第25話「退路への激闘」

 燃える空気が震えてにらぐ。

 洞窟内は今、灼熱しゃうねつ吐息といきで地獄のような有様ありさまになっていた。ドラゴン最大の武器、それは口から発せられる多種多様なブレス。氷や雷、毒などを吐く個体がいるが、最も多種多様で危険なのが、熱線や炎を吐き出すドラゴンだ。

 最も単純で強力な破壊力。

 鉄をも溶かす高温の火焔かえんだ。

 頭上を通り過ぎた死を見送り、ラルスはリンナの上から身体をどける。立ち上がって二人は、岩陰へと移動しながら身を隠した。


「す、すみません……あの、リンナ隊長」


 大地を揺るがすドラゴンの足音が、すぐ近くまで迫っている。

 そんな中、互いに背を岩肌にこすり付けての、言葉。

 うっすらと汗ばんだリンナもまた、真っ直ぐにラルスを見詰めてきた。

 放たれた言葉は、意外なものだった。


「少年っ! この、馬鹿! 馬鹿、です……どうして、来てしまったんですか」

「隊長……」

「ドラゴンに挑むなど、自ら命を投げ出すようなもの! それをいられた騎士達を助けることができれば、私の命なんかは――」


 私の命なんか――

 その言葉が、ラルスの胸に刺さった。

 心の底の一番な部分を、その根っこをつらぬ穿うがった。

 瞬間、気付けばラルスは声を荒げていた。


「なんか、って言うな! 姉さん、このっ。馬鹿野郎!」

「なっ!?」

「そうやって、いつも……そうしてきて、ずっと!」


 同時に、二人は弾かれたように岩陰を飛び出す。

 別個の方向へと散った背中と背中は、巨岩を踏み潰す竜の歩みを感じていた。

 ずしりと大地を揺るがしきしませ、一歩。

 全てを踏みしき平らげ、立ち塞がるものを分け隔てなく破壊する、王の歩み。

 正しく……暴君タイラント

 なにものも寄せ付けぬ、最強の二文字を具現化した暴力。

 ドラゴンは人間にとって、不可避の死そのものだ。

 仲間達の叫びを聴きながらも、転がるように走るラルスは剣を握っていた。そして、絶叫と共に白刃を振り下ろす。

 目の前のドラゴンはまさしく、そびえる城壁のごとし。


「姉さんはずっと! 今までもずっと、そうだったんでしょう! 俺、この数日でもうわかった、それがわかるんですよっ!」


 ラルスの剣を、純白の装甲が弾き返す。

 うろこ甲殻こうかくが薄い腹には、バルクが投げたハルバードが突き刺さっている。

 だが、背中側や四肢にはびっしりと天然の鎧が覆って、歯がたたない。

 そして、弾かれた手のしびれに顔をゆがめていると、影がラルスを覆う。

 見上げれば、巨大な爪が振り下ろされる寸前だった。

 そして、声が走る。


「私のなにが……なんでもわかったようなこと、言わないでくださいっ!」


 振り上げられたドラゴンの腕を、閃光が突き抜ける。

 鋭い斬撃を浴びせて着地するや、リンナは脚を止めずに駆け抜けた。

 その背を追って振り向いたドラゴンの、翼を屹立きつりつさせる背にラルスは斬りかかる。


「姉さんは、常闇の騎士ムーンレスナイトで! 誰よりも強くて! 立派で! ……でも、私生活がだらしなくて、生活力がなくて!」

「うっ、うるさいです! 私にも事情が、都合があります。なんですか、少年は……勝手に人の家に上がり込んで! 勝手に私の部屋に入って!」


 叫び声のやり取りが続く中、必殺の一撃が無数に飛び交う。

 無軌道むきどうに暴れるドラゴンを中心に、ラルスとリンナは相手を否定してののしりながら戦った。打ち込む剣が弾かれても、倒れては立ち上がって、逃げながらまた戦う。


「そもそも姉さん、ちゃんと服を着てくださいっ! どうして家だと裸なんですか!」

「ちゃんと下着を着てます! 本音を言えば……面倒なんです! もう、家にいる時、部屋にいる時はなにもしたくないんです! 疲れてるんです、わかってますよね? わかってるから……いつも」

