5.師匠の言葉(2)
「世界は広い。私との修行の日々も、不在の間の君の頑張りも、昨日の身の凍るような体験も、すべて必要なことだったと肯定できる日がくるでしょう。無駄なことなど何もないのです。すべてのことが君を構成する要素となるのです。そして立ち止まってしまったときは思い出しなさい。君を想う存在がたくさんいるということを、そして君が想う猫たちの笑顔を。誰のために生きるのか、その心が君を冷静に、そして強くしてくれるでしょう。まあトワイライト君のことです。もう心配はいらないでしょうけれどもね。期待していますよ」
マルキーニャスは言い終えると静かにほほ笑み、「さあ、おゆきなさい。コウ殿、何卒お願いいたします。お気をつけて」と言って送り出した。
「はい!」と答えたトワイライトとコウの返事が全く同時だったので見つめ合い笑った。
銀猫の言葉はコウの胸にもしみた。自分の尊敬する存在に、あのような言葉をかけてもらえたらやる気の出ない人間なんていないに違いない。自分にはそういう存在がいるだろうか。
朝から元気はつらつだったトワイライトが、マルキーニャスと話してから急に静かになった、かといって落ち込んでいるとか、悩んでいるという風でもないのだが、彼の中にも消化しきれないでいる何かモヤモヤとしたものがあったのかもしれない。
じゃらし橋から真っ直ぐに歩いてたどり着いたのは随分と猫がごった返す場所だった。
「さあさあ今日もビノベッツからいいカツオが入ったよー!」
「こっちはイカ、そしてタコ!そしてそして牡蠣ちゃんね!」
威勢のよい掛け声を聞きながら、猫ってイカを食べちゃいけないんじゃなかった?などと考えながら前をゆくふさふさの白猫二匹について猫がごった返す人ごみならぬ、猫ごみを縫うように歩いていく。往来する猫たちの中には白猫二匹に挨拶する者もいたが、コウの姿を見て声をかけてくる猫はおらず、忙しそうに魚の入ったバケツを運んだり、掛け声の主の元に集まったりしている。どうやらここは魚市場のような場所であるらしいことはすぐにわかった。
ほどなくして猫たちの
「シュウ、ここは一体?」
カナリアイエローの三日月猫は、いつもの優し気な笑みを浮かべると、
「こちらはお魚センターです」
と答えた。
「ノースアルプ全土から毎朝獲れたてのお魚や貝などが集まるんですよ。朝はマタタビスタ以外からも猫が集まるのでこのようにごった返すんです。息苦しい思いをさせて申し訳ございません」
頭ひとつ抜け出ているので息苦しいということはなかったのだが、猫であふれるお魚センターのこの活気には驚いた。そして改めて経済があるということにも。
二匹について歩いていった先には、子供が庭先で遊ぶプールぐらいの大きさの水槽が無数にあり、ここでも何匹かの猫が働いていた。
「十六番にこのエビ、三十五番にはサバよろしくねー」
何やらこのエリアを取り仕切っている様子の大きな猫が一匹いて、その猫の前に数十匹の猫が並んでいる。
その大柄な猫はどことなく魚市場然とした格好の猫で、トワイライトはその猫の姿を確認すると小走りに近づいていった。
「ウオッチ、おはよう!」
「おー、トワっち。うおっすー」
ウオッチと呼ばれた猫はのんびりとした口調で応じると、次の瞬間には、「四十七番にこのウニねー」と行儀よく整列する小さな猫たちに指示を出しバケツを渡す。
「ウオッチ君、おはよう」
トワイライトに少し遅れてシュウとコウも市場猫の元へ、
「おー、シュウとコウちゃんも。うおっすー。思ってたより早いね、そろそろいっとくー?」
動作は忙しそうだが、やはりのんびりとした話し方のこの猫は確かに昨日の会議でも見かけた猫だと思った。医者猫ドクターピサと兵団長メロウの間に座っていたと聞いたがそうだったかもしれない。
「いまさー、仕事片しちゃうからちょっとばかし待ってねー。っていうかずいぶん早いけど朝めし食ったん?親父があっちでまかない焼いてるからさー。よかったら食べて待ってなよ」
「そういや朝飯はまだだな。ブエナにおにぎり貰ったんだけど」
トワイライトの回答にウオッチはにんまりとし、突然大きな声で叫んだ。
「オヤジー、トワッち達にも食べさせてあげてー!」
大声に驚きながら、ウオッチの視線の先を見る。数十メートル先で一匹の猫が応答する。
「うおーい!」
棒状の何かを振って威勢のいい声で返答したのがウオッチの父らしい。
「ほら、呼んでるよー。こっちはパパッと片付けちゃうからさ、あっちでちょっと待ってなよ」
「了解!へへ良かったなコウ、腹減ってんだろ。お魚センターで飯が食えるなんてな、ラッキーだぞ」
トワイライトはにわかに嬉しそうに言うと、「さ、いこうぜいこうぜ」とまたも小走りで先に駆けだした。
「もう、トワったら」
シュウはあきれたようにそう言うと、
「ウオッチ君、ありがとう。では後でね」
と小さくお辞儀をした。
「お安い御用よー」
にんまりとほほ笑みながら、ウオッチはまたものんびりとした口調で答えた。
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