第24話「人智を超えた神威の権化」

 ラルスの行動は素早かった。

 そして、なにも言わずとも仲間達は各々おのおのに最適な行動を選んでくれる。目的は同じ……隊長のリンナを救うために戦うのだ。

 森を分け入るラルスたちは、まだ疲れが残る肉体に鞭打むちうって走った。

 そんな中でも、相変わらずバルクの軽口は軽妙だ。


「しかし驚いたね、カルカ。お前さん、騎士団の利益にそぐわぬ行動は選ばないんじゃないの? どうしたのよ」

「あら、バルクさん。わたくしは常に騎士団第一がモットーですわ……ゾディアック黒騎士団のためなら、一日四十時間は働けますの」

「そんなに一日は長かねーよ、ったく。馬鹿が多いってことだなあ? オフューカス分遣隊ぶんけんたいってな、そろいも揃って馬鹿ばかりだ、ハハッ!」


 ラルスもそう思う。

 馬鹿だ。

 自分もふくめて、大馬鹿者である。

 だが、その愚直ぐちょくなまでの仲間への気持ちは、なにものにも代えがたいように思う。


「急ぎましょう、皆さん! 俺は、絶対……隊長を死なせはしない!」


 走るラルスの少し前を、ヨアンがけもののように見を低くせる。

 彼女には、この山野でも足跡が見えるという。重武装の騎士が踏みしめた土に、彼女の目は人の足取りを拾うのだ。

 速度を落としてラルスに並んだヨアンは、短く言葉を切ってくる。


「この先、大勢いる……多分、そこにリンナも」

「山の方ですね! ゴブリンのとりでの、さらに奥か」

「リンナの足跡も、その先」

「えっ? そんなの、わかるんですか?」

「リンナ、軽い。足、小さい。見て、足跡の深さ……全然違う」

「見て、って言われても……見えないんですけど。あと、軽いかなあ」

「……女の子、みんな、軽い。そう言えないラルス、ガッカリ……残念」


 珍しくヨアンが、ほおをプゥ! と膨らませた。

 感情を表情に出す彼女を見て、バルクもカルカも笑った。

 なんだかせない、ラルスにとってリンナは確かな重みのある人間だ。とても大事で大切な、隊長と部下である以上のきずなを感じるのだ。そういうことを言いたかったのだが、周りはラルスを残念な子だと笑ったらしい。

 だが、そんな悠長ゆうちょうなことを言ってられるのも、それまでだった。

 不意に視界が開けて、川のせせらぎが満ちた渓流けいりゅうに出る。

 そこでは、多くの負傷した騎士達があちこちでうめいていた。破れた旗はゾディアック黒騎士団、タウラス支隊を示すものだ。

 ラルスは声を張り上げ、周囲を見渡しながら歩いた。


「タウラス支隊の皆さん! 撤退できた人数はこれだけですか? こちらに、オフューカス分遣隊のリンナ隊長はいらしてないでしょうか!」


 皆、疲れた顔をあげてラルスを見た。

 だが、そのうつろな目は全て、言葉にもならぬ否定を無言で語っている。

 ゾディアック黒騎士団の十二支隊が一つ、タウラス支隊の最精鋭が今……無残な敗残兵はいざんへいとなってそこかしこでうなだれていた。

 その時ラルスは、なまりの強い声を聴く。


「ラルス! おんめ、どしてここさ……オラ、オラァ……ラルス、どしたらええだ」


 せっせと負傷者の手当をして回っているのは、ヌイだ。そのエプロン姿も、血で汚れている。恐らく、リンナが道案内にと連れ出したのだろう。そして、開けた水場で負傷者の世話を頼まれたと見るのが妥当だ。


