・宵闇の先への船出
第6話「騎士団本営から徒歩三分、オススメ物件?」
夕闇迫る
笑顔で行き交う労働者や市民たちの中を、ラルスは肩を落として
「はぁ……参った。都会はやっぱり厳しいや。っと、ここか?
大通りを小道に逸れてすぐ、目的の酒場が見えてきた。
既にできあがった大人たちが騒いでいるらしく、明るい店内からは笑い声と歌声が聴こえた。心なしか、気落ちしたラルスの気分を少しだけ上向きにしてくれる。
ラルスが落ち込んでいるのには、訳があった。
あのあとゾディアック黒騎士団の本営施設で各種手続きを終えて、ラルスは晴れて正騎士として団員になった。もちろん、まだまだ
混雑する店内は、中規模程度ながらも酒と料理で華やいでいた。香ばしい料理の匂いに、酒と煙草の香り。故郷の
おのぼりさん丸出しで周囲を見渡していたラルスは、突然名前を叫ばれる。
「うおーい! ラルス! ラルス・マーケン。こっちだ、ボウズ!」
不思議と聞き覚えのある、声。
見れば、奥のテーブル席に一人の男が手を振っている。
その顔を見て、近寄るラルスは思わず指差してしまった。
「あっ、
「おいおい、酷いなボウズ。せめて、凄腕ギャンブラーって言ってくれよな」
「それ、どうなんですか?」
「はは、冗談だ。まあ、座れ!」
そこには、昼の入団試験時に出会った男がいた。彼は、ラルスと
「俺の名はバルク、バルク・バンホーテン。オフューカス
「そ、そうでしたか! 失礼しました、バルク殿!」
「ああ、そーゆーのいいから座んなさいよ」
言われるままにラルスは、バルクと名乗った男の隣に座る。
オフューカス分遣隊、それはこれからラルスが所属することになった隊だ。ゾディアック黒騎士団には、その名の通り黄道十二星座の名を冠する十二の支隊があるのだ。オフューカス分遣隊はそのどれでもない、十三番目の隊である。
「とりあえずボウズ、はじめてようや。もうすぐ隊長たちも来るだろうさ。何を飲む? ビールにするか、それともワインか? 異国の酒なんかもあるが、選びなさいよ」
「あ、いや……俺、未成年ですから」
「馬鹿だねぇ、俺がお前さんくらいの歳にはもう、酒も女も知ってたぜ?」
「おっ、女!? ……いえっ、騎士は民の規範たる存在でなくてはいけないですから。それに、隊長たちがまだいらしてないのに、自分たちだけで飲むのは」
「かーっ! お硬いねえ……ん? どした」
ふと、ラルスは妙な気配を感じて前を向く。
座って隣のバルクとばかり話していたが、テーブルにはもう一人の同席者がいた。
同じゾディアック黒騎士団の制服を着た、女性だ。ゆるやかなウェーブのかかった
「あの、こちらの方は」
「ああ、同じ分遣隊のカルカ・リンテだ。ま、今はそっとしといてやんな」
「え、あ、はい」
そんな二人の言葉も耳に届いてないのか、カルカはズガガガガ! と書類を処理している。手元にインクのビンを置いて、次々とペンを走らせていた。その口元だけが、
ただならぬ雰囲気が気になったが、ラルスは書類の束を見て思い出してしまった。
そして、自然と
「どした、ボウズ! なにか悩みでもあるのか? おじさんに話してみなさいよ。相談くらい、いつでも乗るぜ? なにせ、話をするだけならタダだからな」
「はあ」
つい先程のことを振り返って、
彼が悩んでいるのは、この王都での新居のことだ。
「実は……紹介された宿舎の家賃が高くて。
「ほうほう! あれだろ? 騎士団から紹介された物件だな」
「ええと、保証人? あと、敷金と礼金というのが必要だそうです」
なんだそんなことか、といった反応を隠しもせずに、バルクは再びビールを飲み出す。
しかし、身一つで王都へやってきたラルスには大問題である。
急激に興味を失ったらしいバルクが、それでも申し訳程度に話を促してくれた。
「んで? ボウズ、どんな物件だ?」
ラルスは思い出したように、胸元へと手を突っ込む。そして、業者から貰った紙を取り出した。
それをテーブルに広げて、ラルスは話を続けた。
「ここに保証人が必要なんです。あと、敷金と礼金……こんな大金、持ってませんよ。あの、騎士団でお給金の前借りとかは」
「ん? ああ、してくれるぜ? 俺みたいに頻繁にだと、すごーく嫌な顔されるけどな。どれどれ……」
ジョッキ片手に、バルクが紙をつまみ上げる。
ぼんやりそれを眺めて視線を走らせると、彼はそれを手放した。