「ええ、知ってます! オフューカス分遣隊ぶんけんたいの隊長ともあろうお人が、いい歳してアライグマのぬいぐるみなんか抱いちゃって!」

「ラルスはアライグマじゃありません!」


 必死で走るラルスを、強靭きょうじんな尾の一撃が襲う。

 ぎ払うように振られた尾を、飛び越えて、そのまま着地し損ね転げて。そうしてまた走るラルスは、気付けばリンナと並んでいた。

 すでにもう、ドラゴンの注意は二人にだけ向いている。

 ちらりと視線を走らせれば、視界のすみで重傷者を連れ出す仲間たちの姿が見えた。

 結果的に上手くいっていると思ったが、リンナに言われると憮然ぶぜんとしてしまうラルスだった。


「わっ、私の読み通りですね……計算通りです! これで怪我人を外へ連れ出せますから」

「それ、嘘ですよね!? 絶対嘘だ、このままじゃ俺たち――」

「もうやだ、いやです、最悪です! ……このまま死ぬの、嫌ですっ!」

「俺だってそうですよ、姉さん! だったら!」


 ズシャリ、とラルスは急停止で振り返る。

 すぐ目の前に、そびえる城塞じょうさいのような巨体が迫っていた。

 怒りに瞳を燃やすドラゴンが、ブレスを吐き出すべく口を開く。鋭い牙が並ぶ口の中は、喉奥のどおくが赤々と輝いていた。

 周囲に遮蔽物しゃへいぶつはなく、入り口とも反対方向に来てしまった。

 結果的にドラゴンを引きつけられたが、その先はデッドエンド……行き止まりだった。

 だが、迷わずラルスは走り出す。

 加速する。

 ドラゴンへと、飛び込んでゆく。

 そして、無謀な突撃へと疾走はしるのは、彼一人ではなかった。


「姉さん!? 下がっててください、えっと、邪魔! 邪魔ですから!」

「少年こそ下がってください! それと……ラルスは、アライグマじゃないです」

「ですから、ここは!」

「私の大事なラルスは……アライグマでもたぬきでもねこでもないんです! ……ぬいぐるみじゃ、ないんです。もう」


 それだけ言うと、さらなる加速でリンナが疾風かおとなる。

 神速で払い抜けた一撃が、ドラゴンの両足に紅い軌跡をきざんだ。鋭利な断面は一拍いっぱくの間をおいて、真っ赤な血を吹き上がらせる。

 痛みによろけたドラゴンへと、ラルスは盾を捨てつつ全力でぶつかる。

 そして、真横を突如黒い烈風が通り抜けた。

 それは、普段の安穏とした穏やかさからは、全く想像できない力を振り上げる。

 黒い魔女、それはあのカルカだ。

 彼女は鉄槌てっついを振りかぶり、全身の筋肉をバネにフルスイング。

 狙い違わず、一気に肉薄したカルカの一撃がドラゴンを停止させる。

 彼女は、半端に刺さったハルバードの、その石突いしづきを叩いて食い込ませた。深々と突き刺さったハルバードが、絶叫と流血とを連れてきた。 

 だが、ラルスは止まらない。

 入れ違いに離脱するカルカの、意味深な呟きさえ意識に拾えない。


「ふふ……しばらくは必要な人材かもしれませんわ。隊長も、ラルス君も……我がゾディアック黒騎士団には。うふふ」


 消え入るような笑みを背に、跳躍ちょうやく

 ラルスは盾を捨てて軽くなった左手で、ドラゴンの腹にまだ少し突き出たハルバードのつかつかむ。

 そのまま、血で濡れながら自分を上へと押し上げる。

 暴れるドラゴンの絶壁を、駆け上がる。

 最後にはハルバードを足場に、再度高々と天に舞った。

 高い岩盤の天井へと、飛翔。


「これでっ、終わりだああああっ!」


 乾坤一擲けんこんいってき、大上段に両手で振り上げた必殺剣。

 迷わずラルスは、ドラゴンの眉間みけんへと刃を叩きつける。

 父の形見の剣は、鈍い感触でドラゴンのひたいを割った。

 直撃の確かな手応えを得て、ラルスは落下しながら剣を振り切る。

 ドラゴンの真っ赤な瞳が、眼窩がんかの中でぐるりと回った。

 同時に、その巨躯きょくが崩れ落ちる。

 勝利を確信し、確認して落ちるラルスは、意外な人物に抱き留められた。


「ラルス、お疲れ。わたし、助けた。わたしに、なんかおごれ」

「ヨ、ヨアンさん……助かりました」

「なんか、おごれ……いい?」

「は、はい」


 正直、もうラルスに余力は残されていなかった。

 着地のことなど考えていなかったのだ。

 そんな彼を肩にかついで、矮躯わいくが嘘のような速さでヨアンが走り出す。それに続く全員が無事で、気絶したドラゴンを背に逃げ出していた。

 不思議と、あとからこみ上げる恐怖に震えが止まらない。

 あの時、リンナの鋭い一閃いっせんが脚を止めてくれなければ?

 カルカの一撃がなければ、バルクの投げたハルバードがなければ?

 そして、その後も落下するしかないラルスの下に、ヨアンがいてくれなければ?

 薄氷はくひょうの上とさえ言えない、危険な綱渡つなわたりの連続だった。

 だが、そうまでして助けたい人が今、隣に並んで走っている。

 リンナはいつもの無表情で澄まし顔だったが、目がうるんでいた。


「少年、なんて危険な戦いを……ま、まあ、私が言えたことではありませんね。反省は、してるんです……ただ、この方法しか思いつかなくて」

「姉さん……」

「皆さんを想い、皆さんのために戦った結果がこれでは……常闇の騎士の名が笑います。結果として私は、皆さんを危険の真っ只中へとみちびいてしまいました」

「それは、そうですよ! 姉さんが……隊長が危ない思いをして戦ってるのに、俺達だけ安全な場所にいれる訳ないじゃないですか。隊長は一人じゃないですよ、俺達と一緒……俺達は、一つです!」


 いいことを言ったつもりだったが、まらない。

 ラルスは今も、ヨアンに運ばれる荷物になっていたから。

 それでも、ラルスの言葉に、わずかにリンナが微笑ほほんだ気がした。

 外へ出ると滝の音、そして差し込む陽光の中で……まぶしさが見せたのは、白んで消えゆくリンナの笑顔だった。

 こうしてオフューカス分遣隊は、討伐はならずともドラゴンを退け、その間にタウラス支隊の騎士たちを一人も欠くことなく救出した。死者がでなかったことは幸いだったが、本営の上層部はこのことを重く受け止めるだろう。

 そんな中でラルスたちは、あらゆる利害の不一致がもたらした戦いを生き抜き、生き残ったのだった。

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