「ヌイさん、どうしたんですか! リンナ隊長は!」

「うう、オラ、オラァ……道案内さ、頼まれただ。んで、んで」


 泣きじゃくりながらヌイは、ポケットからなにかを取り出した。それは、王国が発行する金貨だ。その数、三枚。この土地であれば、半年は遊んで暮らせるという大金だ。

 それを手の平に広げて見せながら、ヌイはさらにおんおんと泣き続ける。


「騎士様は、ここでいいと言っただ。ここで、逃げてくる騎士達の世話ばしてけろって。これは謝礼であり、オラが立派に村のために働いたあかしだって……そう言っただ!」

「隊長……またこんなやりかたをして」

「騎士様ぁ、わかってくれてたんだぁ。オラ、王都さ出稼ぎに行ったども、出戻っちまっただ。村でも居場所さ、なくて……でも、村のため、騎士様のために働いたって言えば、みんなわかってくれるって」


 実にリンナらしいとラルスは思った。

 全てに注意を払い、常に気を遣って冷静に対処する。

 なにからなにまで、完璧に近い振る舞いだ。

 そのことが、ラルスは無性に腹ただしかった。

 リンナ自身を大事にしてくれないからだ

 ラルスはヌイの両肩に手を置いて、静かに語りかける。


「ヌイさん、隊長は? 今、どこへ」

「この奥だぁ……上流さ行けば、滝があるんだども。その裏さ洞窟があって、ドラゴンはそこさ巣ば作ってる。次々とそこから、みんな逃げてくるんだども……騎士様は入ったきり、出てこねんだあ」


 それだけ聞ければ十分だった。

 そしてもう、ラルス達に迷っている時間はない。

 ヨアンもバルクも、勿論もちろんカルカも臨戦態勢だ。


「金貨、いいな……うらやましい。わたしも頑張れば、もらえる?」

「うおーい、カルカァ! 契約騎士けいやくきしにもなんか手当出ねぇのか?」

「団規における団員の福利厚生および賃金と手当の項、第三条の補足に――まあ、契約騎士は必要な時にはした金で雇って使い捨てますので、なんとも。……でも、それを許せないと思う人が、今も戦ってますわ。まずはお救いしてから、それから考えましょう」