「こりゃいけねえ、ボウズ。別の場所を探しな。悪いこたぁ言わねえからよ」
「そう、ですか?」
「これはなあ、ラルス……相当にブラックだぜ?」
「ブラック? 黒い、ってことですか? 赤い屋根の借家で、内装はたしか――」
「そういう意味じゃねえよ。この業者自体が、闇に包まれて腹ん中が真っ黒、悪徳不動産って意味だ。怖いねえ、田舎者をカモにしようって
バルクはさらに、田舎者を釣るための物件だとまで言う。
「こんなアホみたいな物件を借りるのは、都会を知らないアホしかいない。つまり、おのぼりさんだ」
「はあ……あっ! 俺、アホなんですか!?」
「今はな。んで、保証人……社会じゃ信用が第一だ」
「じゃ、じゃあ、バルクさん!」
「ヤだね。俺ぁ保証人になんてならねえよ。ほいで、礼金はともかく敷金……この金額、こりゃー返す気がねえな」
「その、敷金ってなんです?」
「担保だよ、担保。大家に『もしラルス・マーケンが突然死んで家賃が未回収になってもいいよう、先にある程度のお金を預けておきます』ってな」
「し、死なないですよ!」
「いやほら、お前さんはもうウチの一員、騎士だから。死ぬよ? 結構サクサクと」
「はあ」
「家賃の二ヶ月分相当が普通だが、見ろ。持ってる分、全部むしろうって魂胆さ。な? カルカ、お前さんはどう見る。ほれ、これだ」
突然バルクは、ラルスが持ってきた紙面をカルカの視界へと放り込む。
ずっと書類にペンを走らせていた彼女は、顔も上げずに一瞥して喋り出した。
「あー、これは駄目ですよ。うちが紹介する物件の中でも、最悪ですね。それに、ここ……事故物件です。確か以前、うちのサジタリウス支隊が踏み込んで大乱闘になった建物ですよ。密売シンジケートのアジトになってて、ほら。五、六人は死んでますね」
借りようと思っていたラルスには初耳だった。
紹介してくれる騎士団の係は、そんなことは一言も言っていなかった。
また作業に戻ってしまったカルカから、バルクはそっと紙切れを引き戻す。
「そういう訳だ、ボウズ。ま、よかったな……借りる前にわかって」
「です、ね……これ、怒られないんですか?」
「ん? ああ……うちの団員の中に、この物件を所有する業者とつるんでる奴がいるのさ。ズブズブに
なんとも恐ろしい話で、それが普通だと言うわんばかりのバルクも少し怖かった。だが、これが大都会なのかとラルスは目を丸くする。
その時、背後で
雑多な声が入り乱れる喧騒の中で、しっとり鼓膜に浸透してくる声音だ。
「少年、部屋を探しているのですか? その様子では駄目だったようですね。それと……ゾディアック黒騎士団には、不正を働く者もいます。しかし、私たちは違いますので」
振り返ると、そこにはリンナの姿があった。
横には、腕にしがみつくようにしてヨアンがぶら下がっている。先ほどと違ってヨアンも、やや着崩しているが露出の少ない服を身に纏っていた。
リンナは立ち上がろうとするバルクやカルカを、軽く手で制して席につく。
「住む部屋については、私も探してみましょう。では……バルク副長」
「はっ! これよりオフューカス分遣隊の新たな仲間を祝して、歓迎会を始めさせていただきまっす! へへ……お硬いのはまあ、これくらいにして。おーい! ねえちゃん、こっちだ! 酒も料理も、ジャンッジャン、持ってきてくれ!」
立ち上がって手を挙げるバルクに、元気な返事が戻ってくる。
そんな中、ラルスは向かいに座ったリンナに目を奪われていた。先ほどと同じ制服姿だが、彼女はヨアンを気遣い言葉をかけている。その横顔は、心なしか先程より優しくやわらかに見えた。
ラルスの視線に気付いたリンナは、ふと顔を向けて白い髪をかきあげる。
「どうしました? 少年、なにか」
「あ、いえ! ええと」
「そうでしたね、私から改めて隊員を紹介しましょう。ここにいる五人が、現在のオフューカス分遣隊のメンバー全員です」
「えっ……こ、これで全員ですか!?」
「十二の支隊とは別に、小規模な編成で迅速かつ柔軟に動く遊撃戦力……それがオフューカス分遣隊です。少数精鋭とも言いますが、少し
こうして、支隊に満たぬ十三番目の部隊、オフューカス分遣隊でのラルスの生活が始まった。思い描いて夢見た形とは、随分と違う形での船出だった。
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