69.キスユー、ロックオン

 あたしはシャツを掴んだまま、唖然としてしまった。


 ええと、これって……アレか?

 ほら、母親が新しいパパを紹介したら、ママを取られたと思って拗ねて反発する子供、まさにそれじゃね?


 あたしは手を離して、シートに身を沈めた。


 随分長いこと会ってなかったけれど、久々の再会を果たして、長いようで短い時間を過ごして――オルディンの抜けた心の隙間を、きっとアインスはあたしで埋めていたんだろう。『家族』という存在を、心から欲していただろうから。


 昨日のアインス、あたしに会えて本当に嬉しそうだった。子供みたいに喜んでた。


 十歳も年が違うんだから、アインスがあたしを姉どころか母親みたいに頼るのも無理はない。こいつはまだ、二十歳になったばっかりなんだ。


 しかも今、ちょっと穏やかではなさそうな問題を抱えてるわけで。だから尚更、無償で甘えられる相手が必要なわけで。熱を出した時のあたしみたいに、ぐずってしまうのもわからないことはないわけで。


 誰にも取られたくない、一緒にいてほしい、どこにもいかないでほしいって、駄々こねたくなる気持ちも理解できるわけで。



「…………バカだな、お前」



 あたしはつい、笑ってしまった。もちろん、アインスは笑わない。お子様の不満に満ちた、無言の反抗は続く。やれやれ、仕方のない子猿ですねえ。



「こっち向けよ、アインス。キスしてやる」



 さすがにびっくりしたみたいで、アインスはサングラスを外し、あたしの顔に信じられないものでも見るかのような視線を注いだ。


 何か言おうと開きかけたそのくちびるを、あたしはキスで塞いだ。


 優しい体温と柔らかな感触。


 自分からキスするなんて初めてだったけど、嫌な感じはしなかった。それどころか、触れ合う場所から何とも言えない満足感があふれて、心地良い。恥ずかしさ以上に、言葉よりもたくさんのことが伝えられた気がした。


 あたしはそっとくちびるを離して、まだぼんやりしてるアインスの透き通るような瞳を見つめた。


 あるぇ? ちっとも伝わってないみたいだぞ? 見事に滑った感じじゃね? うわぁ、ダブルで恥ずかしいやつや……。


「……ええとね、カミュのことは、まあ好き。だけど友達として。いい奴だとは思うけど、男としての好きってのとはやっぱり違うかな。経験少ないから、あんまりよくわかんないけど」


 しゃーなしで、あたしは言葉での説明に切り替えた。


 そして、カミュについて語りながら、高等部の卒業式を思い出してもいた。


 当時すごく好きな人がいて、最後になるなら想いを伝えようと思った。それをノエル姉に相談したら『告白は言葉が肝心』というアドバイスを賜った。だから一生懸命、自分の気持ちを伝える台詞を考えに考えて、考え抜いた言葉も気に入らなくてまた考えて、考え過ぎて熱まで出した。

 それで結局、卒業式を休む羽目になったという、何とも忌まわしい恥ずべき過去だ。


 でも今のあたしは、カミュに対して、そこまではできない。だってまだ、あたしはカミュに恋していない。激しく浮かれてはいたけど、それは自分に好意のある素振りを見せてくれる異性なんて初めてで――単純にただ嬉しくて舞い上がっていた、というだけだ。


 これからカミュを、好きになる可能性がないとはいえない。


 けれど今は、甘ったれの弟の方が大切だ。アインスの心の支えになりたい。

 彼にとって、頼れる家族でありたい。


 だからあたしは笑って、そんな思いを込めてアインスの頭を撫でてやった。俗に言う、いいこいいこという行為だ。


「心配しなくても男なんてできねーよ。お前は、お前のやるべきことをやれ。変な問題も、きっと早いとこ片付くよ。じゃなきゃ、あたしも困る。あんな猿臭い部屋にいつまでもいたら、あたしまで猿になっちゃうかもしれないじゃん?」


「…………言ってろ、ブス」


 恥ずかしそうに目を伏せながらも、アインスはいつもの調子で返してきた。そうそう、同じお猿でも陰気より元気な方がいい。


 そこでやっと、あたしはフロントガラスに向き直って――車が路肩に寄せられて停まっていることに気付いた。え? いつの間に!?


「アインス、車出せ! いつまで停まってんだよ、バカ!」


「ああ!? エイルがこっち向けっつうから停めたんだろ!」


「いやああ! 嘘!? もうこんな時間だよ! 遅刻だよ! やばいよ!」


「走れ! その方が早え!」


 アインスの言葉に従い、あたしはドアを開けようとした――――が、開かない!


「ちょ、ロック! 解除してよ! 出られねーよ!」


「え? 解除したよ? っべ……マジ? 開かねえ! 壊れた! ロック壊れた! ジンに怒られる!」


「そうだ、魔法! お前、魔法使えるじゃん! 魔法で直せよ! それが無理ならあたしだけでも出してよ!」


「ダメだって! 俺、こないだ注意勧告食らったばっかなんだよ! 雪と視力回復二回、エイル一人だけに使ったから『私的使用に接触する』っつって! そのせいで減点もされたし!」


「マジで!? バカバカ! そういうのは緊急時のために取っとけよぉぉぉ!!」


「んだよ! アホみてえな面して喜んでただろうが! 文句言うなら、自分でMP使えるようになりやがれ!!」


「うわあああん! 最悪だあ! だからこんなバカ猿に送ってもらうの嫌だったんだよおおお!!」


 罵り合い貶し合い、責任をなすりつけ合いしながら、あたしとアインスは取り敢えず車でキタセンへ向かった。


 そして到着すると、携帯電話からキタセンに電話し、工具を駆使して車のドアを開けてもらった――出勤していたスタッフだけでなく、朝一予約で待機していたお客様にまでお手伝いのご協力をいただいて。


 救助されている間も、救出された後も、あたしとアインスの激しい口論と取っ組み合いが続いたのは言うまでもない。

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