【距離:密着】触れ合い通じ合い想い合えるレベル
100.オバケなんてないさ
宴会場を抜け、一人で部屋に戻ったあたしは、電気もつけずにベッドに飛び込んだ。
かけっ放しのエアコンの冷気以上に、突然の来訪者の意図がわからなくて、あたしは震えた。
ブランケットに潜り込み、さっきの光景を耳だけを頼りに思い返す。……うん、ダメだ。全く意味がわからない。
ちょっと、流れを追ってみよう。
奴が現れる。
モルガナ殴る。
来るなと言ったのに来たことを怒る。
二人で出ていく。
…………いや、ダメだ。やっぱりさっぱりわからん。
今度は一つずつ、考えてみよう。
1.『奴が現れる』
――これはまあ、夏の恒例行事だからアリか。
2.『モルガナ殴る』
――あたしが殴られたってことを知ってるわけだから、これも仕方ない。
3.『モルガナ、来るなと言ったのに来たことを怒る』
――今年はあたしも来ているって伝えたんだろう。ならこれもわかる。
ん? ああ、ここだな。この3が、1の『奴が現れる』と噛み合わないんだ。
4.『二人で出ていく』
――だがここで、お互いの勘違いか何かを訂正して、万事解決!
…………ってことには、ならないか。ならないよねえ、ですよねー。
あたしはブランケットの中で、ため息をついた。
考えにくいけど――あたしがここにいるって知ってて、母さんに止められたにも関わらず来た。そういうことなんだろう。
だけど、何のために?
殴りに来たのか?
時間が経ったら、これまでのことを冷静に考えられるようになって、思い返してみたらふつふつ怒りが湧いてきたのかもしれない。その怒りにもしっかり片をつけて、言葉だけじゃなく肉体でも二度と近付くなって別れを叩き付けに来たのかもしれない。
あたしはさらにブランケットの中で、身を縮めた。
まだ、鼓動が痛いくらいに高鳴っている。
アインスがいた。
背後に、アインスの気配を感じた。
駆け付けてきたのか、荒い呼吸音が、聞こえた。
それだけで、あたしはこんなに動揺してる。どんな理由でも、また会えたことが嬉しくて嬉しくて。
だけどそんな自分が惨めで哀れで堪らない。自分で自分が嫌になる。
でも嬉しかった。アインスが近くにいるだけで、すごく嬉しかった。嬉しかったから、振り返れなかった。目が開けなかった。
また奈落に落とされるのが、怖かったから。
振り向いて、最後に見たあの冷酷な瞳をもう一度目にしたら、更に絶望してしまう。
充分に傷ついたはずなのに、まだ傷つく余地はあるみたいで――あたしはきっと、どこかで期待してたんだろう。いつか、戻れる日が来るかもしれない、って。
バカみたい。そんなこと、あるわけないのに。期待するだけ無駄なのに。
切なくて涙が出てきた。もう泣きたくなかったのに、泣いても意味ないってわかってるのに、どれだけ自分に言い聞かせても、我慢できなかった。
いつでも会えるという、ミクルの言葉が蘇る。
それに期待して、姿見るたびに泣いてりゃ世話ないよ。
唐突に、マーブルを離れようかな、と思った。
アインスがいる間だけ、ではなく、すれ違うこともなさそうなどこか遠くへ。仕事を辞めて、友人や家族達とも離れて。
アインスに会う可能性を限りなく低くして、ううん、ゼロにしてしまえばいい。もう二度と会わないという言葉に従って、あたしも行動すればいい。
その内に、この想いも死ぬだろう――――いつか出会う、運命の人に上書きされて。
一度死んだことにして新天地で生まれ変わる、名付けて『エイル・リニューアル計画』は、素晴らしい名案に思えた。
果てしなくバカげてるけど、凄まじく自分勝手だけど、よくよくわかっているけれど、それでも、あたしは逃れたくて楽になりたくて仕方なかった。
切ない、悲しい、辛い、苦しい、寂しい――――そんな苦痛しかない、この恋から。
泣きながら移住計画をあれこれ妄想している内に、あたしは眠ってしまった。精神的に疲労すると睡眠へ逃亡する悪癖を、この時ほどありがたいと思ったことはない。
暑苦しさと息苦しさで、あたしは目を覚ました。
何時なのかわからないけど、周囲は真っ暗だ。
朝まで寝ていたかったのに……何なんだ、クソ。
起きてみれば何のことはない、ブランケットの中で眠ってしまったからだ。しかし、抜け出そうとしたけれど、抜けられない。
何のことはない、誰かが背後からしがみついているからだ。
いや待て、何のことあるだろ!
