Ⅲ-17 悪夢より出ずる者

 日が落ちるまでなるべく遠くへ行きたかった。


 町の北東の橋から森へ入って、深い雪の中を這うように進み、見かけて向かったのは山小屋だった。ベルトランさんが言っていた言葉は微かに耳に届いていた。アンルーヴの周りには木こりの人が切った材木を保管しておく山小屋があるって。だから少し休もうと戸口を開けて中へ入った。


 それが間違いだった。


「よお──レティシア」


 山小屋にいたのは、丸太の山に腰掛けてナイフの手入れをしていたトワイズパパ


「こんな別荘で再会するなんて俺もお前もツイてるな。なあ、今までどこで何してた? その小綺麗な見た目だと相当いい生活してるみたいだが、


 脚が動かない。逃げたいのに。


「お前が鬼ごっこ再開して二年くらいか。前は五年くらい逃げてたもんな。その前は半年だったから、今回はまずまず楽しめたって所か」


 それでも咄嗟にナイフを取った。両手で刃先を向け自覚した敵意を向ける。こんな事、今までできなかった。けれど切っ先は目でわかる程ぶれていた。


 恐い。


 ひとつ、思い出していた事があった。ドリィに捕まった時に記憶の奔流の中で、商隊を壊滅させた後の事。


 わたしは成果として持って来るように言われていた金品と商隊長の首を抱え、ふらつく足取りで帰路に着いていた。辺りはすっかり真っ暗で足下もまともに見えない。撃たれたまま応急処置だけで済ませていた右脚も辛うじて半身の支えになる程度で、発熱もあり意識も遠のいていた。


 たしか、木の根か折れた枝に足を引っ掛けた。それでつまずいたわたしは持っていた首をどこかに落とした。慌てて手探りで見つけ出し、そこでふとその顔を見てしまった。苦悶の表情を浮かべ、見るもの全て睨み付けるような恐ろしい形相。その瞬間、言い様の無い恐怖が背筋を走った。わたしがしている事に何の意味があるのか、生きるため。けれどもパパの下でそれを行う以上、どうしても自分に落とし込めない事実があった。


 パパが殺してるの、見た事無い。


 だからわたしは仕事を成し遂げようと、その決心をして歩き出した。足が治るまでは辛抱してパパの下で働く、頃合いを見て行方をくらます。


 逃げ出しては捕まり、地獄を生きて。


 また逃げ出しては捕まり、地獄を生きる。


 それを数年単位でずっと繰り返してきた。捕まると躾と言われて特に厳しい訓練を強いられるからこっちは必死だった。何度か本当に死にそうになった。そうなるとパパはいつも手加減して、また息を吹き返すまで何もしないでいた。半死半生も同然の生殺しの毎日は、ただ死ぬとか生きるよりずっと苦しかった。


「どうしたレティシア、今回はどうしてここがわかったのか知りたいのか?」


 その言葉でわたしはナイフの切っ先からパパに視線を戻した。その手にはくしゃくしゃに褪せた新聞紙。


「お前は肝心な所で詰めが甘い。隔週新聞を読んだ。アンルーヴ町民大会幕引き、だろ? 写真が小さく載ってたよ……」


 声色が変わる。低く、獣が唸るように。


 怒り。


 手入れしていたナイフをしまい、座っていた材木から立ち上がり、一歩一歩確かめるように近付いて来た。


「随分楽しそうな生き方してるなあ?」目の前に立って、顔を覗き込む。


「誰に助けられた?」


「あ……」ここは嘘でも「パパ、の……」言わなければならない。


 ふう、と息を吐いたパパは頭を掻いた。


 瞬間──ナイフを捻り取られ片手で胸倉を掴まれると小屋の中に向かって振り向きの勢いで投げ飛ばされた。真ん中に置かれた簡素なストーブを乗り越えて、向こう側に積み重ねられた丸太に激しく背中を打ち付ける。息が詰まって動けない合間に、パパはすぐこちらに歩き出し、材木を蹴散らしてまた胸倉を取った。


「誰にって、聴こえねえのか!」


 頭の上から容赦無く浴びせられる怒号。言っちゃならない、誰の事も、言ったらその人が酷い目に遭う。


「なあ、レティシア」


 パパの声が落ち着いた。


「お前さぁ」


 これは、企んでる声。


「青い魔女って、知ってるか?」


 胸が高鳴った。


「その反応だとお前も青い魔女に助けられたんだな。本当にどいつもこいつも腑抜けたクソ野郎ばっかでがっかりだ。……なあレティシアお前は、イェクみたいには、ならないでくれるよな?」


「うぁっ……く……」肘を掴んで持ち上げられ宙吊りになった。掴まれた腕の先が鬱血している。


「レティシア」


 呼ばれ、視線を向けた。


「この二年で新しく教える事が出来た。これからの時代、戦争はより局地的に、散発的に、戦意喪失のため残虐さを競うようになってくる。今まで通りただひと息に賢く殺すだけじゃ誰も見向きもしない。依頼が減る。食えなくなる。だから見せしめパフォーマンスのための殺し方をお前に叩き込む。わかったか?」


 わからないよそんなの。


「なんだそのつら、生きるための新しい方法だ。お前が鬼ごっこしながらひとりで生きていけたのは俺が教えた技術があったからだぞ。もっと嬉しそうな顔してくれよ」


 どうして?


「パパは……」


「ああ」


「……パパ……今、楽しいと思う?」


「ああ楽しいよ。人の成長を見るのは何より嬉しくもある。お前は俺の愛娘だし、これからもたくさんの新しい事をお前に教えていけるのが楽しみで仕方無い」


 どうして人生ってやつはわたしを惑わせるんだろう。


 わたしは決めた。わたしは選んだ。エルネスティーとはいられないってお手紙で彼女を突き放した。自分から。悩んだのは長い間、決断したのはほんの一瞬。わたしは選んだ、君に決めて欲しいって最初に言ったのはわたしだった。だけど、わたしはどうして彼女の気持ちを知っていながらまた悩んで、こうして出て行かなきゃならなかったんだろう。


 知っている。


 パパがわたしを探しに来る事がわかってしまったから。でもそれは嫌だった。だからわたしは見つからないように方方ほうぼうへ移動し続けなきゃいけなかった。それがアンルーヴに一年もいて、見つからない訳が無かったから。


 もう嫌だ。


 パパなんて大嫌いって言いたいのに。


「パパ……」


 わたしは言う。


「わたしに……それ、教えて」


「ようやく決心したな。いいだろう。だがまずは」


 するとパパはにやりと笑った。


「この二年間に積んできた経験を俺に見せてみろ」


 腕から手が離れた。地に足が着いた。くず折れて膝も手も、体を支えるので精一杯。ふらつく足でも立たなきゃいけない。どうしてかはわからない。わたしは立たなきゃいけないって、思う。


「準備ができたら外に来い。訓練場が雪まみれじゃどうも立ち回りが悪くなる。手伝えよ」


 そう言ってパパは小屋から出て行った。わたしは立ち上がり服や髪の乱れを整えて引っ付いた木屑を払い落とす。


「……」


 大丈夫。また前みたいな生活に戻るだけだ。人を殺して、お金を貰って、パパの言う事を聞いて、不意を突いて逃げ出して、身を潜めて、捕まらないようにしながら、毎日やり過ごしていくだけ。エルネスティーも、クランも、町の人もいないけど、大丈夫、できる、できなきゃ。


「忘れなきゃ……」


 楽しかった事がこんなに辛いなら、もう何もかも忘れてしまいたい。


「忘れないと……」


 でもどうしてだろう。


 できそうにない。

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