第8話「大都会の夜の洗礼」

 ラルスの歓迎会は、宴もたけなわでお開きとなった。

 オフューカス分遣隊ぶんけんたいの第一印象は、アットホーム。こうした懇親こんしんの場では笑顔が絶えないとわかった。

 なによりラルスは、お腹いっぱい食べたヨアンの笑顔に頬がほころんだ。

 それでも……不安がない訳でもない。


「これ、俺なんかがしていい仕事なんだろうか……はっ! これはでも……もしかして、俺の初仕事!? ……アゲていくしか、ないのか!?」


 今、ラルスは一人で慣れぬ夜道を歩いている。

 王都の夜は昼間以上に賑わいでいて、まさしく不夜城、眠らない街……すれ違う誰もが、景気のいい顔をして通り過ぎていった。

 自然と脳裏に、先程のやりとりが思い出された。


                  ※


 リンナが会計をして、挨拶もそこそこに去った直後だった。

 ラルスは呼ぶ声に振り返って、ニタニタとしまらない赤ら顔を見やった。

 バルクが周囲を見渡し、声をひそめてくる。


「このあと、暇か? 夜は長いぜ……予定、ないだろ? ええ?」

「はあ、まあ。どこかの宿屋で馬小屋でも借りようかと。宿無しなんですよ、今の俺」

「……ちょっと、付き合わねえか? なに、俺にもそれくらいの甲斐性はあるからよ」


 なにを言ってるのかよくわからないが、ラルスは財布が心もとない。そんな彼にやれやれと肩をすくめつつ、バルクは耳元に顔を近付けてくる。酒の臭いが強くなって、さらに絞られた声音が誘いの言葉を伝えてきた。


「せっかくだからよ、王都の夜を楽しませてやろうってんだ。俺、おごるぜ? かわいい部下、後輩だしよぉ。……アルスの不肖ふしょうの息子ってのも、まあ、あるかもなあ」

「はあ……あ! おっ、俺も父さんの話、もっとバルクさんから聞きたいです」

「そゆのはまた今度。今夜はお前さんの門出かどでだぜ? 景気づけに、いいとこに連れてってやる。ん? 男になっちまいな、ボウズ」


 バルクは鼻穴をヒクヒクさせながら、真剣な顔で語り出す。

 二軒目へとはしごして、おねーちゃんがおしゃくをしてくれる店へ行く。そこで飲んだら、次は三軒目……おねーちゃんがもっとをしてくれる店で決めると言うのだ。

 だが、その内容を聞いてラルスは頓狂とんきょうな声をあげてしまった。


「バルクさん!? いっ、いけません! 騎士たる者がそんなみだらな場所へ出入りするなんて! 世の女性をそんなふうに……俺には考えられないですよ!」

「おーおー、若いねえ。青いねえ。はは、そっかそっか。でもな、ボウズ。考えてもみろよ……そんなに騎士ってな、偉い仕事なのかねえ?」

「当然ですよ。国と民を守って戦い、誰からも尊敬されるふるまいをせねば――」

「じゃあ、夜のちょうとなって働く女達は、偉くねえ仕事なのかい?」

「えっ……そ、それは」


 バルクははっきりと言った。

 職業に貴賎きせんはないと。

 だが、今朝方の城門前での事件も同時に思い出される。先程再会したヌイは、不埒ふらちやからに連れ去られそうになっていた。そういう不当な手段で連れてこられた娘たちが、働かされている可能性はないのか?

 そんな彼の生真面目さに、バルクは嫌な顔一つせず笑った。


「ま、お前さんのそういうとこ、親父に似てるぜ?」

「えっ?」

「アルスも、不器用と言うか、堅物というか……要領の悪い男だが、そんな実直さを誰もが信じて頼ったものさ。わーった! 今夜は帰って寝ちまいな、色々疲れたろうしよ。ただし、馬小屋はよしな。ベッドでちゃんと寝ろ」

「は、はあ」

「宿屋の宿泊費は、あとで経費として騎士団持ちにしてやる。……いいか、ラルス。馬小屋で寝てるような奴は、いざというとき能力を最大限に発揮できねえ。身体を休めることも騎士の務め、ってね」


 ラルスはその時、バルクへの印象が改まるのを感じた。どこか飄々ひょうひょうとして、騎士らしくない言動ばかりの男……そんな彼の方が、ラルスよりずっと騎士の自覚が確かな武人だったのだ。

 そんなラルスの耳元に、突然熱い吐息といきが吹きかけられる。


「うわっ! な、なんですか!? カルカさんっ!」


 振り向くと、背後から首に抱き着いてくるカルカは泥酔でいすいしていた。まぶたの重そうな瞳は、完全に目がわっている。


「ウフフ……ウフフフフフ! 駄目ですからね、ラルス君? わるーいオジサンにそそのかされて、あんな店やこんな店に行っても……経費で落ちませんからねー? ウフフフ!」

「あ、いえ……宿に行って寝ます」

「無駄に高い部屋だと、経費で落ちませんから! 女の子を呼び込むのも駄目です!」

「……すぐ寝ますから。ん? な、なんですか、カルカさん、これ」


 豊満な身体で容赦なく寄りかかってくるカルカの、その腕と腕との輪の中で向き直るラルス。カルカは、ようやく離れてくれると同時に、押し付けるようにして書類の束を渡してくる。

