第12話「これもまた、騎士の戦い」

 ――騎士団。

 古来より、魔物から民を守り、国の治安を維持する者たち。古くは王国に帰属する組織だったが、今では独立採算制の騎士団が無数に存在する。百をくだらぬ騎士団が群雄割拠ぐんゆうかっきょする現在を、遠い未来の歴史家は大騎士団時代だいきしだんじだいうたった。

 その中でも燦然と輝く最高最強の騎士団……それが、ゾディアック黒騎士団。

 しかし、栄えある正騎士となったラルスの初仕事は、意外なものだった。


「あの、カルカさん。終わりました、けど」

「はぁい、ちょっと待ってくださいね。今、忙しくて手が離せないんです」


 ラルスが手にしているのは、伝票の束と決算書だ。ゾディアック黒騎士団十二支隊の一つ、レオ支隊が先の遠征で使った経費の報告をまとめたものである。

 カルカは一人で大量の仕事を抱えたまま、机から顔をあげずに手を伸べる。

 白く細い手に決算書を渡して、ラルスは窓の外へと視線を逃した。

 熱心に仕事に打ち込むリンナの背後に、中庭へ向いた大きな窓が陽光を迎えている。外ではどこかの支隊が、集団で教練に打ち込んでいた。その姿はラルスには、よっぽど騎士らしい日常に見えた。

 そうこうしていると、眼鏡を上下させながらカルカがようやく顔をあげる。


「はい、オッケーです! いいですね、字も綺麗だし……読み書きはどちらで? ラルス君」

「あ、はい。父が算術とか、ある程度の勉強は全部教えてくれました」

「そう、助かったわ。じゃあ……次はこれの検算をお願いします。その次は――」

「あのー、これって騎士の仕事なんですか?」

勿論もちろんです!」


 ずい、とカルカは立ち上がるや顔を近づけてくる。

 その目には光がなく、生気がまるで感じられなかった。


「いいですか、ラルス君。モンスターと戦ったり、他国から王国を守ったり……こういうお仕事は本当にまれなんです。そして、主に十二の支隊で日々片付けてます」

「じゃ、じゃあ、俺たちオフューカス分遣隊ぶんけんたいにも」

「わたくしたちは予備戦力、いざという時の後詰ごづめなんですね。だから、出番があるまではこうした雑務処理がメインですよ? ふふ、仕事は山ほどあるんです、嬉しいですよね?」


 結局ラルスは、曖昧あいまいな返事を返してカルカから次の書類を受け取る。

 そうして自分の机に戻ると、分厚い紙の束をドサリと置いた。

 見れば、他のメンバーも同様の事務処理をこなしている。あのバルクですら、難しい顔でペンを走らせていた。その向かいでは先程のカルカが、ズガガガガ! と書類の山を片付けている。心底億劫そうなバルクとは対象的に、不気味な笑みを浮かべるカルカはいきいきとしていた。


団畜だんちく、かあ……あれ? ヨアンさん?」


 ふと目を留めれば、ラルスの向かいの机でヨアンが固まっていた。

 ペンも握らず書類をにらむ無表情は、妙な汗をにじませていた。


「ヨアンさん、どうしたんですか? なにかわからないことがあれば、カルカさんたちに聞けば」

「……わたし、書けない」

「え?」

「わたし、文字、書けない。読むのは、少し、ちょっぴり。でも、書くの、駄目」


 そういえばと、ラルスは思い出す。

 たしか先日、ヨアンとの入団試験の戦いで、バルクが言っていた。彼女は低い身分から這い上がってきた、腕だけを買われた雇われ騎士……契約騎士けいやくきしなのだ。入団時の書類は全て、バルクが手伝ってやったらしい。

 名字みょうじがないので、名と同じものを書いた。

 ヨアン・ヨアンとはそういう少女だった。


「ヨアンさん。字、教えましょうか?」


 ひゅん、と首をめぐらし見上げてきたヨアンが、目を輝かせた。

 彼女は彼女なりに、仕事に向き合いたいのだろう。今まで任務とは名ばかりの、汚れ仕事ばかりやらされてきたから。それで食いつないできたヨアンに、もっと安定した生活が見え始めたのだ。しかし、その前に立ちはだかる敵はモンスターでもなければ野盗や山賊でもない。

 紙とペンだ。

 意を決したかのように、ヨアンは机の上のペンを握った。


「わたし、字、覚えたい。ラルス、教えて」

「お安い御用ですよ。あ、ペンはこうして持つんです。そんな風に握ったら書きにくいですし」


 ヨアンはまるでナイフを握るように、武器でも持つようにペンを握っていた。その手にそっと手を添え、ラルスは正しい持ち方を教えてやる。小さいヨアンの手は柔らかくて、褐色かっしょくの肌が温かかった。

 何故なぜか、ほんのり顔を赤らめたヨアンの表情には気付かない。


「数字は、読めますか? ヨアンさん」

「数字、わかる。数字だけは、書ける」

「文字は……そうだなあ、えっと……ちょっといいですか」


 ラルスは向かいの自分の机からペンを取り、自分の手の平へ走らせる。それを覗き込むヨアンの、つぶらな瞳がさらに丸くなった。

 手に大きく、ラルスは文字を書いてヨアンに見せる。


「まず、これを覚えてください。ヨアン、ってこう書くんですけど」

「これ、わたし?」

「ええ。覚えられます?」

「覚える……これ、ヨアンて、読む。知らなかった……」


 じっとヨアンはラルスの手を見て、それから顔を見上げてうなずいた。

 まずはここからだなと、ラルスは目の届く範囲へ視線を滑らせる。丁度よくバルクが「ほれ」と、いらない紙切れを差し出してくれた。書き損じとはいえ紙は貴重だが、向学心に目覚めた少女の気持ちだって同じくらいに重要だ。

