第4話「実技試験」

 あんなに天気がよかったのに、午後から王都はくもり空に覆われた。

 ラルスは今、ゾディアック黒騎士団の本営がある建物、その中庭に立っていた。

 周囲にはちらほらと、騎士達が集まりだす。すぐに人だかりができて、大勢の視線が集中しラルスは恐縮にうつむく。

 そして、見物人の騎士たちの中に、奇妙な男を見つける。

 口ひげを生やした中年の男は、騎士たちの間を回りながら楽しげに叫んでいた。


「さあ、張った張った! 今日のけはなんと、入団希望者があのヨアン・ヨアンの相手をするってよ! オッズはヨアンの圧勝だ!」


 どうやらラルスの入団試験を、暇潰ひまつぶしの博打ばくちにしているらしい。

 見守る者達にとっては珍しくない光景なのだろうが、これはラルスの夢の第一歩。このゾディアック黒騎士団への入団がかかった大一番なのだ。そう思って集中力を乱さぬように心がけていると、例のギャンブル男と目が合った。


「よ! お前さんが入団希望のボウズかい? いやあ、運がなかったな……田舎いなかに帰っても元気で暮らせよ?」

「って、俺もう負けることになってるんですか? 勝負はやってみなくちゃわかりませんけど」

「相手が悪いぜ、ボウズ。タイマン勝負でヨアンに勝てる奴ぁ、そうそういねえ」

「強い方なんですね、ヨアンさんて人は。……その人も、あれですか? ハインツさんより速く剣を抜ける二十七人の内の一人なんでしょうか」


 ラルスの言葉に男は目を丸くして、嬉しそうに笑った。ラルスは頭をワシワシとでられたまま、長身を見上げて複雑な気分を飲み込む。子供扱いは少し心外だったが、なんとなく父と同世代の男が憎めなかった。


「まあ、俺もふくめてハインツより強い奴ぁ、珍しくねえ。常闇の騎士ムーンレスナイトつったって、あれだ……最近は実力よりも家柄とか世渡り上手とか、そういうのが選ばれることもあるからな」

「えっ!? そ、そういうもんなんですか!?」

「そうだぜ、ボウズ。世間を知らねえな、お前さん……上手く出世するにはがあるってことさ。あと、だ。この三つがないと、俺みたいになっちまう」


 遠回しな自画自賛じがじさんで、男はニカッと笑った。

 そして、周囲を見渡すとラルスにだけ聞こえる声をひそめてくる。


「ボウズ、いいか……ヨアンは一騎打ちが専門の雇われ騎士だ。悪いこたぁ言わねえ、適当にやってさっさと負けちまいな。大怪我したら目も当てられねえからよ」

「それはできません! 騎士の戦いに手抜きはできませんから」

「そう言わずに負けてやってくれや。大番狂わせは賭けの胴元どうもとが損しちまう。な? なっ? ……それに、ヨアンはかわいそうな奴なんだよ」


 腕組みうんうんうなずく男の語る内容は、こうだ。

 一騎当千いっきとうせん強者つわもの、ヨアン・ヨアン。このゾディアック黒騎士団に雇われた騎士だ。ラルスのように入団して正騎士にはならず、そうさせてもらえない身分なのだという。腕っ節だけでは、大騎士団のメンバーは務まらないのだ。


「あいつな、元は奴隷どれいの出なんだよ。名字がねえから、履歴書類りれきしょるいに名前しか書かねえ。ってか、読み書きできねえから書いてやったのは俺だけどな。しょうがねえから名字と名前と、同じ名を書くしかなかったのさ」

