第2話
それからぼくの一日は変わった。
ぼくは、「図書館」に通い詰めた。
小説やノンフィクション、解説書など、棚に並ぶ本を片っ端から読んでいった。
棚に並ぶ背表紙を眺めて、司書に問うた。
「殺人事件、とタイトルにつく本が多いですね」
「ミステリーだよ。ミステリーは殺人事件の謎解きをネタにするものが多いからね。かつては、娯楽小説の王者だった……いまではすっかり、廃れてしまったが」
「ぼくは好きですよ……この本、貸してくれますか?」
「いいよ。貸し出しカードを作ってあげる」
本の裏表紙の内側に差し込んであるカードに自分の名前を書き込み、司書に渡した。数冊の本を借り、鞄に入れた。夜、自宅でそっと読みふけった。
学校に行って、休み時間に「図書館」から借りてきた本をめくっていると、隣席の生徒がのぞき込んできた。
「なに、それ」
「本だよ。紙の本」
「へえ……はじめて見るな、紙の本を読んでるひと」
「博物館か、骨董品屋にしかないものだと思ってた」
しかし彼は、表紙に印刷されたタイトルを見て、眉をひそめた。
「殺人事件……だって?」
ぼくは内容を説明した。大富豪の家で、遺産目当ての親族が次々に殺されていき、その犯人を名探偵が当てる、というオーソドックスな趣向の探偵小説だ。
しかし、渋面は変わらなかった。
「ちょっとそれは……。面白半分に人を殺して犯人を当ててみろ、だなんてお話にしても、残酷すぎないか」
「いや、そんなことないよ」
「趣味が悪すぎるな」
同級生は目をそらした。
ぼくは嫌な気分になって、本を鞄にしまった。
そのときは、説明の仕方が悪かったのかな、と思っただけだった。
昼休み。
昼食をとったあと、生徒は思い思いに自由時間を過ごしている。
校庭に出た。広い校庭に散らばって、生徒が思い思いに身体を動かしている。
足下の土には薄く白い線が引かれている。球技のフィールドに使われた名残だろうか。片隅にはサッカーのゴールがあるが、このところは全く使われていないようだ。
サッカーというスポーツが、この学校でプレイされているのを見たことがない。ぼくが生まれる前、サッカーはとても人気のあるスポーツらしかったが……。
ふと、本で読んだ遊びをやってみたくなった。「ドッジボール」というもので、ボールを相手の陣地にいるひとの身体に投げつけ、多く相手側の選手にボールをぶつけた方が勝ちになるものだという。
体育倉庫から使えそうなボールを持ちだし、級友のひとりに問いかけた。
「面白い遊びを知ってる。やらない?」
「どんなの?」
「こんなの」
そう言って軽くボールを投げつけてみた。腰のあたりにぶつかり、弾んだ。
「!」
不意にぶつけられた彼はひどく驚いて、その場にへたり込んでしまった。
「やめてよ!」
「なにをやってるのですか!」
教師がやってきた。
「危ないことはおやめなさい!」
「……ごめんなさい」
ぶつけた生徒に頭を下げて、その場は収まった。
そんなむしゃくしゃしたことがあっても。学校が終わったら「図書館」に行けると思うと、頭の中のもやもやが晴れていった。
もう学校の帰りに「図書館」に寄るのは、日常の一部になっていった。
この建物には、いつ来てもぼくしかいないのだ。もっとも、誰かを誘う気もなかった。
蔵書には、新聞の縮刷版や雑誌、マンガもあった。
雑誌の記事は、当時の流行語や世相に依拠した表現が多く、意味が取れないこともあった。新聞にも雑誌にも、犯罪事件の記事がずいぶん多い印象があった。いまやネットニュースなどでは、犯罪事件が報道されることは、殆どないのだ。
マンガもいくつか読んでみたが、公道である峠道での、クルマのレースを描いたものが印象に残った――時代を感じさせた、という意味で。
