82.二人の魔法使い

 程なくして、あたしの耳は人の声と足音を捉えた。慌てて近くにあった看板の裏に身を隠す。


 街灯もない狭い道を、こちらに向かってくるのは――――どうやら、複数人。


 暗がりに目を凝らして、あたしは息を飲んだ。

 先頭を歩く男女二人組の片割れが、見覚えのある人物だったからだ。


 男の方は、判別できる距離まできても誰だかわからない。見たこともない奴だ。年齢は六十手前、くらいだろうか? 身なりは良いけれど、顔面から全身まで不遜な雰囲気が漂う、簡単に言うといけすかないジジイだった。



 その隣にいるのは――――紛れもなく、リリムちゃん。



 暗いせいではっきりとは窺えないけど、いつかと同じ、冷たい仮面じみた表情をしているように見えた。


 人数は、五人。残る三人は男性で、リリムちゃんといけすかジジイを守るように左右と背後を陣取っている。ボディガードか何かなのだろう。


 あたしの目の前を過ぎたところで、リリムちゃんが口を開いた。


「ふうん……確かに、スキュマがあるわね。それにここなら、バレることもなさそうね。こっそり『向こうの女に会いに行く』には都合が良いわ。でもこれが、『奴』のものだと証明できるかしら?」


 表情と同じく、鉄のように硬質な声だった。


「簡単だ。出て来るのを待てば良い。お前の『力』で、数時間前に『奴がここで消えた』ということはわかっているんだろう?」


 いけすかジジイも、固い声で応じる。


「そうねえ……でも、いつ出てくるかわからないでしょう? 私、待つのはあまり好きじゃないのよ。暇潰しでもあればいいんだけど、ねえ?」


 リリムちゃんがそう言い終えるや、盾にしていた看板に鈍い衝撃が走った。咄嗟に飛び退いて見ると、暗闇に慣れた目に、古びた薄い看板を貫通した何本かの刃が映る。


 うっそ……投げナイフじゃねーか!


「あらやだ、お姉さん、いたんですかあ」


 明るい声音に振り仰げば、可愛い顔を歪ませ、ぞっとするくらいに冷酷な笑みを浮かべたリリムちゃんが、愉しげにあたしを見下ろしていた。


 両手には既に、次なる投擲に備えてナイフを構えている。


 もちろん、あたしは丸腰だ。


 相手は五人。戦闘能力などなさそうなファットジジイは除くとしても、多勢に無勢であることに変わりはない。


「リリムちゃん……違う。違うよ、あたしじゃない。噂の相手はあたしじゃない。それに、アインスは結婚なんてしない。あんな噂、真に受けないで。全部、間違ってるんだ。信じちゃダメ、こんなことしちゃダメだ」


 最早あたしにできることといったら、彼女の誤解を解くことのみ。けれどリリムちゃんから発せられる殺意は、少しも揺らがない。


「そうなんですか。実は相手はお姉さんじゃないって、私も最近知ったんですよ。噂の方は、マギアの人、なんですってねえ。疑っちゃって、ごめんなさい。でも、結婚するのが本当なのかどうかも、もういいんです。アイさんには、消えてもらいますから」


「え……何で……?」


 呆然と問うあたしに、リリムちゃんは暗黒のとぐろを巻く路地の奥を形良い顎で軽く指し示した。


「あのスキュマ、『女に会いに行くため』にアイさんが作ったんでしょう? 隠しても無駄ですよ、こちらには警察なんかより優秀な者がいるんです。このことが知れたら、マドケンどころの騒ぎじゃなくなりますよねえ? でもね、それでいいんです。元々、私はあの人を引きずり下ろすことが目的だったんですから。それと」


 そして、再びナイフを構え直す。


「ついでに、あなたを痛めつけられれば尚良し。深く恨んでるわけではないけど、まあケジメ……ってやつかな。そういうの、きちんとつけておきたいんですよねえ」


 何?

 リリムちゃんは何を言ってるの?


 アインスと結ばれたかったんじゃないの?

 姉であるあたしまでもが目障りで、それで暗示だか洗脳だかを使って身を引かせようとしてたんじゃないの?


 ぐるぐる回る何故どうしてが一つにまとまらないまま竦むあたしに、リリムちゃんはナイフを投げ――――それと共に、炸裂音が狭い路地に響いた。


 何とか第一投を、看板で躱したあたしは――――更に、信じられないものを見た。



 何故か、男達は、リリムちゃんに向けて銃を発砲した――らしい。


 しかし何故か、その弾丸が、彼女の身に達することはなかった――らしい。


 そして何故か、放った弾丸は全て彼女の肉体から僅かに離れたところで静止し、まるでそこから撃ち出されたように男達に跳ね返ったのだ。



 悲鳴、呻き声、泣き声。三人が上げる声はそれぞれだったけれど、揃って血を流し倒れた姿は同じだった。



 これって――――まさか!



「本来なら、『攻撃魔法』は禁止されているんだけどねえ。でもこの場合は『身の危険を回避するため』っていう大義名分が立つわ。『レコードシステム』から追及されても、魔法庁は納得してくれるでしょう。だって、三人の男にいきなり襲われたんだもの。ね、ハーノルム? 私を裏切ろうとした、あなたも同罪よ?」


 天使のような可愛らしい笑顔で、リリムちゃんは唯一残ったいけすかジジイ――ハーノルムというらしい――を振り向いた。


 蒼白するハーノルムに、彼女は懐から新たに取り出したナイフを向けた、その時だった。



 突如として、小規模な竜巻が巻き起こった。



 ハーノルムと倒れていた三人はあっという間にそれに包まれ、天高く巻き上げられ、そのままどこかへと連れ去られてしまった。



「x м ↑ ≯ м β ∝ ∝ ↑ ∫ !! (お宝、発見!!)」



 あたしとリリムちゃんは、その声が聞こえた方向――スキュマの方に、視線を向けた。


 奥からゆっくりと姿を現したアインスの姿を目にした瞬間――あたしは、言葉を失った。



 全身に纏うのは、触れただけで切れそうに鋭い空気。形は同じでも、中身が別物に変わってしまったかのようで、あたしには『これ』がアインスだと、すぐには理解できなかった。


 研ぎ澄まれた金属の刄みたいに冷たい瞳をリリムちゃんに向け、アインスは口元だけで笑った。


「久しぶり、リリム。元気してた?」


 そっと覗えば、名を呼ばれたリリムちゃんも凍り付いている。いや、あたし以上に、怯えているようだ。あれほど恋い焦がれた相手だったはずなのに、彼女の目に今のアインスはどう見えているんだろう。


 あたしは震える足で、そっと踏み出し、アインスとリリムちゃんの間に割り入った。


「アインス……違う。リリムちゃんは、悪くない。彼女は、お前が好きだったんだ。だから勘違いして、あんなこと……」


「引っ込んでろ。お前に用はねえ」


 アインスの灰青の冷えた瞳が、あたしを射る。でも、と先を告げる前に、アインスはあたしを突き飛ばし、リリムちゃんに向かって進んだ。


「助けて! お姉さん!」


 思い出したように、リリムちゃんが叫ぶ。

 慌てて起き上がったけど、アインスが彼女を捕らえる方が早かった。


 ふわふわしたプラチナゴールドの髪を力任せに引き掴み、アインスがリリムちゃんを地面に叩きつける。



 それを見たあたしは、思い出したように再び二人の間に飛び込んだ!



 と、同時に――――熱湯に漬けられたような、すさまじい熱さと痛みが鈍く重く、身体に響き渡った。



 何が、起こったのかわからない。



 そのまま、あたしは気付けば道に転がされていた。

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