 ヨアンに渡してやると、彼女はラルスの手を見ながら書き始める。

 酷くつたない字だったが、それを書き終えたヨアンは目を輝かせる。


「これ、わたしの名前! ……すごい、これ……わたしの名前、だったんだ」

「そうですよ。今度から自分の名前、自分で書けますね。あとは――」

「みんな、いつも書いてた。この字、よく見てた。これ、わたしの名前だった」

「え?」

「時々、紙を見せられ怒られてた。訳、わかんなくて。でも、偉い人怒ってた。がどうとか、がどうとか、言ってた」

「それは……!」


 恐らく、誰かがていよくヨアンの名前を利用していたのだろう。失敗の責任を全て、読み書きの不自由な彼女になすり付けたのだ。

 おおよそ騎士にそぐわぬ、卑劣ひれつ悪辣あくらつな行為だ。

 そんなことを考え込んでいたら、不意に典雅てんがな声が響いた。


「少年、時間を作ってヨアンさんに読み書きを教えてあげてください。それと、算術も少し。当面はそれを、少年の仕事とします。それと、ヨアンさんにこれを」


 一番奥の大きな机の上から、身を乗り出してリンナが手を伸べてくる。

 彼女が差し出したのは、大きめのスタンプとインクだ。刻まれているのはゾディアック騎士団の紋章と、オフューカス分遣隊を表す蛇。剣を包んでとぐろを巻く蛇が、オフューカス分遣隊を示すマークだ。

 リンナはそのまま椅子から立ち上がると、大きく伸びを一つ。

 すらりと細身の身体に、自己主張が心地よい起伏が曲線を描く。


「ヨアンさん、私が確認を終えたものを回しますので、決済の印を押してもらえますか? 勿論、私がちゃんと目を通したものだけ」


 そう言ってリンナは、部屋の端にある戸棚へと歩き出す。それだけでもう、優雅な雰囲気に室内の空気が和らいだ。とても、自宅で下着姿のまま自堕落じだらくに過ごしていた少女とは思えない。

 彼女がお茶の準備を始めたので、あわててラルスは駆け寄る。

 背後では、バルクとカルカにフォローされながら、ヨアンがスタンプを押し始めていた。


「リンナ隊長、俺がやります! こういうのはほら、下っ端、一番の新入りが」

「構いませんよ、少年。私も少しこうして、息抜きをしているのです」

「はあ……」

「それに、新参者があらゆる雑事をやらねばならないという慣習、私は好きではありません。行儀見習として迎えるにしても、相応のぐうし方があるのではないでしょうか」


 簡潔な言葉の中に、リンナの人となりをラルスは感じた。

 それが常闇の騎士ムーンレスナイトが一人、リンナ・ベルトールなのだ。


「隊長、昨日も……実際的でしたよね。凄く、現実的というか、そういうの……俺、好きだなあ。や、楽したい訳じゃないですけどね」

「しょ、少年! 年上をからかうものではありません。……昨日? とは?」

「城門の前で、ほら。居酒屋の山猫亭にいた、ヌイって子を助けた時です。あれ、どうして不埒者ふらちものを成敗せずに収めたのかなって。でも、ちょっとわかりました」

「どんな正義や正論であれ、人を追い詰め過ぎてはいけません。治安のための抑止力として、剣を振るう騎士も多いですが……過度な誇示、示威行為は無意味に思えます。昨日の方達とて、守るべき民の一部なのですから」


 滔々とうとうと語るリンナの言葉は、澱みなくラルスの耳へと心地よい。まるで清流のようにたゆたう言の葉。だが、不意にリンナは恥ずかしさにうつむいた。


「……少年、なにを言わせるんですか。恥ずかしいです」

「え? そうですか? いやあ、テンションがガツーン! とアガりましたよ。ガツーン! って。やっぱ騎士ってそうで、そういうリンナ隊長のこと好きですよ」

「まっ、また! やめてください……ん?」


 照れたのか、真っ赤になってリンナは上目遣うわめづかいににらんでくる。だが、そんな彼女が振り向く先で、詰め所のドアがノックもなく開かれた。

 同時に、逼迫ひっぱくした男の声が響く。


「オフューカス分遣隊、出動願います! 緊急事態につき、大至急!」


 顔を出した男性騎士の顔は、蒼白に凍っていた。彼の後ろを走る者たちも、具足を鳴らして駆け足で行き交う。

 ラルスにもすぐ、異常事態の緊張感が伝わってきた。

 その時にはもう、リンナは怜悧れいりな無表情で言い放つ。


「了解しました。オフューカス分遣隊、出動します。共有できる情報を手短にお願いできますか?」

「は、はい。現在、スコーピオン支隊が王都の地下水道でモンスターの掃討を行っているのですが」

「今日でしたか、地下水道の大掃除は。では、皆さん……参りましょう。スコーピオン支隊を支援、援護します」


 その時、立ち上がる者達が騎士の顔になる。

 バルクは、待ってましたとばかりに拳の指をバキボキと鳴らし出した。一方でカルカは、眼鏡のレンズが反射する光に表情を覆って笑う。そこには、どうにもやる気のなさそうな中年騎士も、団畜と呼ばれる仕事中毒ワーカーホリックの女性騎士もいなかった。

 スタンプを握ったままヨアンも椅子を蹴る。

 このあとすぐ、ラルスはゾディアック黒騎士団の一員として初の実戦へと出撃するのだった。

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