 誰一人として、逃げる者はいなかった。

 ヌイにその場を任せて、ラルスたちは走り出す。






 川沿かわぞいに上流へ進んで程なくすると、巨大な瀑布ばくふの轟音が聞こえてきた。

 側に寄れば、会話も難しいくらいの水音が空気をかき混ぜている。

 滝壺たきつぼには澄んだ清水が満ちていたが、はるか頭上から流れ落ちる滝は白い飛沫しぶきを泡立てていた。その奥に回り込めば、確かに水のカーテンが隠した洞窟がある。


「皆さん、気をつけてください! 足元が滑ります」


 ラルスは腰の剣を抜き、背から降ろした盾を左手に装着、洞窟内に侵入する。

 急いで来たため武具はそれしか持っていない。鎧を身につける時間も惜しみ、鎧の重さが消耗させる体力を温存して駆けつけたからだ。

 それは仲間達も同じで、元から軽装のヨアンもそうだ。

 バルクは自慢のハルバードを構え、カルカも巨大なウォーハンマーを手にする。

 ヨアンは両腰の短剣を抜くより先に、前に立って地面に屈んだ。


「ここ、人の出入り、沢山。その中に……あった。これ、リンナの足跡。……行ったまま、戻ってない」

「まだ奥に! ……ん? なにか聴こえる」


 大質量の水が雪崩落なだれおちる音に、かすかに響く金属音。

 それは、何かを刃が弾いていなす剣戟けんげきの音だ。

 水滴したたる洞窟の奥から、剣が舞い踊る声が伝わってくる。

 そのリズムはきっと、必死に剣を振るうリンナの鼓動だ。

 彼女はまだ、騎士として戦い、騎士として生きている。


「急ぎましょう! リンナ隊長を救出し、殿しんがりに立って撤退します。タウラス支隊の方もできる限りの救助を! そっちはバルクさん、お願いできますか?」

「おう! ここいらで恩を売っとくのも悪かねえ」

「カルカさんは俺の背後をお願いします。俺は目の前のドラゴンだけを見て戦いますので」

「あら、わたくしなんかに背中を預けて……ふふ、うけたまわりましたわ」

「では、行きましょう! ヨアンさん、先行してください……無茶せず、危ないと思ったら離脱、下がることを躊躇ちゅうちょしないでください」

「わかった。……で、こっち。この、奥」


 進む先が時々、真っ赤な光の照り返しで揺れる。

 天井から垂れ下がる硝石の輝きが、炎の光だと無言で語っていた。

 その先へと、ラルスたちは用心深く進む。

 先頭のヨアンは、薄暗い中で目に足跡を拾い、耳で拾える音を頼って進む。次第にラルスたちにも、耳をつんざく咆哮ほうこうが聴こえてきた。

 その絶叫は正しく、神威しんいの体現者が歌う死の福音ふくいん

 反響するドラゴンの声を聴くだけで、全身が恐怖でこわばった。

 そして視界が開けるや、ヨアンが逆手に短剣を抜刀して走り出す。


「ヨアンさん! 無理しちゃ駄目ですからね! ……あ、あれが……ドラゴン!?」


 そこに神はいた。

 あるいは、神が送り込んだ神罰の代行者……大自然の摂理せつりを司る絶対強者。神にも等しい、食物連鎖の頂点に君臨する王者だ。

 天井が高く広い洞窟内で、純白のドラゴンが翼を広げていた。

 見上げる程に巨大で、背の翼を広げた姿は何倍も大きく見える。

 立派な角が枝分かれしながら生えた頭部では、赤子の頭ほどもある巨大な瞳があかい。その視線の先にラルスは、肩越しに振り返った少女を見つけた。

 間違いない、リンナだ。


「リンナ隊長っ! 助けに来ました! 下がりましょう!」


 ラルスは絶叫と同時に、近場の岩陰へと身を投げる。

 それは、リンナへ向かって走るヨアンと同じ選択だった。

 背後でも仲間たちが、各々に回避を選んで身を隠す。

 そして、豪炎ごうえん

 吼え荒ぶドラゴンの口から、真っ赤なほむら奔流ほんりゅうが吹き荒れた。

 今までラルスたちが立っていた場所が、紅蓮ぐれんの炎に包まれる。

 一瞬前のラルスたちを殺した烈火は、逆巻く渦となって次第に消えてゆく。

 あとには、硝子ガラスと化してキラキラ光る溶けた岩盤が残るだけ。

 改めてラルスは、ドラゴンの恐怖におののいた。

 そんな彼の耳朶じだを、リンナの声が震わせる。


「少年! 皆さんも! どうして……いけません! 戻ってください! 危険です!」


 ドラゴンのすぐ足元、岩場の影から飛び出したリンナが剣を構える。

 その背中を見るラルスは、まるで吟遊詩人ぎんゆうしじんが歌う叙事詩じょじし詩篇しへんを見るような気持ちだ。だが、あれは伝説の英雄でもないし、救世きゅうせいの勇者でもない……同じ生身の人間、そしてそれ以上に騎士であろうとした姉なのだ。

 そう思ったら、ラルスは自然と走り出していた。

 背後ではバルクが雄叫びをとどろかせる。


「ああクソッ! なんてヤンチャな姉弟だよ! ……へっ、そういうことでいいんだろ? 戦友よ、アルスよぉ! なら、支えてやんなきゃな、オラアアアアッ!」


 豪腕を振りかぶるバルクが、勢い良くハルバードを投擲とうてきした。

 空気を切り裂く鈍色にびいろの刃が、純白のうろこ甲殻こうかくくだいて割る。


「刺さった!? やりましたよ、バルクさん!」

「いえ……浅いですの! かすり傷程度ですわ」


 カルカの言う通りだった。

 半端に刺さったハルバードを腹に生やしながら、ドラゴンはいよいよ怒気を荒げて吠える。その中でラルスは、リンナの元へと駆け寄り、押し倒すようにして岩陰に身を隠す。

 再び爆炎が頭上を通り過ぎた瞬間……ラルスの目の前で、リンナが見上げていた。互いの呼気が肌をくすぐる距離で、二人は身体も視線も重ねて業火ごうかの収まるのを待った。

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