かちかち山2050
foxhanger
第1話
「ごめんなさい。もう悪いことはしないよ。これからはおばあさんのお手伝いをするから、ゆるしてよ」
たぬきはおじいさん、おばあさん、そしてうさぎにあやまったので、うさぎはたぬきを助けてあげました。
心を入れかえたたぬきは、おばあさんのてつだいをしてくらしたそうです。めでたし、めでたし。
ぼくの読んだことのある民話『かちかち山』は、こんな終わり方になっている。老夫婦に意地悪をして困らせたたぬきは、うさぎたちに懲らしめられ、最後にたぬきは改心するのだ。
しかし、本当の内容、結末は違うことを、大きくなってから知ることになった。たぬきがしたことは「いたずら」なんて生易しいものではない。おばあさんを生きたまま鍋で煮て「ばばあ汁」をこしらえ、おじいさんがそれを食わされる。その仇討ちとしてたぬきは泥船に乗せられ、海の真ん中で船が溶けておぼれ死ぬのだ、という。
「この物語は、年齢指定により適切な描写に変更されております」
それは、ぼくが読んだ電子書籍タブレットに表示された「絵本」の巻末に記されていた文句だが、幼い頃はまだ、その意味が分からなかった。
オリジナルのラストは、子供に読ませるには残酷すぎる、ということらしい。
だからぼくは、『かちかち山』の本当のラストを読んだことがない。
それだけではなかった。
グリム童話『おおかみと七匹の子やぎ』も、ぼくの読んだことのあるバージョンは、狼は子やぎを食べずに、さらって隠してしまうと修正されている。
ペローの『赤ずきん』もそうだ。おばあさんも赤ずきんも狼に食べられず、監禁されて通りすがりの猟師に助け出される、とある。
どれも、原典にあった残酷な描写をカットし、マイルドにしているようだ。
童話やおとぎ話をきちんと読むことが出来ないまま、ぼくは大きくなった……。
本を読むのは愉しかった。
本は知らないことに答えを出してくれ、また別の知らないことを連れてくる。身近にあるいろいろなもの細部が鮮やかに見えるようになり、細部に込められたおのおののの意味も分かってくる。
本を読むごとに知識が増えていき、世界の見え方も違ってくる。
でもまだ、不十分なことがあるのだ。
本をいろいろと読んでいるうちに、なにかが違っていることに気がついたのだ。
そのときぼくは、二〇世紀の小説に興味を持っていた。しかし、読めないものがたくさんあるのだ。
タイトルで興味を持っていた推理小説の『占星術殺人事件』を選んでみる。電子書店にアクセスし、ダウンロードの手続きを取ろうとする。しかし、端末には警告の表示が出た。
「ペアレンタルロック この小説は保護者の意向によってあなたへの閲覧が制限されています」
『Yの悲劇』に至っては、いまだにどんな話だか分からない。
三島由紀夫も『潮騒』は読めたが、『午後の曳航』は不適格と判定されたのだ。
ほかにも貴志祐介『青の炎』、岡嶋二人『チョコレートゲーム』……ぼくが興味を持った「本」は、ことごとく端末にダウンロード出来ないのだ。
「本」というものが、印刷された紙の束を綴じたものから、電子情報と閲覧のための機器となった時代になって、ずいぶん経った。
データをネット経由でダウンロードし、個人が持っている端末で読む。何千冊、何万冊もの情報を手元のタブレットで瞬時に読み出せる。
本の情報はオンデマンドで速やかに配信されるので、好きなときに好きな本を読むことが出来、読みたい本が絶版で手に入らないということも存在しない。
電子書籍の黎明期、普及の障害になっていた諸々の難関は、大半がクリアされた。
しかし、その代償はあった。システムにどんな本を読んでいるかというログを残すことになってしまったのだ。
それは、ネットの黎明期に主張された問題が尾を引いている。
年少者がネットを経由して、青少年に有害と思われる情報に簡単にアクセスできることだった。
むろん従来の書籍でも起こる問題だが、世論が「新しい技術」に警戒するのは、毎度の反応である。アクセスのログを取り、未成年者の操作する機器では「有害」情報へのアクセスを遮断する対策が取られた。
電子書籍でも同様の問題は起こりえる。保護者の知らないところで「青少年に有害」とされた電子書籍をダウンロードして、閲覧する懸念が取りざたされた。
出版業界は、表現の自由を守る代償として、ゾーニングを受け入れることになった。ハードウェアは個人認証をしなければ電子書籍を閲覧できず、レーティング対象の年齢に満たないユーザーのアクセスを不可能にする仕組みだ。
同時に整備されたのが、閲覧ログだ。保護者は子供の閲覧ログにアクセスすることができ、どんな本を読んでいるかを把握し、読ませたくない本を選別することが出来る。
そして保護者が「不適切」と判断された本は、閲覧が不能になる。また、「親と一緒の読書を推奨」という表記が出る場合もある。
「子供を有害な情報から守るため」という大義名分の元、子供の読書は、親や教師といった保護者に完璧に管理されているのだ。
さらに一部の書籍では、対象年齢にとって不適当と思われる描写を穏当なものに変える「改変」が行われていた。『かちかち山』のような「残酷」な昔話を穏当なものにする書き換えは、以前から行われていた。その範囲は著作者のいない昔話はもとより、最近の作者のものにまで拡大している。
ぼくはそんな状況に、苛立つばかりだった。思いつく限りの方策を試みたが、なんともならない。
江戸川乱歩も横溝正史も、名前はあちこちで見るのだが、小説は読むことが出来ないのだ。
「行ってきます」
学校に登校するために、家を出る。
坂の多い町だった。駅まで坂を登って、降りて、また登る。大通りを渡れば、駅だ。