「そんな方が……俺、知りませんでした」

「番犬ヨアンは、周りから人間扱いされちゃいねえ。不憫ふびんな奴だよ、ったく。そんな奴がド素人しろうとの入団希望者に負けてみろ、即座に契約打ち切り、お払い箱だ」

「俺はド素人では! ……それより、確かに心配ですね。しかし、ヨアンさんも騎士ならば、己の騎士道がある筈。その心をはずかしめぬよう、全力で戦わせてもらうます!」

「……騎士道じゃ腹は膨れねえけどな。ほら、来たぜ?」


 ふと、男が視線を横へ滑らせた。

 彼の見詰める先で、建物からハインツ達が出てくる。リンナも一緒だ。


「これより、ラルス・マーケンの入団テストを執り行う! 一騎打ちによる模擬戦、勝敗の判定は私が下そう。異論のある騎士は即座に、己の騎士道を賭けて名乗り出るがいい」


 周りの騎士たちはどよめきたった。

 ハインツの儀礼にのっとった作法にではない。

 ラルスの家名を聞いて、誰もが顔を見合わせささやきを交わしているのだった。

 だが、ラルスは集中力を高めつつ剣を抜く。

 そんな彼を見て、隣の男は驚いたように口笛を吹いた。


「お前さん、アルスの息子だったのか? こりゃ驚いた……どうだ? アルスは元気にしてるか。あいつにゃ、ポーカーの貸しがある。……周りの雑音は気にするなや、ボウズ」

「気になりませんし、その余裕もないですよ。それに、父は亡くなりました」

「そうか……性根しょうねのいい奴から死んでくな、世の中は。ま、適度に適当に頑張れ、ボウズ! 怪我すんじゃねえぞ……さっきの負けろって話、ありゃ忘れちまえ。悪かったよ、水差してな」


 それだけ言うと、男は行ってしまった。

 飄々ひょうひょうとしてつかみどころがない雰囲気だったが、どこかいい加減な空気を最後は引っ込めていた。

 そして、背後を振り向いたハインツがいらただしげに叫んだ。


「ヨアン! ヨアン・ヨアン! 全く、ふざけた名を……いいから早く来給きたまえ。いつものように片付けてくれれば結構だ。では……ラルス君! 始めるが、よろしいか!」


 ラルスは驚きに言葉を失い、呼吸すら忘れた。

 ハインツの二度目の声に、ようやくしどろもどろな返事を発する。

 ラルスの目の前には、酷く薄着で軽装な対戦相手がやってきた。ほとんど下着姿のような相手を見て、自分の想像力の貧困さをラルスは呪う。

 貧困と差別にあらがう、日陰者ひかげものの雇われ騎士……ヨアンは予想もしない人物だった。


「おっ、!? それも、こんな小さな……これが、俺の相手!?」


 目の前に今、小さな少女が立っていた。褐色かっしょくの肌に、短く切りそろえた薄桃色ピンクホワイトの髪。そして、あどけない顔立ちは一切の感情が浮かんでいない。先程のリンナとは違って、清楚せいそ可憐かれんな印象すら与えてこない。

