9.師匠

  9   師匠



「やめろー!」


 ピッチが叫んでいる。

 周りの猫たちも悲鳴を上げた。

 コウは目を丸くしてただただモニターを見つめる。急激に胸の鼓動が高鳴る。

 ねこじゃらしのような形をした橋の上で、大きな鎌を持つ黒猫がトワイライトの首をめがけてそれを振り下ろす姿が画面には映し出されていた。


 快活で愛嬌のある白猫は腕の立つ剣士だということをピッチが教えてくれたが、実際その通りだったのだろう。異形いぎょうのものと彼らが呼ぶ猫の群衆をひらりひらりと舞うように攻撃をかわしながら、時折その手に持つ光る刃でなぎ払う姿は目を見張るものがあった。

 しかし、隊列の最後方にいた黒猫と橋の上で何をか話したあと、踏み出したトワイライトの動きが止まった。そしてためらいもなく大鎌が振り下ろされる―。






「トワイライト君!」


 室内に響いたのはキュウの声だった。

 妹はもはや映像を見ることすらできない。短い悲鳴のあと、うつむき震える。眼を閉じる。思考が止まる―。






 にゃんこセンターのセンター長スピカ・ゼニス・ラマラウ、通称にゃんこ先生は放送を終えるとエーテル研究所へと急いでいた。

 大群がうごめく地鳴りの音は続いている。


「やはり《死神》なのか。《死神》の襲来なのか。急ぐのじゃキュウ。急ぐのじゃキュウ」


 ただ一匹、つぶやきながら、決して思うようには動かない年老いた身体を前に進める。


「トワイライトよ、もう少しの辛抱じゃ。何とか持ちこたえてくれ。何とか無事でいてくれ」


 祈り、念ずる。同じような言葉を繰り返す―。









「シュウ!顔を上げて!」


 茫然自失とし、気を失いかけていたシュウ。

 うなだれるように頭を下げ、眼を閉じている。

 何もない真っ白なスクリーン。心臓が痛い。



 遠くで姉の声―。


「もう、シュウったら。しっかりして!トワイライト君はとりあえず無事よ」


「え?」


 先ほどまでの画面を見る。

 じゃらし橋の上、白猫が一匹倒れている。トワイライトに違いない。

 しかし、黒猫はいない。事態が飲み込めない。姉を見る。


「うふふ、ほらこの画面を見て。これでもう安心ね」


と言ってキュウが指差したのは、じゃらし橋の少し先にあるお魚センター辺りを映したものだった。

 オレンジマントの黒猫と一匹の猫が向かい合っている。

 生成きなりの武道着に黒い帯を締め、背中に細長いこん棒を背負うその猫の後ろ姿には見覚えがあった。


「マルキーニャス様!」


「うふふ、トワイライト君はすんでのところでお師匠様が助けてくれたわよ。でも危なかったわね」


 シュウの眼から涙があふれた。安堵の涙だった―。


「トワイライト君、大丈夫ですか?」


「う、うう」


 うめきながら立ち上がるトワイライト。

 前方から懐かしい声がする。


「トワイライト君、まだまだ修行が足りないようですね、私があと一歩遅かったらお陀仏でしたよ。といっても、だいぶ前から戦況は見守っていたのですがね」


 顔はこちらに向けることなく前を向き、構えの姿勢のままだが、その後ろ姿はマルキーニャス師匠に違いなかった。


「しっ、師匠!」


「ふふ、お久しぶりですねお陀仏君。死線を越えそうになった心境はいかがでしたか?」


 銀髪の猫、マルキーニャスからはオーラのようなものが立ち昇っている。

 トワイライトは眼をうるませた。生きている。師匠がいる。自分は救われた。本当に死ぬところだった。どうすることもできずに大きな鎌が振り下ろされた。光る刀身とうしんがスローモーションのように、ゆっくりと自分に向かって動いているのを知覚していた。そのシーンが頭の中で自動再生される。身震いがする。何が最強剣士だ。本当に死ぬところだった―。



