61.『ジョルジュ』

「またそいつが現れたら、すぐ連絡して。今度はジェット機借りて飛んでくるから。とにかく、気を付けてね」


 そう言って玄関にも上がらず、カミュはドアから身を離した。このまま帰るつもりらしい。


「あ、待ってよ。お礼に、コーヒーでも淹れるよ」


 思わず呼び止めると、カミュは少し驚いたような顔をしてから肩を竦めた。


「でも……悪いよ」


「じゃ帰れ。あばよ」


「いや、うそうそ! ありがたく頂戴いたします」


 慌てて駆け寄ってきたカミュに、あたしは笑いながら扉を大きく開いてみせた。


「ようこそ、我が城へ」


 カミュは玄関に入るとまず、シューズボックスの上の壁に鎮座する巨大かつ凶悪な仮面に仰け反った。ですよねー、キモいよねー。


「あたしの趣味じゃないからね。エテ公のマギア土産。趣味悪くてすまんね」


 猿のセンスにどう反応すべきか迷ったのか、カミュは曖昧に笑ってから、リビングに入ってきた。きちんと靴を揃えて脱ぎ、お邪魔しますと声をかけるところがカミュらしい。猿と人ってこんなに違うのね。


 リリムちゃんに出したものと同じ豆を使ったコーヒーを出すと、狙い通り、絶賛の声をいただいた。


 そうでしょう、そうでしょう。そのソファも座り心地良いでしょう。もっと褒めてくれていいのよ?


 あまり人が訪れることがないから、たまに誰か来るとこうやって奮発してしまうのだ。おもてなしって、楽しいのです。


 カミュは室内にさらりと視線を巡らせて、床に座るあたしに微笑んだ。


「広くて綺麗なとこだね」


「あんまり物ないからね。それにしても、さっきはびっくりしたなあ」


 あたしの言葉に、カミュは不思議そうな顔をした。


「いやあ、カミュでも怒鳴るんだなあと思ってさ。いっつもヘラヘラしてんじゃん? そんな顔しか知らなかったからさ」


「ヘラヘラって、ひどいなあ。そりゃ俺だって怒鳴るよ。店でも裏じゃ、どれだけ怒ってることか。泣いて辞めた従業員は数知れず、今残って働いてる面子は根性ある奴だけだよ」


「マジで? 鬼のシファーさんなんだ。だからこの前、マオリもあんなに縮こまってたんだな」


「ああ、マオリね。あいつは少し足りないとこあるから、毎日叱り付けてるよ。でも、泣いても泣いても辞めない。もう少し賢ければとは思うけど、それ以上にあいつは芯の強い、良いものを持ってる。見どころのある奴じゃなきゃ、わざわざ時間と体力割いて叱らないよ」


「へえ、あいつがそんなに骨のある奴だとはね。バカそうだけどすごいんじゃん」


「でも、アイは叱ったことないよ。見どころがないからじゃなくて、あいつ、叱るとこないんだ。気配りは行き届いてるし、空気は読めるし、キャストになればあっという間にナンバーワン間違いなしだな」


気配りぃ? 空気ぃ? ウチじゃそんなもん、欠片も見せやしないのに。


 よし決めた。次会ったら、シファー方式で礼儀というものを身体で教えてやる!


「話変わるけど、このコーヒー、フレイグさんのお店のものと同じだよね?」


 うお、何故バレたし!

 って、当たり前か……さっき同じの飲んだばっかだもんね。


「そ、フレイグから買ったんだよ。一般には販売してない、お店オリジナルの特別なブレンドなんだって」


「へえ、こだわってるんだな。フレイグさんのお店、すごく良かったね。雰囲気も素敵だし料理も美味しいし。これから常連になるかも」


「そうしてやって。フレイグパパも喜ぶよ。あの親父、あたしがいつも無銭飲食してくから、毎回赤字だって怒ってコーヒー豆だけは金取るの。上客の一人もつけてやればコーヒー豆も快く譲ってくれるようになるかもだし、少しは親孝行にもなるだろ」


 笑いながらあたしが言うと、カミュは急に神妙な面持ちになって、祈るように組んだ手に額を当てた。



「…………いいよね、血の繋がりがなくてもそうやって仲良くやっていけるって。俺、血が繋がっていても父親とはそんなふうにはなれなかったよ」



 そこであたしは、アインスから聞いた、カミュが実の父親を嫌ってるって話を思い出した。


「親父が売れない映画監督だったって話、したよね?」


 あたしが頷くと、カミュは小さく笑った。ひどく自嘲的な、冷めた笑みだった。


「母親は、すごく冷たい人だった。俺がまだ小さい頃に出てったけど、いつも家にいなかったからあんまり気にはならなかったな。後でわかったんだけど、職業は女優。今も舞台で活躍してるよ」


 あたしはその名前を聞いて、腰を抜かしかけた。舞台なんて数えるくらいしか行ったことないあたしでも知ってる、超大物女優だったからだ。


「本当は結構顔が似てるんだけど、彼女、マカナの高級医療機関で整形しまくってるからね。もう、手を加えていない場所の方が少ないと思う。今じゃ、マギアの魔道士を専属に雇って、若返りだとか老化停止だとかに精出してるらしいよ」


 そんな情報聞きたくなかったよ!

 あの美人が人工物なんて、知りたくなかったよ!

 夢が一つ、壊れたよ!


「親父は売れない映画監督。名前は俺と同じなんだけど、聞いたことないでしょ? だって売れた作品ゼロ、才能マイナスのクズだからね。見捨てられても仕方ないよな。で、母親が出ていった後は絵に描いたような転落人生。酒に溺れて、ギャンブルに狂って、借金背負って、子供に暴力振るって。それでも……弟のジョルジュと抱き合って我慢してたんだ」


 カミュに弟がいたことに、あたしは驚いた。何となくカミュは一人ってイメージがあったから。


「でも、ジョルジュは死んだ。殺された。あのクズに。このままじゃダメだと思って、俺は学校を辞めて仕事を見付けて、ジョルジュと二人で家を出たんだ。まだ俺も十を過ぎたくらいのガキだったから、仕事なんてろくなもんじゃなかったよ。窃盗から売人まで、何でもやった。でもジョルジュだけはまともに育ってほしかった、だから学校に行かせていたんだ。そしたらさ、その帰り道に、あいつに拉致されて…………知らせを受けて病院に行ったら、もう息を引き取った後だった。顔も、わからないくらいに破壊されてた」


 あたしは見知らぬジョルジュという少年に、幼いアインスを重ねた。身体こそカミュの弟よりはマシだったけれど、心はとっくに死んでいたんだろう。


 最愛にして唯一の存在が、死神の刄をあの小さな肉体に向けて――アインスは殺された。ジョルジュと同じように。


 産み出した者は、葬り去る者と一身一体。


 そんな過酷な現実を、幼いアインスは毎日思い知らされていたに違いない。そして、死んだ。あの暗く澱んだ瞳をした少年は、身体は生きていようと、既にこの世のものではなかったんだろう。


「ところが親父は、罪には問われなかった。ありえないだろ? 母親が有能な弁護士つけたんだよ。スキャンダルはごめんだって。そんな理由で……あいつらは、ジョルジュの命を踏み躙ったんだ」

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