【距離:近くて遠くて近くて】駄々をこねたお子様がしがみつくレベル

68.怒涛のやだやだ攻撃

 翌朝。


 深夜出勤から帰ったマオリと休みのナリス、そしてアインスとあたしの四人はゴミ溜めリビング、略してゴミングに集い、仲良く朝食タイムを過ごした。

 ジンとマキシマは昼からの出勤なので、まだ夢の中だ。


 朝食といっても、ろくな食い物がないからコーヒーのみ。だって、そこらへんに転がってたパン差し出されたって食べる気になれねーよ。賞味期限一日しか切れてませんよ、って偉そうに言うなよ。この部屋に放置されてたって時点で大丈夫じゃねーよ。誰か、こいつらに整理整頓って概念教えてやってくれよ……。


 はあ、これじゃモーニングコーヒーじゃなくてモンキーコーヒーだ。あ、自分で考えといてすごいくだらなかった。却下。


「へえ、エイル、ハンター・インストラクターになったんだ。じゃ、給料増えるんじゃね? 俺、エイルのヒモになろっかな」


「バカ言うな、猿。お前なんかにヒモになられたら、金が幾らあっても続かねえよ、大飯食らいの役立たず!」


「アイちゃんは役立たずじゃないですよ? だってアイちゃん、お姉さんが来た時のショーフェスだって見事にこなしてたじゃないですか」


 すかさず、ナリスがフォローを入れる。昨日はあっさり見捨てたくせに、ゲンキンな奴だ。


「そうそう、何たってあのシファーさんが一目置いてるんですからね。俺なんて昨日も叱られまくって、また大泣きしましたよぉ。もう、いつものことですけどね!」


 ナリスに続きマオリもそう言って、ケラケラ笑った。その屈託ない笑顔に、あたしはカミュの言葉を思い出した。


「でも、どれだけ怒鳴られたって辞めずに頑張ってるんだろ? カミュが褒めてたよ」


 マオリがきょとんと首を傾げて固まる。そうしていると、警戒心のない小動物みたいでなかなか可愛い。恐らく、年上のお姉様方の母性本能をくすぐるタイプと見た。



「……マジすか!? シファーさんが!? 俺を!? 褒めてた!?」



 言われたことをゆっくり頭の中で噛み砕き、理解に達するや、マオリは大声で喚いた。


「お前に嘘ついてどうすんだよ。従業員、みんな根性ある奴ばかりだって。そん中でもマオリはバカだけど、芯の強い良いものを持ってるって言ってたよ」


 マオリはわなわな震えたかと思ったら、隣にいたナリスをひしと抱き締めた。


「ナリス! 俺、嬉しい! シファーさん、俺を認めてくれてた! やばい、泣きそう!」


「だから、みんな言ってたろ。あれは愛の鞭なんだって。精々しばかれとけ。きっとメンズキャストのナンバーワンになれるから」


 ナリスは慣れているようで、しがみつくマオリの頭をポンポンと叩きながら、優しく宥めた。そういや、幼馴染だとか言ってたっけ。


「…………ナリスの優しさに全俺が泣いた! 好き好き愛してる! ね、キスしていい?」


「あ、やっぱり無理かな。一瞬忘れそうになったけどお前、バカなんだった」


 長年の付き合いならではの微笑ましいやり取りを眺め、ほっこりしていたあたしだったけど――やべ、もうこんな時間じゃん!


「アインス、もう行かなきゃ。キタセンの前のでかい道、朝は馬車やら自転車やらで渋滞するんだ。車だとハマって身動き取れなくなるかもしれない」


 アインスは素直に立ち上がると、足早に玄関に向かっていった。あたしも慌てて後を追う。


「姉さん!」


 溢れる靴の山で溺れそうになりながら、スニーカーを履くあたしに、マオリが声をかけてきた。


「シファーさんの言葉聞かせてくれて、本当にありがと! 姉さんが帰ってくるまでに、できるだけ部屋片付けときますね!」


 リビングの扉から首だけ出して笑うマオリ猿に、あたしも笑顔を返す。それからこんなことしてる場合じゃないと思い出し、玄関を飛び出した。



 想像していた通り、キタセンに続く大道路は大渋滞だった。配分は自転車五割、バイクと馬車がニ割ずつ、自動車は一割といった感じ。


 いつもは大変そうだなぁなんて眺めてたけど、こちら側になると歩道の混雑ぶりの方がとんでもない状態に見える。人波が押し合いへし合いして揺れ動く様は、まるで蠕動する巨大生物みたいで、あの中に毎日自分もいたのかと思うと軽く寒気がした。


 昨日乗ったジンの車は、相変わらず鼓膜を破らんばかりの音楽に溢れていた。ビートがドコドコ内臓に響いて、気持ち悪くなりそうだ。


 運転席に鎮座するアインスは、濃いオレンジのサングラスをしているせいで、表情はわからない。


 でも、えらく不機嫌だってことはよくわかった。


 だって、部屋を出てから三十分以上、ずっと無言なんだぜ? 悪態垂れまくってなきゃ死ぬ病気にでもかかってるんじゃね? っていうあの猿が、ですよ!


 あたしはため息をついて、重低音に合わせて震える座席から身を剥がした。


「あたし、ここで降りる」


 シートベルトを外しながら言えば、


「何で」


 ですと。

 疑問形でもなくて、単語を並べただけっていう抑揚のない台詞。身に覚えがないから、腹立つったらねーよ。


「走った方が早いし、御機嫌斜めな猿といると疲れるから」


 早口で説明してやれば、また無言。

 聞こえてんのかよ? 爆音で伝わってないのか?


 もう一度、今度はでかい声で言ってやろうと息を吸い込んだら、アインスが小さく呟いた。


「ああ? 聞こえねえんだよ! 音、止めろ!」


 息を吸い込んだおかげで、やたら大声になったあたしの抗議にアインスは従った。で、音楽を止めると、また呟いた。


「…………シファーさんと、付き合ってるの?」


 はあ?

 何言ってんの、このバカ。クソ意味わかんないんすけど。


「付き合ってねえよ。何か関係あんの?」


「好きなの?」


 あたしの質問は無視して、質問を質問で返すなよ!


「だから! 関係あんのかって聞いてんだよ!」


「別に」


 ああああ、ムカつく!

 何、この口の聞き方。生意気通り越して憎たらしいったらねえわ!!


 キタセンまで、このままいけば後二十分弱。そんな長い時間、こんなムカっ腹立つ空間にはとてもいられない。むしろ、いたくない。


 あたしは助手席のドアに手をかけた。

 すると、アインスが素早くロックをかける。

 あたしもすかさず解除した。


 しかしまたロック。解除。ロック。解除。ロック。解除。ロック。解除。ロック!


「ああ、もう! 一応は人の車なんだから無茶やんなよ! 一体何なんだよ!?」


 あたしは相手が運転中にも関わらず、アインスのシャツの胸倉を引っ掴んだ。

 するとアインスは、また小さな声を漏らした。



「…………何か、エイルが誰かとそういう風になるの、嫌。すごく、やだ」

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