「ちょ……ミクル、ベッド間違えてる。暑い。苦しい。何より気持ち悪い!」
あたしは必死に身体を捩らせて訴えた。けれど、答えはない。
そうだった、ミクルの奴、もんのすんごく寝汚いんだったよ。そのせいで、今だに実家住まいなんだよね。ノエル姉の鉄拳なしじゃ、朝起きられないからって。
体を押さえ込まれてるので、奴を叩き起こすには頭突きしかない。
仕方なくあたしは振り向いて――――しかし、凍り付いた。
カーテンを開け放した窓から注ぐ、豊かな月光に照らされて浮かび上がるは、青白く光る目。
――聞いたことがある。
この『ソ・ミイナ』では、満月の夜になると付近で水死した者の霊魂が建物内を彷徨い、波長の合う者を探して連れて行く、みたいな話。
そういやあたし、死ぬだとか楽になりたいとか考えてた、ような?
…………やばい、呼んじゃった! オバケ呼んじゃった!
あたしは慌ててブランケットにまた顔を埋め、目を閉じた。
いや、隠れたって無駄だ。
生きる意志を伝えなければ、連れて行かれる!
「オバケさん、許して下さい! あたし、まだ死ぬ気はないんです!」
ガタガタ震えながら、あたしは必死に訴えた。
「あれは……その、とにかくそういう意味じゃないんです! 心機一転っていう前向きなものであって、あなたが考えてるようなことじゃないんです! オバケさん、あたし協力しますから! 成仏できるようにお手伝いしますから! お願いします、あの世へ強制連行だけは勘弁して下さい!!」
オバケの体がゆらゆらと揺れる。どうやら笑ってるらしい。
こんなにお願いしてるのに通じないよ!?
何これ、超悪霊ってやつなんじゃねーの!?
よ、よし……なら、もっと強気でいったる!!
「連れてったりなんかしたら、あたしの母親がマジ切れするよ! 見た目は普通のオバハンだけど、中身は血も涙もない極悪ババアだぞ? キマイラ、クラーケン、ガーゴイルくらいなら余裕一撃で倒せるし、激昂状態に陥ったらドラゴンの群れも殲滅できる戦闘力持ってるんだからな!!」
悪霊、さらに笑う。
どうしよう、王者モルガナも通じない!
ていうかさ、このオバケ、もしやあたしをバカにしてる?
ああ、何か怖いの通り越して……腹立ってきた!!
「おい貴様、あたしがチビッコだからって見くびってんな? なら試しに連れてってみるか? やれるもんならやってみろ! その前にエイルパンチ、エイルキック、エイルバスターであの世に叩き返してやっからな! てか、寂しいからって乙女の温もり求めるとか、そこがまずオバケのくせに図々しいんだよ! そんなに温もり欲しけりゃ、大浴場使え! ちゃんと料金は払えよ! 無銭入浴したら、エイル頭突き、エイル肘打ち、エイル膝蹴りでとどめ刺すぞ! わかったか!? わかったら返事しろ、身の程知らずのバカオバケ!」
「…………わかった」
オバケが、聞き慣れた声音で静かに答える。
その瞬間、あたしはオバケに気付いた時よりも身体を固くした。
「モルガナは、血も涙もない極悪ババアだってんだろ? 確かに……普通のオバハンにあの張り手はねえよな」
それは紛れもなく、あたしがオバケよりも会うのが怖かった――――アインス・エスト・レガリアの声だった。
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