67.くちびるに違和感

「わかんねーもんはわかんねーんだよ。後つけられたり、身の上嗅ぎ回られたり……大きな被害はなかったんだけど、とにかく鬱陶しくて、とっ捕まえたんだ。そしたら」


 それは小太りのハーフオークで、アインスの目を見て真顔で告げたという。



『お前は誰だ? 自分は何故ここにいるんだ?』と。



「そいつだけじゃない。他の奴もそうだった。皆、何故俺を追っているのか、『知らないしわからない』んだ」


「え、それって……」


 アインスは、静かに吐息を漏らした。


「催眠魔法の類、に似てるけど、はっきりとは断言できない。使用許可届を提出してないなら違法、提出していてもこんな個人的な使用は禁止されてるだろ? 下手すりゃマジナ出禁になるリスク冒してまで、一般人の俺なんか探る意味なくね?」


 そうだ。マジナでは、魔法の私的利用は固く禁じられている。


 だからアインスだって、便利な遠隔魔法を使わず、わざわざ携帯電話を連絡手段にしている。


 あたしが二度かけてもらった視力が良くなる魔法は、ギリギリ許容範囲内といったところだろう。毎日ではないし、一時的なものだし、金銭的なやり取りもない。なので一応はマドケンの『幸福度上昇』に貢献した、という言い訳ができる。



 それにしても、アインスを追いかけ回しているのって、まさか……。



「ねえ…………リリムちゃんと、何があったの?」



 あたしは恐る恐る、彼女の名前を口に出した。アインスは軽く視線を泳がせてから、あっさり白状した。


「あの日、家まで送って……帰ろうとしたら誘われて、そのまま泊まった」


 想像通りだったから、特に驚きはなかった。


 あたしだって泊まるって言葉に込められた意味くらいわかるし?

 スヤァと寝ただけじゃないってことくらい、普通にわかってるし?


「でも、その時に何か変な感じがしたんだ。違和感、っていうのか……うまく言えないんだけど、危険信号みたいなの感じて。それで、それっきり。毎日店に来てたけど、適当に躱して逃げてた。不気味だったから家に帰るのも避けて、あちこち転々としてたら、その内店にも来なくなって、代わりにこんな変なことが起こるようになった。あの女が関わってる可能性が高い。だからエイルも、リリムには注意しろよ?」


 念を押され、あたしは素直に頷いた。


 天使のようなリリムちゃんとアインスが寄り添う姿を、もう一度思い浮かべる――本当に、お似合いの二人だった。


 アインスが言う『変な違和感』とは、運命の相手に出会うとピピッとくるのとは逆バージョンで、『この子じゃない』っていう直感が働いた……みたいな感じなんだろうか?


 それとも――。


 なんて、考えても仕方ない。てか、それどころじゃないんだっつうの。


「はいはい、わかったわかった、気を付けますですよ。で、あたしの部屋はどこなのさ? さっきも言ったけど、あたし朝から仕事なんだよね。とっとと寝たいんですけど」


 そう、現実問題として、あたしにとっては明日の仕事の方が大切なのだ。


「は? エイル専用の部屋なんか、あるわけねーし」


 何ですと?


 思わず猿を睨む。

 奴の目には、さっきまでのしおらしい涙も切れるような光も消え失せていた。代わりに、いつもの悪戯を企むような笑みを浮かべている。


「ウッソ……あたしの部屋、ないの!? じゃ、あのエロ本とっ散らかった猿の集会所で寝なきゃなんないのかよ!? って、え……おい待て、まさかのまさか?」


「リビングが嫌なら、ここしかねえじゃん? それとも、他の奴らの部屋で寝るぅ?」


 アインスが勝ち誇ったように言う。


 …………まさかのまさか、ピンポン如何にも大正解!


 さっきまで獣が交尾してたこのベッドで?

 その獣の片割れのオス猿と寝ろ、だと!?


「やあねえ、エイルちゃん。何を期待してるのぉ? いくら俺だって、エイルみたいな貧相ババアボディに欲情できませんって!」


「期待なんかするか、ボケ! お前こそ、猿のくせに人間様と一緒に寝る気になってんじゃねえ! 人はベッド、貴様は床だ!」


 ベッドから追い出そうと、あたしはアインスをぐいぐい押した。



 ところが!


 猿の野郎……それを躱して、事もあろうかキスしてきたではないか!!



「うわ、きったねえな!」


「何、その言い方。失礼すぎ」


「だって、お前さっきまでエロエロしいことしてたじゃん! どうしよう、メス狼と間接キスしちゃったよ……あいつの獰猛肉食毒素に汚染されて、野獣のように男襲うようになったらどうしてくれる!? オスと見れば見境なしにくちびる強奪する、男日照りキス魔の爆誕だよ!? 捕まって新聞に載ることにでもなったら……母さんに殺されて、また新聞に掲載されるじゃねえか!!」


 真剣に被害を訴えているのに、アインスはげらげら笑いながらベッドを転げ回った。殴りたくて殴りたくて堪んないけど……やだ、パンツまだ履いてないじゃない。


 仕方なく背を向けて目を逸らし、お猿の発作が収まるのを待っていたら――背後からまた飛びついてきて、またもやキスしくさりよった!


「うえっ! てめえ、今度は舌まで入れやがって!」


「歯磨きすれば平気だって。ほら、一緒に洗面所行って、獰猛肉食毒素とかいうやつ、洗浄消毒してこようぜ」


 アインスはぴょんとベッドを飛び降りた。笑い転げくさりながらも、おパンツは履いて下さったようだ。


 凛、とどこかのピアスが触れ合い、澄んだ音を立てる。


 この音を聞くのは、すごく久しぶりな気がした。そして、真正面から向けられた、幼い頃の面影を残した笑顔を見るのも。


 今更殴るのもバカらしくなって、あたしは猿の手を取って立ち上がった。そうだよね、こんなバカ構ってたらいつまで経っても寝られやしない。


 念入りに歯磨きしてから、あたしはアインスと一つベッドで、互いを蹴落とそうとしたり、一枚しかないタオルケットを我が物にせんと奪い合いしたりしている内に寝落ちた。



 けれど――眠る前も眠ってからも、くちびるに覚えた『違和感』はずっと消えなかった。



 挨拶代わりのアインスのキスとカミュとのキス、どちらも同じ行為なのに、明らかに違う、とあたしのくちびるは強く意識してしまっていて――――それがひどく胸をざわつかせた。

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