20世紀から21世紀初頭のクルマは、危険な可燃物であるガソリンを燃料にして排気ガスと騒音を垂れ流していた。そのうえさらに自動車を人間が運転するという、致命的な事故を起こしかねない危険行為は、まったく理解できなかった。
ぼくが知っている「クルマ」は、電気駆動の自動運転車だ。自動運転車によるカーシェアリングシステムが、公共交通、そしてマイカーを駆逐したのだ。
前時代のバスとは違って自分の好きな時間に好きな場所で乗れ、サービス範囲内なら好きなところに行ける。むろんかつての自動車で必要とされた「運転免許」は不要で、だれでも乗れる。荷物が多くても気にならない。空車のタクシーのように道路を「流して」おけば、必要なところにすぐに駆けつけられる。それに、非常事態には救急車の代わりにもなるのだ。ひとびとは自前で自動車を買い、維持する必要がなくなっていた。もはやマイカーを持つ家は少数派だ。
前時代の内燃機関駆動の自動車は、「交通機関」と呼ぶには、はるかに不完全で、危険で野蛮な代物にしか見えない。
かつては、こういったものが人気だったんだろうか。奇妙な感触だった。
「朝の十分間読書の時間です」
教師の言葉とともに、教室の皆は端末を机上に置いた。
この学校では、始業までの十分間は、好きな本を読む時間として設定されている。
本の内容は制限されていない。授業に関係なくても、小説でもそれ以外でもOKだ。
しかし、レーティングの問題はそこにもつきまとうのだが。
そのとき、ぼくはみんなのように電子書籍の端末ではなく、紙の本を机上に出した。『羊たちの沈黙』。表紙にはそう書いてある。
黙ってページをめくっていると、教師が近づいてきた。
「何を読んでいるの」
手にとってぱらぱらとめくった。そして、奇異な目でぼくを見た。
「今度から端末を持ってきなさい、いいね」
休み時間にも構わず読んだ。本やぼくに興味を持つ同級生はいなかった。放課後も教室に残って読み終えて学校帰りに「図書館」に行き、続編の『ハンニバル』を手に取った。
そんな日々を続けていると。ある日、母親にこう問われた。
「最近、どこに行ってるの?」
行動記録のログは、保護者に提供されているはずだ。
「市民センターに行ってるって聞いたけど、ほんとなの?」
ぼくは正直に話した。
「……図書館」
「図書館って、建物の? いまどき、そんなものがあるの?」
「紙の本が置いてあるところだよ」
それを聞くと、母親はちょっと眉をひそめた。
「ゾーニングされていない本を読むのは、よくないわ」
それだけ言った。
数日後、家に帰ると、母親がちょっと眉をひそめて、こんなことを訊ねてきた。
「学校から、こんな通知が来てるけど、どうしたの?」
見せられた端末の表示には、こんな文面があった。
あなたのお子様は日常の言動、行動などから、専門家によるカウンセリングを受けるのが望ましいと判定されました。
×月×日に、指定された健康相談プログラムを受けて下さい。
言われた日に、学校の保健室でカウンセリングを受けた。
個室に呼ばれて、中年女性のカウンセラーを模したアバターと小一時間話をした。
ホログラフィの「彼女」は愛想がよく、たわいのない話しかしなかったが、愉快な体験ではなかった。
和やかな会話の中にも、さまざまな日常の問題や興味、それに読書傾向を、職業的な鋭さで緻密に聞き出そうとしていたからだ。
「学校ではどう?」
「まあまあです」
「お父さん、お母さんとの関係は? うまくいってる?」
「いってますよ」
「親にも言えない悩み事って、ある?」
「あなたにも言えません」
適当にいなしたが、「カウンセラー」は表情を変えないまま、別の方向の質問を繰り出してきた。
「あなた、本を読むのが好きなの?」
「はい。でも、物足りないです」
「どうして?」
「読みたい本が読めないからです」
「たとえば?」
読んだり、興味を持っていた本のうち、穏当と思われる本のタイトルを挙げてみた。
