Ⅲ-16 君を苦しめないために
気付けば私は家への扉の前に立ってドアノブに手を掛けていた。痛いほどの冷たさに、ぼんやりしていた感覚が急速に現実に引き戻されてゆく。
マルールにこの事を話すべきなのだろうか。とうに死んでしまったと思っていたエリクが実は生きていたのだと。そしてドリィが彼女を頭とする武装集団を率いている限り、Cold Boarと呼ばれる遊撃隊も彼の喪失を機に瓦解し消え失せてしまっている可能性が高い。
ドアノブから手を離して、冷えてしまった手をさすり上げた。そのまま両手を口元に持って行って吐息で手のひらを温める。それから意を決して中へと体を滑り込ませた。いつもの足取りを思い出してそのように振る舞いながら、私は階段を下りて居住区へと向かった。中途でシュトートが落ち着かない様子で歩き回っていた。
「どうしたの」
彼は差し出した手を駆け上がり肩へと乗るだけだった。まさかまた締め出されてしまったのだろうか。先にシュトートを書庫へと戻すもそこに彼女はいない。名残惜しそうに肩を下りて戻る姿を見届けてからキッチンへと向かった。
ミゼットおばさんから受け取った衣服をキッチンの椅子に置いて、ふと何かがテーブルに置かれている事に気付いた。ブリキの箱と画用紙サイズの真っ白い紙、そして無造作に散らばった色鉛筆たち。いつもマルールが暇つぶしで絵を描く時に使っているものと同じだった。
安静にしているように言ったのに、まさかここで絵を描いていたなんて考えたくは無い。それでもまずは片付けねばと思い、私は色鉛筆を箱にしまい、紙を翻した。
だいすき わたしのエルネスティーへ
はじめてのおてがみ。
へたでごめん。
あれからいっぱい、いっぱいかんがえた。
いやだっておもうの。
きみをこまらせること。
きみは、なんにもいわないで
でてくの、きらい。でしょ?
ほんとはいたいよ、ずっと、いっしょに。
でも、わたしがかくすこと
それで、きみはくるしい。
そんなのいっぱいたべられない
わたしのせいでつらいの たくさん、だよね?
まいにちとっても、
とっても ありがとう だったよ
だから ごめんなさい、
ごめん。
「マルールより、あいをこめて……」
正確に読めているかどうか危うい、黒の色鉛筆を使った拙い文字。滲んだ
彼女は
そして──彼女も悩んでいた──原因は私にある。私が何も言わないから、思っている事や考えている事を勘違いさせてしまったのは、やはり私が愚かだったからに違いない。それでも手紙からではわからない疑念が生まれた。
彼女はどうして私と一緒にいたいのだろう。
そんなに苦しいほどずっと一緒にいたいのなら、私の事が好きなら、何故目の前から消えようとするのだろう。私はもうどんな気持ちも裏切られたくないのに。
知っていた。だけども伝えていなかった。彼女との毎日がこれまで生きてきたどんな日々より、くすぐったくて、気恥ずかしくて、時折訪れる苦難もそのために幸せだった事も。私は私で自分を信じ切れず、煮え切らない態度があなたを苦しめていたのではないかと。裏切っていたのは私だった。
「こんなに拙い言葉で……」
理解して欲しいだなんて、私にはできない。
ラスカシェロスでの一件以来、もっと彼女に親身になって努めていれば、記憶を取り戻した時に少しでも訪れる葛藤に胸を焦がされる事も無かったのだろうか。今となってはもう遅い。記憶を取り戻して彼女は消えた。
そしてLegion Graineも、自分自身扱い切れないこの難しい性格も永遠に、どんなに奔放な空想でさえ思い描けない死を迎えるまで、私に憑いて回るのだろう。
もちろん彼女とは色々あった。だからこの気持ちを裏切りたくない。そしてここまで来れたのかもしれない。お互いを探りあって嫌な過去や苦手な部分、その腫れ物に恐る恐る触るような距離感ではなく、今度こそ自分の気持ちも、好きな人も気持ちも、はっきりとあけすけに、二人して確かめ合いたい。
エルネスティーが探しに来てくれて嬉しいと、私にそう言ってくれたのは紛れも無い彼女なのだから。
探しに行こう。
マルールを探しに行かなくては。
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