ぼくは一人っ子で、両親との三人暮らしだった。父はスポーツ施設の指導員で、母は専業主婦だが、ボランティアで老健施設の手伝いをしている。
家族は両親と自分しかいない。この時代には珍しい家族構成だった。
国民に最低限の所得を無条件で支給するベーシックインカムが支給されるようになって、世帯の頭数が多いほど世帯収入が多くなるようになった。ベーシックインカムは個人単位で支給されるが、財産は未だに家族単位であるので、大家族の方が「豊か」になるのは間違いないからだ。
ホームに3両編成のLRTが滑り込んできた。学校は3駅先だ。
自動運転車の普及で、地方ではすでに廃れつつある鉄道だが、ここはまだまだ現役だ。
ぼくの乗車は改札を通るたび、定期券でチェックされて、予想される時間の範囲内に通過が確認されないと、保護者に連絡が行くようになっている。同時にGPSと監視カメラの解析システムが作動し、どこにいるかは瞬時にばれてしまう。
街中の要所に監視カメラが設置されているのは、今世紀初頭からもう見慣れた光景になっている。監視されるのはすでに生活の一部だ。
最近の主流は、カメラバグと呼ばれる、蝿や蚊ぐらいの大きさしかないドローンだった。一体の小さなレンズでは解像度はたかが知れているが、数体が干渉すると鮮明な像を移すことが出来る。
降りて、正面が学校だ。
進学するとき、両親は、ちょっと離れたこの学校を薦めたのだった。
このところ主流の単位制で、クラス単位はあるが登校時と下校前のホームルームのみ。教科の授業を受けるときは、ばらけて教科単位の教室に移動する。部活も自由意志で、学校単位を離れてスポーツセンターや文化センターで行うことが多い。
近所の公立学校は未だに古風な学級制と部活制にこだわり、子どもを監視、束縛することを是としているため、親はこちらの学校を薦めたのだ。
休み時間はタブレットだけを持って移動する。この端末が教科書でありノートでもある。
かつての「中学生」より、教科の理解度ははるかに進んでいるという。
一時間目は、国語の授業だった。端末に表示された教科書――「本」の文面を眺めながら、読んだことのない、読めない本のことを考えていた。
端末は個人単位で認証されるので、親など成人の端末を使って読むことも不可能なのだ。
読めない本はいつでも面白く、刺激的に思える。
机の下で、そっと電子書籍の画面を点けた。表紙の画像をタップすると、「アクセスが制限されています」という表示が出る。
そんなある日。
学校の帰り、ちょっと寄り道して、普段は通らない道を歩いて行った。
どこまで歩いても、同じような家が並んでいる。
そのなかに、ひときわ目立つ古い建物があった
洋館のようだが、長い間放置されてきたようなボロボロの外観。庭木は野放図に茂り、手入れがされていないようだった。
さりげなく掲げられている門標には「LIBRARY」とある。
「……図書館だって?」
この時代にある「図書館」とは、電脳空間に存在するバーチャルな存在だ。
地域住民や学生、生徒を対象としたライブラリサービスで、居ながらにして電子書籍が無料で一定期間端末に配信され、読むことが出来る。しかし、同じものは連続して借りられないし、同一電子書籍の通算貸し出し回数も限度がある。コピーにも制限がかかっており、著者の権利は守られている。
だから紙の本を置いてある図書館など、過去のものになっていた。国立の図書館くらいしか、残っていないのではないか。当然ながらぼくは、そんなところには行けない。
そんなものが、まだあったとは。
おそるおそる扉を押してみると、簡単に開いた。
「おや、どなた」
人の気配を察したのか、中から老人が出てきた。
「いらっしゃい」
「この家のひとですか?」
「わたしは司書だよ」
「ししょ?」
「図書館で本の整理、分類を行う仕事さ。この図書館の管理を任されてるものだ。でももう、留守番みたいなもんだがね」
老人はにこやかだった。
「こっちへいらっしゃい」
高い天井。装飾を施された階段の手すり。そこかしこに贅を尽くされた装飾が施されている。
敷き詰められた絨毯に足を踏み込むと、沈みこむ感触があった。
窓にはカーテンが閉められ、直射日光が入らないようになっていた。室内はほどよく薄暗い。
利便性に劣る紙の本は今や、時折骨董品屋の店頭で目にするくらいだ。
「ここはもともと、わたしの祖父のコレクションだったんだ。このご時世に紙の本を集めている好事家で、亡くなったときに、遺言を元に私設図書館を作った。紙の本が読みたいひとなら、誰でも大歓迎なんだが……」
老人はちょっと遠い目をした。
「いや、利用者は、ほんとうに久しぶりだ。こっちへどうぞ」
廊下の奥にある開架書庫に通された。学校の教室より広いだろう部屋には書架が立ち並び、そのどれにも、上から下まで本がぎっしり詰まっている。
こんなにたくさん本がある場所に入るのは、はじめてだった。
ぼくは棚に並ぶ背表紙を、しばらく見入っていた。
「すごい」
「ここにある本は、どれでも自由に読んでいいよ」
「ありがとうございます」
天国だ、と思った。
ペアレンタルロックがかかり、常にアクセスログが保護者に丸見えの自分の端末でなく、紙の本を自由に手にとって読むことが出来る。そこには何の制限もない。
「また来てもいいですか」
「いつでもおいで」
興奮して帰り道についた。
よほど目についたのだろう、食事の時、母親が声をかけてきた。
「今日は機嫌がいいのね、学校で何かあったの?」
「何でもないよ」
母親には言わなかった。
ここはぼくだけの秘密の場所にしておこう、とも思ったからだ。
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