「なるほどなるほど……」
彼女は殊更うなずいてみせる。
「何にでも興味を持つのはよいことです。でも、その年齢にふさわしい本、適した作品というのがあるのですよ」
「そうなんですか」
「こんな本を読んでみたらどう?」
やんわりとだが、当たり障りのない本を読むように指導もされた。むろん、電子書籍である。
現在一般に出回っている「文学書」は、ゾーニングの元に暴力や性的描写、差別的な描写が改変されている。
元本は大学生になって、研究目的など特別な許可を得れば読めるようになると言うが、それまで待てるだろうか。
しかしその前に、自分はどうやら、要注意人物と扱われているらしいということを思い知らされたのだ。
ぼくの欲求不満はたまる一方だった。
電子書籍は結局、読んだ本の記録が閲覧される。それは、自分の頭の中が、なにもかも、筒抜けになってしまうということだ。
むかつくような思いを抱いて帰り道を歩いて行くと、
「にゃあ」
猫がこちらを向いて、ひと声啼いた。
近所を徘徊している、虎猫だ。何度か見たことがある。
「おいで」
「みゃう」
手招きすると、こちらへ寄ってきた。抱き寄せながらふと、「猫鍋」という言葉が思い出された。昔は結構ポピュラーだったようで、たしか、最近読んだ『吾輩は猫である』にも出てきたような……。
そして――。
夏の晩だった。
「ここに座りなさい」
父親が、ダイニングのテーブルにぼくを呼んだ。その傍らには母親が、俯いて座っている。
口を開いたのは、母親だった。
眼を合わせず、ぽつりと言った。
「猫を殺したのは、おまえなの?」
「……」
ぼくはうなずいた。
「警察から連絡が来てるんだよ。監視カメラに猫を抱いてるお前が映ってたって。そのまま家に連れ込んで出てこなかって……場合によっては、事情を聞かなくちゃならないかもしれないって、刑事さんは言ってた」
「ええっ」
「正直に言いなさい。どうして、そんなことをしたんだ?」
「食べたかった」
「!」
「『猫鍋』ってのがあるって、本に書いてあった。だから殺して捌いて、鍋にして煮込んだ。面白そうだったから。ひとくちふたくち食べたけど、美味しくなかったので、捨てた」
母親は顔を伏せている。血の気が引いているようだ。
「なんてことをするんだ!」
ばん! と思いっきりテーブルを叩いた。
「おまえ、あの図書館なんてところに通い始めてから、ろくなことをしないな」
母親はただ、涙をぽろぽろこぼしている。
「もう行くんじゃないぞ、絶対だぞ!」
しかし、いくら怒っても「本」の登場人物のように頬を引っぱたいたりはしない。言葉だけである。
でも、もう昨日と同じ暮らしは送れない。親は僕の行動ログを見ることが出来るので、「図書館」に近づくだけで、親に警告が行くはずである。
「とりあえず、スクールカウンセラーに相談をしなくちゃな。明日連絡するからな」
説教は続き、解放されたのは、夜も遅くになっていた。
床に入っても、眠れなかった。
明日から「図書館」に行けないなんて、本が読めないなんて、あり得ない。
今回の行為についてカウンセラーにとやかく言われるより、その仕打ちこそ許せなかった。
眠れないまま、真夜中になった。
ぼくの中にある考えがわき上がり、頭を満たした。振り払って眠ろうとしても、目が冴えるばかりだ。
午前2時。考えを実行に移すことを決意した。
床を抜け出し、そっと部屋を出る。
階段を降りて台所へ行き、キッチンから包丁を二本持ちだした。引き出しを探ると、果物ナイフが見つかり、それもポケットに入れた。
それからコップに水を汲み、飲んだ。台所にいることを見つかったときの言い訳ではなく、本当にのどが渇いたのだ。
一息つくと、包丁を握って、母親の寝室に向かった。
音を立てずに扉を開ける。廊下の明かりが部屋の中を照らし出す。
