音楽の死

諸根いつみ

 彼女が、ドラムをやめてピアノを習い始めた。

 ライブハウスで知り合い、お互いロック好きということで仲良くなったのに、突然の変化に驚いた。やっぱり年が離れていると、理解に苦しむことも多い。頭の固いおじさんにはわからないよ。

 そう思ったけれど、理由を聞いて、少しは納得した。

「ポピュラー音楽は死んだんだよ」

 彼女は、俺の冷蔵庫から出したチューハイを開けつつ言った。

 嘆く表情は、二十歳そこそこにしては大人っぽい。

「そこまで言わなくても。ショックなのはわかるけどさ」

 俺は、タブレットで曲を再生した。

「ちょっとやめてよ!悲しくなるじゃん」

 彼女は、俺のタブレットを奪って操作し、音楽をとめた。

「この曲もAIが作ったのかな」

 俺もチューハイを開けて言った。

「いじわるだなあ」

「もう何年も自分たちで作曲してなかったんだって?」

「もうマジでショック。超センスいいバンドだと思ってたのに」

「考えてみれば、ほかのアーティストも可能性あるよな。今回は離婚する奥さんがバラしたらしいけど、ほかのところもこれからバレるかも」

「だから、ポピュラー音楽は死んだんだって。ほんとに自分たちで作ってても、AIが作ってるんじゃないかっていう疑いは残るわけじゃん。作曲AIがなかった頃の人たちが羨ましいよ」

「でもさ、ぶっちゃけ、AIが作ろうが人が作ろうが、いいもんはいいんじゃない?」

「えー、わたしは嫌だな。人間が作ったものを聴きたい」

「このバンドが告白した記事によると、曲調とかBPMとかは指定してたらしいけど」

「それだけじゃ作曲したことにならないでしょ。作曲したのはAI。感情もなにもないんだよ?」

「AIが作ってるから、ロックには見切りをつけて、クラシックの道へ進むの?」

「そう。どのバンドももう信じられないもん。クラシックは完成されてるから、AIが入り込む隙はないもんね」

「それでいいの?ギターとかじゃなくて、わざわざドラムを頑張ってたのに」

「わたし、もう自分の能力を出し惜しみするのはやめることにしたんだ。もしかしたら、世界的ピアニストになれるかも。ドラムは全然だめだったけど」

「ドラムは全身を使うもんな」

「わたしの人工指はすごいもん。小さい頃事故に遭っといてよかったー」

「この前のレッスンはどうだった?」

「初心者とは思えないほど上手いって言われちゃった」

「やっぱすごいな」

「世界初の人工指のピアニスト。よくない?でも、叩かれそうだけど」

「だよな。サイボーグ差別ってあるから」

「わたしも言われたことある。手が機械なんでしょーって。あんまり触んないで、とか。鉄棒手で折れんじゃね?とか。アホらしいけど」

「大変な思いしてきたんだね」

「たいしたことないけどね。言い返すし」

「そういうのが嫌で、ドラムやってたとこもあったの?」

「うん。自分の素の能力を試したかったんだよね。でも、もういいかなって。指も含めてわたし自身だし」

「いいこと言った」

「たっちゃんは歌上手いからいいよね。わたしは歌が下手すぎるからドラムにしたけど」

「そう言えば、ライブハウスに行くのもやめるの?」

「たっちゃんのバンドのライブには行くよ」

「ありがとう。昔のバンドのコピバンだから、絶対に人が作った曲だもんな」

「うん。昔の曲は安心できる」

「あのさ、もし、うちのバンドのメンバーがサイボーグだったとしたらどうする?」

「え?いきなりなに?」

「仮定の話だよ。ギターが人工の手だったとしたらどう思う?」

「うーん。だから上手いのかって思っちゃうと思うけど、別にいいと思う。音楽が好きな気持ちが大事だから」

「やっぱ気持ちが大事だよな」

「そうそう。気持ちだよ。ん?この曲なに?」

 手持無沙汰にタブレットの画面をスクロールしていた彼女は、画面をタップした。

 音質の悪い曲が流れ出した。

「なに?このボーカル歌下手だね」

 俺は彼女からタブレットを取り上げる。

「変なの流すなよ。友達の昔のデモ音源だよ」

 その時、俺の携帯端末が鳴った。

「ちょっとごめん」

 俺は電話に出た。立ち上がり、彼女から離れる。

「はい……いつもお世話になってます。はい、そうですね、来週には必ず……あ、はい。そうですね、はい。またご連絡させていただきます。はい」

 まだなにか言っていたけれど、俺は通話を切った。

「仕事の電話?」

 彼女が首を傾けてこちらをのぞき込む。

「うん。工務店からの注文の確認だよ」

「ふうん。休みの日も仕事の電話きて大変だね」

「まあね。でさ、今度のライブだけど、来てくれる?」

「うん。行く行く」


 俺はステージで歌っている。客席の最前列には、うっとりした顔で俺を見上げている彼女。

 フロア後方には、見知った三人の男。俺を睨みつけている。さすがにステージ上には殴り込んでこないらしい。

 彼女には悪いけれど、あの三人に捕まらないうちに、演奏が終わったらすぐに逃げなければならない。

 でもきっと大丈夫。この程度の代償、この美声のためには安いものだ。彼女と俺の違う点は、彼女は事故、俺は自分の意志で優れたものを手に入れたということだ。

 彼女には言っていない。でも、気にするはずがない。大事なのは気持ちだからだ。曲が作れなくても、アマチュアでも、ミュージシャンであることに変わりはないということと同じ。

 借金取りの痛い視線を感じつつ、再び彼女に目を戻す。彼女は俺の歌に対する情熱に恍惚とした表情を浮かべている。俺の声帯が天然か人工かは、些細な問題。関係ない。

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音楽の死 諸根いつみ @morone77

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