【距離:強制接近注意報】恋の予感に心躍らせる間もないレベル

60.サイクリング・デート

 そのままソファで爆睡したあたしは、約束の時間ギリギリに目覚めて慌てふためいた。


 たくさん眠ったはずなのに、全身が気怠い。寝慣れない場所で寝落ちたせいもあるけど、昨日のことが寝ていても頭から離れなかったからだ。


 大分慣れてきた手つきでメイクを済ませ、適当に服を選び、あたしは昨日と同じミュールを突っ掛けるようにして部屋を飛び出した。


 さて、マンションの前にはカミュの車――じゃなくて!


 ……何ぃ!? 自転車!?


 スタイリッシュなシルバーフレームの自転車の傍らに立つカミュは見慣れたスーツ姿じゃなく、黒のパンツに白いシャツといった軽い服装だった。

 しかしやはりさすがはカミュ様といったところで、シンプルな格好でもセンス良く見える! 不思議!


「今日はどうしたんだよ? さては運動不足解消のために、これからキタセンに会員登録にでも行くつもりか?」


 見慣れない姿に笑いながら冗談を叩いてみせると、カミュは自転車のフレームに合わせたらしいシルバーのサングラスの向こうからきれいなアーモンドアイを笑みの形に緩めた。


「そ。ちょっとお腹が気になる年頃だからね。はい、乗って」


 促されて後方を見てみれば――――ええええ!?


 もう一台、自転車がある!

 もしかして、あたしの分!?


「これ、どうしたの!? てかどうやって運んできたの!?」


「エイルさんのために買ってきたんだ……と言いたいところなんだけど、実は知り合いに借りてきただけ。車はすぐそこの駐車場に停めてきた」


「この辺に駐車場なんて大層なもんあったっけ?」


「倉庫みたいな見た目だからわかりにくいかもしれないけど、レンタルガレージがあったよ。会員登録してきたから、長時間置きっぱなしでも大丈夫」


 ああ、マンションの隣にある、やたら頑丈そうなシャッター付きの建物か。あれ、ガレージだったんだ……長年住んでたのに知らなかったよ。車なんて多分一生持つことなさそうだし。


「でも……お高かったんでしょう?」


 いつかと同じ台詞を冗談っぽく言ってみたら、カミュは肩を竦めた。


「そうだね、年間費一括で支払ってきたから安くはなかったよ。可哀想に思うなら、せめて今日一日くらいは楽しい思いで忘れさせてくれないかな?」


「わあ、当てつけがましい。そこは嘘でもエイルさんのために頑張ったって言っとけよ」


「はーい、エイルさんのために頑張りましたー」


「おいコラ、棒読みすんなや」


 戯けた話でひとしきり笑い合うと、あたし達は自転車に乗り、日差しの下を爽快に走り始めた。


 自転車に乗るなんて、久しぶりだ。風を切って自分の足で走る感覚に似て、気持ちがいい。

 前はあたしも持ってたんだけど、メディカル・ハンター辞めた時に売っちゃったんだよね。


 今度ボーナス出たら、思い切ってまた買おうかな?


 一人でサイクリングするのもな〜って躊躇ってたけど、カミュなら付き合ってくれそうだ。


 前もって自転車に適したルートを調べておいてくれたようで、カミュが先導する道は人通りもデコボコも少なくて走りやすかった。だから余計に楽しかったんだと思う。


 途中何回か休憩を挟んで、移動式アイスクリーム屋さんで買い食いしたり、二人で写真を撮ったりして、到着したのはマーブル唯一の遊園地。


 人気のスポットだけあって、園内に足を踏み入れると人、人、人!