ベッドで眠っていた。足音を立てずに歩み寄ると、寝返りを打ってこちらを向いた。目が覚めたような気がして、振りかぶって包丁を母の身体に突き刺した。
手応えがあった、何度もその動作を繰り返した。包丁を振り下ろすたび、顔や身体に液体が飛んできた
口からうめき声のようなものを上げ、沈黙した。
「どうしたんだ?」
異変を察知した父が、隣の寝室からこちらを伺った。
ドアの陰にいる父に向かって、もう一本の出刃包丁を構え、ぶつかっていった。
包丁は父の下腹のあたりに深々と刺さった。
父はなにかを言ったようだったが、聞き取れなかった。そのまま仰向けに倒れた。
血まみれで呻く両親をそのままに、ポケットからライターを取り出した。物置で見つけたものだ。喫煙の習慣はとっくに廃れていたが、この家に住んでいた祖父か曾祖父が使っていたものらしい。
親指で押し下げてかちり、と鳴らすと、青い炎が上がる。母が寝ていたベッドの、掛け布団にその炎を燃え移らせた。母親を包んだ布団は、瞬く間に燃え上がった。
熱気と煙、火の勢いに押されて、家の外に出た。
窓から炎が吹き出、ぼくが生まれてから十四年間住んでいた家は、屋根まで火に包まれた。
ぼくは玄関の前に立ち尽くして、消防車がやってくるのを、ただ待っていた。
「どうしたんだ?」
消防士とともに駆けつけた警官に、正直に告白した。
「ぼくが、火をつけました」
「本当かね。ちょっと警察署までご同行願えないか」
連れて行かれた警察署の取調室で、刑事に両親を殺害して放火したことを告げた。そのままぼくは、逮捕された。
「どうしてこんなことをしたんだ?」
「本が、読めないからです」
取り調べにはそれだけ応えて、口をつぐんだ。それ以上の理由は、自分でも分からなかったからだ。
警察署には二十三日間勾留されて取り調べを受け、精神鑑定の名目で入院した。脳手術を受けたが、どのようなものかは見当がつく。
退院すると少年鑑別所に送致された。鑑別所では心理テスト、面接などを受け、家庭裁判所に送致されて判断を仰ぐことになった。
そのとき、鑑別所の面接官が言ったことは鮮明に覚えている。
「脳活動を記録したライフログと刺激反応によれば、きみは元来暴力的、サディズム的な性向があったようだ。メディアコントロールによってその興味は抑えられていたが、ゾーニングされていない紙の書籍を読むことによって、暴力的な性向は増幅され、今回の事件に至ったのだよ」
つまり、ぼくが両親を殺したのは、本を読んだから、ということらしい。
そうかもしれない――。
かつて「若年層の犯罪、とくに凶悪なものが増加している」との誤解に基づき、極端な重罰化が推し進められたことがあった。
しかし、矯正効果よりも社会からの隔離が重視され、スティグマ化が、矯正や社会防衛のためには必ずしも良い効果を生まなかったのが分かっている。
現在ではその反省にもとづき、逸脱現象の正しい把握と人格矯正に主眼が置かれた処遇が行われている。
矯正教育の進歩には、むしろ、脳科学の進歩によるものが大きい。脳活動をリアルタイムでモニタリングすることが出来るようになり、活性化部位に刺激を与えることによって性的興奮、破壊衝動などをコントロールすることが、実用化の段階に達しようとしている。
また往々にして社会的不適応の原因になる自閉症スペクトラム、広汎性発達障害などは、障害の段階、社会的環境に応じた適切な対処が可能になりつつある。
触法少年はあくまでも「患者」と見なし、再教育を施して社会復帰の道を歩ませるのが望ましい。かつては世論の抵抗があったが、現在ではそのための社会的コンセンサスも、得られつつある。
(法務省監修『新しい少年審判と少年事件の処遇について』 2048年改定版)
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