも言えない?コンタクトを取ってきたのは向こうなんでしょう?その時は何て言っていたんですか?」

「取り扱っているプランの内容ついて知りたい、できれば直接会って話を聞きたい、それだけだったよ。本当は身分を隠していたかったのかもしれないな。私が遊んでいた当時のことを知っていて、自分の面が割れていると分かってから渋々名刺を出してきたよ」


 プランの内容というのは、ようするに宇宙葬についてのことだろう。

 カラスは黒羽の戦利品である名刺をしげしげと見つめ直した。


「極秘でうちに連絡を入れてきたということは表沙汰にできない関係の誰かが亡くなった、ということですかね?」

「関係自体に問題はなくても表沙汰にできない人かもしれないよ。ほら、君が相手をしていた彼女は何と言っていたのかな?」

「お父さん?」

「違う、そっちじゃない。というか無理矢理ボケなくていいから」


 黒羽のツッコミに肩をすくめると、カラスは正解を口にする。


「『お爺様のことは家族みんなで決める』ですか」

「うん。あの子が白石啓次の娘だとするなら彼女から見て祖父というのは……」

「白石工業会長の白石和馬、ということになりますね」


 自分たちとはまるで縁のない財界の重鎮の名前が挙がると、部屋の中に妙に重苦しい空気が漂う。


「もちろん母方の祖父という可能性もあるけれど、今度は白石啓次本人が動いていることの説明がつかなくなる。これは私の勘だけど、遺産問題が絡んでいるね」


 大企業の創業者ともなれば個人資産だけでも莫大な金額だろう。


「それなら他の家族を出し抜こうとして、こっそり動いていたことにも説明がつきますね」


 カラスがそう言うと、黒羽は腕を組んで考え込み始めた。


「そこもちょっと気になるんだよなあ。君が相手をしていたあの女性は何者だい?」

「さあ?白石としか聞いていないです」

「おいおい、ちょっと不用心過ぎるんじゃないかい?カラス君、女に優しいのは良いけれど、女に甘くなっちゃいけないぜ」

「俺の落ち度は認めますけど、女にダダ甘の社長に言われたくはないです。いいから続きを話して下さい。一体何が気になっているんですか?」

「ちょっとした事なのだけどね、白石が彼女のことを『君』って呼んだのが他人行儀に聞こえたのさ。高圧的に『お前』とか言う人もいるだろうけれど、家族なら普通は名前で呼ぶんじゃないかな」


 そう言われると確かに不自然な気がしてくる。その後一気に捲し立てて白石啓次を連れだしたのは彼に余計な事を喋らせないためだったのかもしれない。


「何にせよせっかくの上客だ。逃がすのはもったいないから少し調べてみようか」


 黒羽の言葉にしばらくは忙しくなりそうだとカラスは感じていた。

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