 眼鏡を上下させてハスハスと息を荒げながら、カルカの視線が熱を帯びていった。


「ラルス君、これを隊長に渡してきてください! 先程、渡しそびれてしまいました」

「お、俺がですか? カルカさんが自分でというのは――」

「わたくし、このあと本営に戻りますので! まだまだ仕事、ありますので!」

「……めっちゃ酔っ払ってますよね」

「二時間位仮眠を取れば大丈夫ですっ! じゃ、お願いしますね!」


 そう言ってカルカは、強引に書類を渡して言ってしまった。

 夜道へ消える彼女は、一度だけ振り返って手を振り叫ぶ。


「それと、バルク君!」

「……声がでけーよ、それとバルク君はやめてって言ってるのよね……なんだぁ! まだなにかあんのか、カルカ!」

「純真なラルス君に変なこと、教えないでくださいね! ラルス君はどっちかっていうと、! いいですね!」

「知らねーよ、まあ……今夜はこれでお開きだけどな」


 呆れたようなバルクの言葉に満足して、カルカは行ってしまった。その背を見送っていると、ラルスは突然腹部にポスンと重みを感じる。

 見下ろせば、小さなヨアンが抱き着いていた。

 たらふく食べたせいか、昼間よりぷくぷくツヤツヤした表情が見上げてくる。


「ラルス……今日、ありがと。わたし、次は負けない」

「あ、うん。明日から同じオフューカス分遣隊の仲間、一緒に頑張りましょう!」

「うん……ラルス、またね。また明日」


 腰回りが痛くなるほど、ぎゅーっとヨアンはラルスを抱き締めてきた。そしてはじかれたように離れると、バルクに一礼して走り去る。

 あっという間にヨアンの矮躯わいくは、夜の人混みに見えなくなった。


「おーおー、なつかれちゃってるねえ。あれが番犬と恐れられた契約騎士けいやくきしヨアンかよ。ハハッ、かわいいとこあるじゃねーか。じゃ、ボウズ! 俺も帰るわ」

「は、はいっ! 今日はありがとうございました!」

「なーに、昼間の入団試験で小遣いも稼げたしな。ったく、血は争えねえよなあ……ほんじゃ。ちゃんと寝ろよ、明日から忙しいからな!」


 それだけ言って、バルクは振り返りもせず去ってゆく。

 こうしてラルスは、宿で寝る前に一仕事することになった。

 それは、彼にとっての波乱の初仕事の幕開けだった。


                  ※


 そして、時間は現在のラルスへと戻ってくる。

 彼は今、書類を手に彷徨っていた。

 一応、おおまかな地図がえられていた。

 妙にこなれたイラスト付きで、カルカが書き記したものだ。

 だが、今日王都に出てきたばかりのラルスは、先程から四苦八苦である。土地勘が全く無く、地図を頼りに同じ場所を行ったり来たり。

 右手にはずっと、高いへいが続く巨大な敷地が広がっていた。

 見えてきた門の前では。男女が抱き合っている。

 ささやきあう声が、嫌でもラルスの耳に入ってきてしまう。


「次はいつえるのかしら? ね、また来てくれる?」

勿論もちろんさ、エーリル。愛してるよ……木曜の夜にはまた時間を作れそうだ」


 ラルスの視線にも気付かず、二人はくちびるを重ねた。そのまま強く強く抱き合い、互いの呼吸をむさぼるようにくちづけを交わす。ラルスにとって永遠にも感じる数秒が終わり、男は去っていった。

 逢瀬おうせを楽しんだ相手を見送り、ふと女が振り返る。

 ラルスに向き直った女性は、やや年かさのとても美しい御婦人だった。妙齢と言っても差し支えない、瑞々みずみずしい若さを感じる。メリハリのある身体の曲線美は、しなやかな肉食獣を思わせた。

 その彼女が、目を丸くしているラルスに声をかけてきた。


「あら、そこのキミ……なにか御用? さっきからこの辺りをウロウロしてるみたいだけど」

「えっ、あ、えと……どうも、こっ、こんばんは!」

「はい、こんばんは。ふふ……ずっと寝室から見てて気になってたのよ? こんなカワイイ子が夜のひとあるき……いけないわね」

「す、すみません。あ、この辺りにベルトールさんという方の御屋敷があるかと思うんですが……」


 目の前の女性は「あら」と驚きに口を開いて、その蠱惑的こわくてきな唇を手で覆う。しかし、次の瞬間には彼女は、妖艶ようえんな笑みを浮かべた。

 うぶなラルスがどきどきするくらいに、その笑顔は美しかった。


「ベルトールはアタシの家よ? ここ、この屋敷がそう」

「えっ!? こ、これが? 全部?」

「ええ。こう見えてもアタシ、若い頃はバリバリ稼いだもの。ふふ、今はただのオバサンだけどネ」


 そううそぶいて、また違う表情で笑う。確か名は、エーリルと呼ばれていた。あどけない童女のように笑うかと思えば、先程は毒婦のように含みをもたせて微笑んでいた。その笑みが鼻先に近づいてくる。


「ええと……こ、これを、リンナ隊長に」

「あら? キミ、ちょっと……まあ! 似てるわ、超似てる……あ、うちの娘に用事なのね?」


 思わず動揺に、ラルスの言葉を失った。

 気にせず両手でラルスの顔を挟み込んだエーリルは、まじまじと見詰めてからようやく離れた。


「ま、とにかく上がって頂戴」

「いえ、夜も遅いですし。これを渡していただければ」

「いーから、いーからっ! ほら、若い子が遠慮しないのっ!」


 やや強引に、エーリルはラルスの手を引き屋敷へときびすを返す。有無を言わさず強引な彼女によって、ラルスはリンナの巨大な自宅へと脚を踏み入れることになるのだった。

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