 家族連れやら友達連れやらカップルやらで、満員御礼だ。


「夏休みって感じですなあ。羨ましいですなあ」


「ほんとにね。俺も長い休みが欲しいよ」


 カミュはあたしの言葉に頷いてから、さらりと手を繋いできた。


「うえ、暑いのにお盛んねえ」


「エイルさんが迷子になったら困るでしょ。さて、遊びますか!」


 カミュに手を引かれるがまま、あたしは待ち受けているたくさんの遊具へと向かった。


 まずは一番近くにあった、フリーフォールとジェットコースター。絶叫系でたっぷり歓声を上げてからは、ゴーカートにスウィングシップ。


 メリーゴーランドにはあたしが一人で乗り、回転しながらカミュに出会うたび子供みたいに振った。


 そこまでは楽しかった。

 問題は、次のお化け屋敷だ。


 強がって平気なフリしてみせたものの、あたしはオバケが大の苦手。入るや否や、最初の仕掛けでいきなり大絶叫をかまして、カミュに抱きついて泣いてしまった。


「ごめんね、苦手だなんて知らなかったから……大丈夫?」


 入口から一番近くにあった緊急出口から出してもらうと、カミュはハンカチを差し出しながら心配そうに尋ねてきた。


「大丈夫なわけあるか! ああ、怖かった……何でこの世にあんな罰当たりなもんが娯楽として定着してるんだ? 平和ボケしやがって……あたし以外皆、祟られてしまえ!」


 理不尽な怒りをぶつけながら、あたしは涙目のままカミュを睨み付けた。八つ当たりというやつだ。


「オバケ、駄目なんだね」


「笑い事じゃねえ! オバケ嫌いなの! 誰よりも何よりも嫌いなの! 嫌いなのには自信があるくらい嫌いなの!」


「オバケなんていないよ」


 あたしの力説に、カミュが平然と笑う。


「俺、若かりし頃に心霊スポット荒らし回ったことあったけど、何もなかったよ。かなり恨みも買ってるはずなのに、今も元気だし。だから、大丈夫だよ」


「バカ! 知らない内に祟りに遭ってんのかもしれないだろ!」


「気付かないならいいんじゃない? 人間、誰でもいつか死ぬんだしね」


 あたしは呆れたように、カミュを見つめた。確かにそうだけど……いやいや、たまたま運が良かっただけって話もよくあるしな。オバケいない説にはやっぱり納得できない。


「落ち着いたら、そろそろお昼にしようか。怖い思いをさせてしまったことですし、奢らせていただきますよ、エイル様」


 カミュの差し出す手を取ってベンチから立ち上がる頃には、あたしの御機嫌はすっかり回復していた。奢りという言葉と食欲には弱いのだ。


 しっかりランチをご馳走になってからは、キャラクター・ショーを見たり、『園内に隠された秘密グッズを探せ』っていう企画に参加したりして、閉園までの時間を遊び、笑い、楽しみ、満足に満足してあたし達は遊園地を後にした。


 帰りはまた自転車。今度はあたしが先頭を走って、カミュが行ってみたいと言ったフレイグのレストランに案内した。


 残念ながらフレイグは休みだったけれど、いたらどんな顔しただろう。あたしが男を連れてくるなんて初めてだから、きっと面白い反応してくれたに違いない。ああ、澄ましたヒゲ面が崩壊するとこ、見たかったなあ!


 あたしは明日から仕事なので、今日はこれで解散。


 ガレージで車に自転車を積むのを手伝い、そこで別れてマンションに帰ろうとした時――あたしはふと昨夜の襲撃を思い出して、ガレージの入口から見送っているカミュを振り返った。


「どうかした?」


「……カミュさあ、昨日あの後ウチに来てないよな? ピンポン鳴らしまくったりドア蹴り飛ばしたり、そんなことしてないよな?」


 カミュの表情が固くなる。


「俺がそんなことするわけないよ。昨日、帰ってからそんなことがあったの?」


 あたしが頷くとカミュはこちらに駆け寄ってきて、鋭い視線を周囲に走らせた。危険を関知しようとする肉食獣じみた瞳は、初めて見るものだった。


「シャッター閉めるからちょっと待ってて。部屋まで送るよ」


「相手は多分一人だよ。大丈夫だって」


「バカ! どんな奴かもわからないのに甘く考えるな! 油断してやられた奴が何人いると思ってんだ!」


 これまた初めて聞くカミュの真剣な怒声に、あたしはびっくりして固まった。


「……ああ、ごめんね。エイルさんが心配だったからつい、頭に血が上って。ごめん、怒らないで」


「怒らないよ。カミュの言う通り、何事も油断大敵だよね。じゃ、部屋まで護衛お願いする」


 それから、あたしとカミュは周囲を警戒しながらマンションに入った。


 エントランスの突き当たりの階段をまず先にカミュが行き、安全確認してもらってからあたしも続く。部屋のある階に辿り着くと、カミュは更に警戒して廊下の隅々までをチェックして、鍵を空けている間もあの獣のような鋭い目で注意を張り巡らせていた。


 おかげで、あたしは変な奴に遭遇することもなく、無事に部屋に入ることができた。

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