 まるで、子供の姿をした機械、殺意仕掛さついじかけの傀儡くぐつか人形だ。

 年の頃は恐らく、ラルスより三つつか四つ程若いように見えた。

 無言でヨアンは、両腰の短剣を逆手さかてに抜き放った。

 ハインツの声が高らかに響く。


「では……始めっ!」

「ちょ、ちょっと待ってください! ハインツさん、彼女は――ッ!?」


 ラルスが異議を挟もうとした、その瞬間だった。

 不意に、目の前にヨアンの矮躯わいくが迫った。

 相当な距離があったにもかかわらず、まるで足元から生えてきたかのように肉薄してくる。点から点へと縮地しゅくちの技で移動した、恐るべき神速の足さばきだ。

 幼き餓狼がろうの牙と化して、雌雄一対しゆういっついの短剣が空を切る。

 初撃を咄嗟とっさに避けたラルスは、やむを得ず剣を構えて二の太刀を受けて止めた。


「くっ、こんな小さな子が。でも、身分や性別、年齢を問わぬ民の守護者……それが騎士! ならば、俺の騎士道で受け止めるっ!」


 ヨアンの力は、細腕が嘘のように強い。

 しかし、強過ぎはしない。

 力勝負の鍔迫つばぜいを制したラルスは、そのまま押し切って反撃を試みる。

 その時、押し負けたと察したのだろうか? ヨアンが不意にまた消えた。手元の感触が軽くなって、ラルスは前のめりになりつつ慌てて体制を立て直す。

 そして、強烈な殺気を感じて振り向き、身をよじる。

 へばりつく影のように、死角に回ったヨアンの一撃がかすめた。


「そうか……それで、防具をほとんど身に着けていないんだな! 徹底して俊敏性しゅんびんせいを発揮するための武器、そして服装」

「……違う」


 ヨアンが初めて、喋った。

 激しい運動量の中でも、彼女の呼吸は全く乱れていない。

 無機質な、とても幼い声。


「えっ? っとっとっと、危ないっ!」

「服、買えない……お金、ないから」

「うわっと! きわどい! ……見た目もだけど、なんて鋭い剣筋けんすじだ」


 防戦一方のラルスは、いいようにヨアンに踊らされる。相次ぐ死の擦過さっかで、徐々に気力が削られてゆく。心を折られないように、気持ちを強く持ってチャンスを待つしかできない。

 否、チャンスを作って突破口を開くことをこそ考える。


「でも、お金がないだって? こんな大騎士団に所属して、そんな話は」

、だから。わたし、仕送りすると、なにも残らない」

「これだけの腕を持ちながら、どうして!」

「戦うしか、できないから……それ以外、なにも知らないから」


 次々と繰り出される連撃の、継ぎ目のない流れるような攻撃。その中をラルスは、大きく避けてはポジションを変え、ギリギリで避けては反撃を試みる。

 ヨアンは踏み込めば密着しての零距離ぜろきょりを自在に動き、反撃には躊躇ちゅうちょなく下がる。

 徹底して脚を使った、まとわりつく影のような剣だ。

 そして、全く騎士の決闘の作法が感じられない。

 それが逆に、ラルスには心地よかった。

 儀礼的なやりとりも、形式張って型にはまった戦いも必要ない。

 強い踏み込みに決着を意識し、一際えげつない刺突をヨアンが繰り出す

 そして、驚愕。

 彼女の瞳が、僅かに瞳孔を伸縮させた。


「嘘、これも外れた……?」

「違うっ、! そしてっ!」


 ラルスが肌で息吹いぶきを感じるほどに、ヨアンの顔が近い。その距離まで接近しての、目にも留まらぬ神速の斬撃。それを回避した、次の瞬間にはヨアンがステップアウトする。

 ラルスは呼吸を吸い込み肺腑はいふに留めるや、彼女が作った距離を殺した。

 ぐんと前傾姿勢で、下段に引き絞った剣の切っ先が地面をひっかく。

 砂煙を舞い上げながらラルスは、退くヨアンに逆襲を試みた。


「スピードで敵わずとも、リーチなら俺が! そして……突っ込んでくる時より、引き下がる時の方が、遅い!」


 振り上げた剣が、曇天どんてんく。

 全力の斬撃は、ラルスが意図した力加減でヨアンの肌をかすめた。

 はらりと、ヨアンの局部だけを隠していた薄布が両断される。

 その時初めて、彼女は年頃の少女らしい姿を見せてくれた。

 ヨアンは両手の短剣を手放すや、全裸になってしまった自分を隠しながらその場にへたり込む。ゾディアック黒騎士団の恐るべき番犬が、一人の女の子に戻った瞬間だった。

 だが、大歓声の中で振り向くラルスは信じられない言葉を聴く。


「勝負を止めるのは私だ、ラルス君。そして……ヨアンはまだ、負けていない。そうだな? ヨアン」

「なっ……ハインツさん! 既にヨアンさんは武器を手放しました! 素手の女の子とは戦えません。それは、騎士道に反する!」


 驚くラルスの声を、周囲の「おお!」という驚きが上書きしてゆく。

 そして、ラルスが騎士となるための戦いは、まだ終わってはいなかった。

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