第23話「それぞれの決断」
部屋に戻って装備を脱ぐなり、ラルスは着替えもそこそこに廊下へ出る。
丁度リンナの部屋からは、食事を運んでくれたヌイの母親が出てくるところだった。彼女と入れ替わるように、ドアの前へ立ってノック。
すぐに「……どうぞ」とリンナの声がくぐもり響く。
大きなぬいぐるみに顔を埋めて、リンナはベッドの上に転がっていた。
「少年、
「す、すみません! ええと……出直しましょうか?」
「いえ、いいです。……むしろ、いいなと思います。いて、ください」
ベッドに身を起こしたリンナは、やっぱり下着姿だった。脱ぎ散らかした着衣は、床に転がっている。それを拾い上げていたラルスは、彼女がぽんぽんと
横に座れと言われているようで、おずおずとラルスはベッドに腰掛ける。
自分と同じ名のぬいぐるみを抱きしめたまま、リンナは寄りかかってきた。
肩と肩とが触れ合う中で、互いを安心させるような体温が行き交う。
リンナは珍しく、弱音を
「……正直に言います、少年。タウラス支隊への救援……行きたくありません」
「ま、まあ、そうだと思います」
「仲間の皆さんをこれ以上、危険に……それも、功を焦って無用な戦いに挑んだ人達のために、戦わせたくありません」
「ですね。……でも、なにもしないわけには」
「そうです! そうなんです、少年!」
突然、リンナがぬいぐるみを手放した。
それが床に落ちて転がる前に……彼女はラルスの腕に抱きついてくる。
腹違いの姉は今、
「少年……私はどうすればいいでしょう。どうすれば……この局面、選択を誤ればオフューカス
「リンナ隊長」
「……姉さん」
「は? あ、ああ、ええと」
「あの時、姉さんと呼びましたね? ……二人の時は、そう呼んでもらえませんか。こんな駄目な姉で、幻滅しているかもしれませんが」
「そんなことないですよ! ……ね、姉さんは、いつも頑張ってます。ベストを尽くしてます。常に騎士として振る舞い、その言動で多くの人を救っているんです」
「ホント、ですか?」
「俺、嘘は言いませんよ。……時と場合によりますけど、姉さんには嘘は言いません。騎士に
ラルスにぶら下がるようにしてひっついたまま、リンナがようやく笑った。
それは、ラルスにだけ見せる本当の素顔、完璧な美少女騎士の仮面を脱ぎ捨てた
「……本当にですか?」
「そ、それはもう! 尊敬してます、本当です」
「面倒な姉だと、思ってませんか?」
「……ちょ、ちょっとだけ。でも、そういうとこを俺だけにしか見せず、頑張ってるんですから! それを俺は、俺だけはわかってるつもりです」
「うん」
おずおずとラルスから離れると、立ち上がったリンナがぬいぐるみを拾う。なんの動物かはわからないが、ラルスと同じ名のぬいぐるみは彼女の宝物だ。それを胸に抱きながら、リンナは振り返る。
「あの時、嬉しかったです……私のことを、姉さんって」
「あ、あれは、すみません。つい」
「今度からは気をつけてください。任務中は常に、公の立場にある騎士同士だということを忘れないように。……でも、こうして二人きりの時は」
不意に顔を上げたラルスの
さらりと
「二人の時は、姉と呼んでくれますか? ……これからも、ずっと」
「は、はい……
「私はプライベートでは、生活力がなくてだらしなくて、そういうところだけは母に似てしまった、どうしようもない女です。でも、そこまで全部……少年には知っていて欲しいんです。あの人が私に残してくれたのは、本当はぬいぐるみのラルスじゃなく――」
「そうですよ、姉さん。これからも、ビーバーのラルスと一緒に僕を頼ってください」
「……ラルスはビーバーじゃないと思います。けど、少年。……いいですか?」
「勿論です!」
そっと精緻な小顔を離したリンナは、いつもの涼やかな無表情だった。だが、心なしか柔らかな眼差しで、小さく
「少年、決心がつきました。ありがとうございます」
「姉さん……?」
「着替えるので出ていってください。ちゃんと身体、休めてくださいね?」
ラルスはベッドから立ち上がると、リンナの部屋を
その時はまだ、この後の急展開など予想だにしなかった。
自室へ戻ったラルスは、届けられた食事に少し手を付け、ベッドで横になってみた。だが、妙に目が冴えて眠れない。
そんな時、部屋のドアがノックされた。
そして、返事も待たずにドアが開かれる。
現れたのは、赤ら顔のバルクだ。
「よぉ、ボウズ。起きてるか? 起きてるなら起きてるって、寝てるなら寝てるって言ってくれや」
「……寝てます」
「おいおい、嘘つくなよ。起きてるだろ、そりゃ」
「まあ、そうですけど……酔ってるんですか?」
「なに、寝酒だ」
