第3話「最初で最後のチャンス」

 りんとして静かに、しかし強く響く、声。

 振り向いたラルスは、目も覚めるような美の結晶に再会する。淡雪あわゆきのような肌と髪、黒衣と同じ瞳の色。小さな唇だけがあかく、再度言葉をつむいできた。


「やめてください、少年。ハインツ殿より速く剣が抜けても……その切っ先がハインツ殿に触れるより速く、私は君の腕を切り落とせます」


 音もなく開かれたドアの前に、リンナ・ベルトールが立っている。

 その手はまだ、腰の剣へと伸びてはいない。

 だが、言い表せぬ清冽せいれつな迫力に、気付けば気圧されラルスは剣を降ろしていた。

 怒りに任せて、剣を抜いてしまった。

 辛うじて絞り出した謝罪の言葉が、どかっと椅子に沈んだハインツへ吸い込まれる。


「……すみません、とんだ失礼を。俺は……なんてことを」

「ふぅ、もういいだろう! 出ていきたまえ、ラルス君。父上を侮辱ぶじょくされたぐらいで剣を抜く、そのような軽はずみな男は騎士にはなれんよ」

「すみません、でした」


 剣をさやへと戻して、ラルスは少ない手荷物を収めた革袋を拾い上げる。

 だが、退出しようとするラルスをドアの前で、リンナが引き止めた。

 彼女はそっと手でラルスを制して、そのまま横を通り過ぎる。ふわりと白い長髪が空気をはらんで、ラルスの鼻腔びこうを甘い匂いがくすぐった。


「ハインツ殿、今……自分でおっしゃりましたね? 

「それは、言葉のあやだ。誤解というものだよ、リンナ君」

「少年の怒気を荒げた声は、外の廊下にも響いていました。彼の父君を侮辱したのではないですか? ……私には心当たりがあるのですが」

「いい加減にしたまえ、リンナ君!」


 先ほどとは比べ物にならないほどの緊張が、場を包んだ。

 ラルスがハインツと対峙した時よりも、室内の空気が重く冷たい。まるで別物だ。それは戦慄さえ感じさせる程の息苦しさを連れてくる。

 そしてラルスは見た。

 先に目を逸したのは、ハインツだった。

 そしてリンナは言葉を続ける。


「ハインツ殿、彼の父君の名は……アルス・マーケン氏ですね? そう聞こえましたが、間違いないでしょうか」

「そ、そうだ。そのことと君は、関係がない」

「関係なくはありません、ハインツ殿。貴方あなたは日頃から、アルス・マーケン氏のあらぬ噂を吹聴ふいちょうしていると聞いています」


 そして、リンナはラルスを振り返った。

 剣と手荷物とを抱えたまま、ラルスは固まってしまう。

 リンナの黒い瞳は、じっとラルスを見据えてくる。物言わぬ双眸の光は、ラルスの中に不思議な希望を植え付けていった。


「少年、ハインツ殿の話にはまだ続きがあります。アルス・マーケン氏が我がゾディアック黒騎士団を去った後……常闇の騎士ムーンレスナイト紅一点こういってんだった華、とある女騎士が女児を出産しました」

「……え? そ、それって」

「それが私です。母は騎士を引退し、女手一つで私を育てました。私は父のことに関して、なにも聞かされてはいませんが……ハインツ殿が根拠に欠く噂話を広げていることを遺憾いかんに思っているのです。……私の母をも侮辱していることになるのですから」


 ラルスは驚きの余り、目を丸くしてしまった。

 苦々しい表情で両肘を執務机に突くや、ハインツは組んだ手と手の上にあごを乗せる。そうして言葉に詰まるハインツに、リンナの追求は鋭く迫った。

 ラルスが抜き放った真剣よりも、遥かに鋭く光る舌鋒ぜっぽう


「少年、ハインツ殿の名誉のために言っておきますが、この方とて常闇の騎士、現在十三人しかいない我が騎士団の最精鋭です。ハインツ殿より速く剣を抜ける者など、数えるほどしかいないんです」


 そう言って、リンナは

 細く白い指が、何度も折られて折り返す。

 十人以上数えたところで、これはたまらんとばかりにハインツが声をとがらせた。先程の堂々とした面接官の顔は失せ、わずかに頬をひくつかせている。


「もういい、やめたまえリンナ君……や、やめて……」

「ハインツ殿、もう少しで数え終えますから。……よし、そういう訳です少年。このハインツ殿に勝る剣術使いなど、


 その言葉を真顔でリンナが放った瞬間、ハインツの様子が激変した。


「やめてって言ってるでしょう! ちょっとよしてよね、もうっ! アタシがそれじゃ、事務仕事や財務整理だけが取り柄の騎士に見えちゃうじゃない! っとにもぉ、ヤな!」


 突然、ハインツは立ち上がるや身をくねらせた。そのヒステリーな声音が、先程の不遜な態度を豹変させる。


「アタシだってね、好きでやってるんじゃないわよ! でも、みんな馬鹿なの、脳筋のうきんなのよ! 誰かがじゃあ、書類仕事をしなきゃいけないじゃない。やだわ、もぉ」

「……だ、そうです。ごめんなさい、ハインツ殿に代わって私から謝罪します。ええと……アルス・マーケン氏のご子息。少年、名は?」


 玲瓏れいろうなる美貌を、リンナはわずかにほころばせた。

 微笑ほほえんだにしてはぎこちなく、凛と張り詰めた無表情はまだまだ氷河のよう。だが、それでも彼女が笑いかけてくれたのだと知って、おずおずとラルスは名乗る。


「ラルス・マーケンです」

「ラルス、ですか……ふむ。今朝程城門前で会いましたね。改めて名乗りましょう。リンナ・ベルトール、オフューカス分遣隊ぶんけんたいの隊長をしています。よろしくお願いします」