「キキキキキ、油断した。邪魔者は一匹だけではなかったとはな」


 電光石火の突きを受けて黒猫シャドーは吹き飛ばされていた。


「まぁ、雑魚が一匹だろうが二匹だろうが同じこと。そこをどけば死ななくても済むものを」


 馬鹿め、というとまた左目がまばゆく光った。


「師匠、危ない!」


 マルキーニャスは微動だにしなかった。

 そして次の瞬間、眼にも止まらぬ速さでシャドーのふところに入り、飛び蹴りを浴びせた。黒猫はすんでのところでそれをかわす。

 銀色の猫はその勢いのままに着地した右足で地面を蹴ると宙に舞う。そして今度はバク宙するように身体をくるりと回転させると一気に下降し、正拳せいけん突きを見舞わせた。

 またも間一髪という感じでそれをかわしたシャドー。マルキーニャスの拳はそのまま地上を叩き、隕石でも落ちたかのような円心状のくぼみができた。


石化眼せきかがん・・・見なければいいこと」


 息も乱さず、また構えの姿勢に戻る。


「キキ、それなりにやるようだな。お前は何者だ⁉」


「私の名前はマルキーニャス。シャドーさん、あなたのお名前は各地で聞いていますよ。悪名ですがね」


「ほう、あんたが噂のマルキーニャスか、あんたにだけは気を付けろってクロさんも言ってたよ。まあ、どのみち今はあんたの相手なんかしてられねぇ。任務を果たさなきゃ消されるんでな」


 シャドーはそう言うと、鎌を持っていない左手を額に当て、ぶつぶつと呪文のような言葉を唱え始めた。


「カルマ、マルミ、バロメッサ、カルマ、マルミ、マルメッサ・・・。オッチョ!」


 すると一筋の閃光が天空から流れ、ちょうどマルキーニャスが作った円心状のくぼみのあたりに落雷のように落ちた。強烈な衝撃音と目がくらむほどのまばゆい光とともに何者かが現れた。


 猫だった。一匹の猫。しかし普通の猫ではない。

 羽根を持ち、宙に浮いている。手足は六本。右手に槍。左手に盾。首元はふさふさとしっかりとした毛で覆われているのだが、胴体は黄色と黒のしま模様で、その尾からは鋭い針がのぞく。

 どうやら蜂がベースであるらしい生命体だった。


「キキキキ、オッチョ!ここはお前に任せたぞ。俺は先を急ぐ」


 オッチョと呼ばれた蜂猫はちねこは口を横に大きく開き、にかりと笑っているように見える。


異形いぎょうのものか」


とマルキーニャスは言った。


「キキ、異形のもの、あんたらはそう呼んでいるらしいなぁ。わかりやすいネーミング、素晴らしいぜ。だがこのオッチョは、あの群れのやつらとはレベルが違う。何しろ純正品だからな。キーキッキッキッ。そこのガキなんかじゃ瞬殺だろうなぁ、月割つきわりのマルキーニャスさんよ」


 そう言うや否や、シャドーは灰色の雲に乗ったまま、銀猫ぎんねこと白猫の頭上を越え、またたく間ににゃんこセンターの方角へと飛び去ってしまった。


 月割りのマルキーニャスの異名を持つ銀毛の武術家は冷静さを失わない。


「トワイライト君、ただちにシャドーを追いなさい。私もこの者の相手をしたらすぐに向かいます」


「ですが・・・」


 トワイライトは、蜂の魔物猫とマルキーニャスとを交互に見つめためらう。


「早く行きなさい。今のあなたではシャドーには歯が立たなくても・・・、できることはある。守るべきものがあるのでしょう?」


 オッチョがマルキーニャスに襲いかかる。


「ほら、早く!」


 針先を瞬時に右にかわしたそのままの流れで、身体を後方にひねり一回転したのち、裏拳のような形でひじ打ちを当てた。蜂猫が吹き飛ぶ。


「は、はい!」


 トワイライトはようやく駆けだした。





 師匠は強い。自分はなんてちっぽけなんだ。悔しさに涙がこぼれる。

 泣きながら全力で駆ける。


「わぁぁぁぁぁぁー」


 叫びながら、シュウや先生やマタタビスタ共和国のみんなの顔を脳裏に浮かべる。

 絶対絶命のあの瞬間の映像が、またもよぎる。


「わぁぁぁぁぁぁー」


 振り払うように叫ぶ。駆ける。


「絶対強くなってやる!絶対強くなってやる!」


 若き白猫剣士トワイライトの蒼き咆哮ほうこうが響き渡る。

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