ずけずけと部屋に入ってきたバルクは、ヨアンを連れていた。彼女は部屋に入るなり、テーブルの上の食器を見て小さく
「ラルス、ご飯。ちゃんと、食べる。お残し、よくない」
「あー、ヨアンさん。なんか、食欲なくて」
「……残す?」
「残ってます。冷めてますけど、よかったら」
「これ、ラルスのご飯。わたし、ええと……いただき、ます」
ちょこんと椅子に座ると、ヨアンはフォークを無造作に握り締めた。一生懸命に食べ始めた彼女を
やんわりとラルスが辞退すると、彼は瓶から直接飲んで口元を手で拭った。
「ボウズ、お前さんに教えとこうと思ってな……この村、モルタナ村のことだ」
「は、はい」
「この村は、昔から例のゴブリンの砦に泣かされててな。あの時も、そうだった。……もう、二十年近く前……お前も隊長も生まれる前の話だ」
神妙な声を作って、バルクは言葉を続ける。
「お前の親父、な……アルスもこの村に来た。俺やエーリルと一緒にな」
「本当ですか!? じゃあ、あのゴブリンの砦は」
「あの時もゴブリン退治だった。んで、砦を破壊するまでの報酬は出なくてな……村の全員から金を集めても、なかなか難しいのさ。ゾディアック黒騎士団の本営でも、渋っていた仕事だった。今みたいにな」
「でも、父さんは来た……バルクさんや、姉さんの、っと。その、リンナ隊長の母君と一緒に」
「血は争えない、って思うだろう?」
「ええ。リンナ隊長はやはり、歴戦の勇士だった父さんの血を受け継いでるんですね」
「……どうだかな。エーリルは何も言わねえが、さてさて」
ガツガツとヨアンが食事を頬張る中、壁に寄りかかったバルクは再度酒瓶をあおる。そうしてグビグビと、
「当時からもう、ゾディアック黒騎士団は酷かったぜ?
「……父さんたちは、そうした組織の体質に、
「そ、んで……潰されちまった。アルスが追放され、後を追うようにエーリルも騎士を辞めた。なんでかなあ、俺だけまだこうしてる。そうとう腐ってたんだがよ、俺も……それでも、隊長を少しでも補佐できれば、ってな」
それだけ言うと、不意にバルクの
とても酔いどれ騎士とは思えぬ眼光で、バルクは真っ直ぐラルスを見詰めてきた。
「ボウズ、リンナ隊長を止めろ。絶対にタウラス支隊の救助なんか考えさせるな」
「え、それは」
「俺は正直、怖いのよ。恐ろしい……でも、隊長が行くと言えば、一緒に行く。その覚悟はあるつもりだ。そして多分……全員、死ぬだろうな」
それでも、リンナを補佐して彼女を守るのが自分の使命なのだとバルクは語った。ラルス同様、リンナと共に戦い、彼女の選んだ道を並んで走る……そう誓っている。
だが、そんなバルクがリンナを止めろと言うのだ。
「いいか、ボウズ……お前の親父は、アルスはこの村を守った。お前さんも、隊長と一緒に守った。みんな、騎士として十全たる働きをした。その上で
「しかし」
「そう、しかし、って言える……そういう奴だよ。ボウズも隊長もな。だから……お前が隊長を止めるんだ。俺ぁ知ってんのよ……隊長は、見過ごせない。見捨てられない
だが、不意に背後で声がした。
振り向くと、音もなく開かれたドアに、カルカが腕組み寄りかかっている。
「でしたら、少し遅かったようですわ。……先程、リンナ隊長は村の
カルカの柔らかな
彼女は肩を
「タウラス支隊を救助すべく、オフューカス分遣隊が確かに行動したこと……それを既成事実として記録させるため、一人で出ていったんですの。たとえどういう結果であれ、オフューカス分遣隊が同志を見捨てなかったと……罪に問われず不利益も被らない、ただそれだけのために出ていったんですわ」
ラルスは
もしや、自分がその決断を後押ししてしまったのでは?
そう思うと、震えが身体を這い上がってくる。
バルクは隣で、顔を手で覆って天を仰いだ。
今からでも遅くない、後を追うべき……ラルスはすぐにベッドから立ち上がる。
その時、フォークを空の食器に放る音が響いた。
「わたし、
「ヨアンさん」
「ドラゴン、危険。割に合わない……けど。リンナ、助けたい。わたし、馬鹿だから、難しい話わからない。どうすれば、リンナ助かる?」
椅子を飛び降りたヨアンは、じっとラルスを見詰めてくる。
カルカもバルクも、そしてヨアンも恐らくもう決めているのだ。
ラルスは全員の視線を拾って集め、大きく
「リンナ隊長を追いましょう! その上で、全員でドラゴンから逃げます。タウラス支隊も、可能な限り助けましょう。難しい任務ですが、俺達なら……俺達オフューカス分遣隊なら、やれます!」
こうして、ラルスたちの決死の戦いが始まる。
その頃にはもう、誰にもなにも告げずに
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