「ど、どうも」


 リンナが小さな手を伸べてくるので、おずおずとラルスは握手を交わす。

 柔らかな肌がひんやりとしていて、まるできぬのような手触りだ。

 リンナは無表情で、握った手を確認するように上下に大きく揺すってから離す。そうして向き直る先では、すでにハインツが涙目だった。


「これというのもアタシに仕事運がないからよ! 来る日も来る日も、書類、書類! 手続き、手続き!」

「私たちオフューカス分遣隊の方でも、お手伝いさせていただいてますが。そういえば、その時のお手当がまだ――」

「リンナ! アンタねえ、アタシに恩を売ろうったってそうはいかないわよ。……そ、そりゃあ、ちょっとあの話は言い過ぎたわ。アンタが渦中の私生児かもしれないんですものね。でもぉ、女の子って噂話は好きなのよぉ! 目がないのよぉ!」


 いや、あんたは男だろう……そうラルスは心の中でつぶやいた。

 リンナはリンナで「女の子とは、そうなのですか……参考になります」とすずしい顔だ。奇妙な光景と化した中で、ラルスの心はまだ暗い闇の中。

 なぜなら、ゾディアック黒騎士団への入団は、絶望的だからだ。

 終わった……素直にそう思った。


「あの、それで俺は……本当にすみませんっ! 軽率でした! 反省してます!」


 とりあえず、頭を深々と下げた。

 心から悪かったと思ったし、謝罪の気持ちを表現する方法がこれしか思い浮かばなかった。軽率、そして軽挙だったと思う。父アルスは、多くの言葉をラルスに残してくれた。剣を軽々しく抜くなかれ、剣を抜くは覚悟、そして決意である……そう何度も言われていたのだ。

 父への侮辱に怒るあまり、父の教えに背いたのだ。

 そして、屈辱的な噂話には、リンナの存在という信憑性が裏付けられていた。

 それでも顔をあげたラルスは、じっとリンナを見詰めて思わず呟く。


「……お姉さん、なのかなあ? あんまし似てないな」

「ん? どうしましたか、少年。私の顔になにか?」

「あ、いえ! きっ、綺麗だなと思っただけです!」

「そうですね。さて」


 この女、なかなかにいい根性をしている。

 さらりと一言、、だ。

 しかし、それが事実だからしょうがない。そして、肯定しておきながらリンナは、どうやら自分の美貌に興味がないようだ。また、自覚もなさそうである。

 賛辞さんじに眉一つ動かさず、彼女はハインツと話を続ける。


「ハインツ殿、提案があります。彼はまだまだ未熟なれど、筋の良い少年と見ました。行儀見習ぎょうぎみならいとして仮採用し、試用期間を私のオフューカス分遣隊で預からせてもらえないでしょうか」

「フンッ! なによアンタ、偉そうに」

「この少年は、我がゾディアック黒騎士団でも二十七人しかいない、ハインツ殿より速く」

「うっ、うるさいわね! 繰り返すんじゃないわよ! ……でも、はいそうですかって訳にはいかないわ」

「無条件でとは言いません。公平な機会を……こういう噂も私の耳に入ってきます。ハインツ殿は仕事の鬱憤うっぷんを、入団希望者の面接で不当に発散していると」

「それは……その、まあ、いいわ! 入団テストをしてあげる! それでいいんでしょ?」

「ありがとうございます、ハインツ殿。では。……私の目に狂いがなければ、この少年は磨けば光る原石です。なにより、普通なら磨けども宿らぬ輝きを、すでにともしている気がしました」


 涼やかな空気を残して、リンナは行ってしまった。

 ドアを出て振り向き、完璧な作法で頭を下げ、そして去ってゆく。閉じられたドアで隔てられて尚、その静謐せいひつにも似た清らかな雰囲気が残っていた。

 再び二人になったところで、ハインツは頭をクシャクシャをむしる。ややあって、咳払いを一つすると、彼は冷静な口調に戻ってラルスに向き直った。


「よし、では不本意だが……いたしかたない。ラルス君、入団テストを午後から行う」

「は、はいっ! ありがとうございます!」

「いや、なに……フフ、フハハハハハ! 思い知るがいい、田舎者いなかものはまさに井の中のかわず! お前ごときの腕では、我がゾディアック黒騎士団の騎士は務まらんよ!」

「あ、はい。えっと、でも」

「言うな! そう、私より強い騎士などゴマンといるのだ。正確には二十七人で、悔しいことに先程のリンナ君もそう。しかぁし! 今はすでに、戦場で剣を振るうだけの時代ではない! 思い知らせてやろう、ラルス君」

「はぁ」


 不気味な笑みを湛えつつ、身を揺すってハインツが笑う。

 だが、その不穏な笑顔はもう、ラルスの目には入っていなかった。

 自分の力を、試してもらえる。腕前を披露する機会が与えてもらえる。それは、遠路遥々えんろはるばるこの王都に来た理由で、目的で、そして全てだ。

 自然と身体が熱くなり、逸る気持ちに闘志が焦れる。


「よーし、よしよし! いいぞ、いよいよだ……アゲて行こうぜ、俺っ!」


 一人気合を入れるラルスは、その時気付いていなかった。

 気合を入れるラルスを見ながら、ハインツが不気味にほくそ笑んでいることを。

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