幕間e
トラックの前方、運転席まで悪路ゆえの揺れを気にしながら向かって、今日何度目かの現在地を確認しに来た。
「今どの位置にいるの」
「旧文明の偉大なる遺産、人工衛星とカーナビゲーションによると――ダントゥーラの辺り。目標地点への到達まではもうちょいかかるな。気が早いぜ姐御」
「そう」
「やけに神妙な面持ちで」
「そんな顔していたかしら」
「ああ。デコと頬にシワ一本追加だ」
あたしは杖を差し出そうと手首に力を込めた。アルファ・ジールの竦む感じ。
連絡が途絶えた地点はかつて史上長期に渡る大規模戦線が展開された地域だった。今はその戦線も海を超え遠くへと移動している。しかし土地は荒廃し、日々に追われるように生きる人々しか暮らしていない筈だった。戦地よりは安全だからと遠隔調査班を二人に編成して向かわせたけれど、あれから一切の連絡が無い。
「ずっと、何かおかしいと思っているのよ」
「確かにおかしいが、もしかすると近くの町で女侍らせて遊んでるだけかも。後はまあ考えられないが、事故に遭ったとかな」
さて、どうだろうか。徹底的に破壊し尽くされた場所に新たにまともな町が栄えているとは到底考えられない。それ程あの地域は銃と火薬で焦土と化し、数多流れる血によってようやくその燻りが沈静化した、呪われた地なのだから。
「いずれにしても只じゃおかない」
「おお、怖い怖い」
姐御のおしおきは手厳しいしなあ。
茶化すような声で言うのを杖で威嚇、搔き消した。体で流すように避けられたおかげで、ハンドル操作も少しぶれたらしい。車体が左右に揺れた。
「おっとお、ははっ」
「ふざけてないで、早くしなさい」
了解――と途端、アルファ・ジールはアクセルを強く踏んだ。ぐっと体が後ろによろけるが、すぐに立て直す。トラック後部で談笑に耽っているはずの他の仲間たちの幾人かは、きっと箱の上のヴォトカを派手にぶちまけたところだろう。屈強な男共の喧しい声が負けず劣らずのエンジン音に紛れて聴こえて来る。次に休憩を挟んだ時、アルファ・ジールはその弁償をさせられるのさ。どこでも買えるような、安っぽい煙草一本で。
「それにしても、あいつら本当にどうしたんだろうなあ」
そう言った後、リンと煙草の燃える匂いが鼻をくすぐった。
心穏やかにさせる香りに自然と口角が吊り上がり、あたしは老眼鏡を一段階上げた。
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「なんだい、これは」
ラスカシェロス市立マッテオ記念病院。消息の途絶えた地点で二人を見つけたのはその最上階の院長室だった。窓ガラスが全て割れて冷たい風の吹きさらすだだっ広い部屋で、二人の姿はミイラ化していた。一目見てわかったのは、ラウが首を掻っ切られた事でのショック死、テオは内太腿の大動脈を打ち抜かれての失血死。それ以外の外傷は無かった。
「姐御……」
アルファ・ジールが怪訝な表情で顔を覗き込んできた。
「しみったれた顔するんじゃないよ」
「でも、こいつは」
「わかってる」
これをやったのはCold Boar。
どうやら相当のやり手に当たっちまったようだ。
「まだ生きてるなんて有り得るのかよ」
二人の遺体の周囲を歩きながら、あたしはアルファ・ジールの質問に答えた。
「このあたしが生きているのよ」
問題はCold Boarのどいつがやったのかって事だ。どちらも傷の具合から見て一発で仕留められたと考えるのが妥当だろう。ただ、イェクはあの時足を洗ったし、トワイズはライフルを使っての射撃が得意だ。ナイフが得意だったのはフォルジェロだったが、トワイズとフォルジェロは仲がすこぶる悪かったし、この二人が生きていたとして結託する可能性は有り得ない。Cold Boarのメンバーで考えられる実力の持ち主だとしたらその三人しかいないが、消去法でもイェクがやったとは、やはり考えにくい。
イェクが去ってトワイズがリーダーになり、やがてすれ違いが生じて散り散りになってから、Cold Boarの名の威を借りた模倣犯が増えていた事は知っている。昔ながらの方法で殺戮を繰り返し、人々に恐怖の対象として恐れられている。しかし具体的な人物像はあたしにはわからない。内太腿を狙って仕事をやり遂げる方法はイェクが去ったあの時を境に誰も行わなくなった。
だとしたら、考えられるのはあの子だ。イェクが帰って来た時に抱えていた赤ん坊。そしてイェクが去ってから、残った皆で彼の言い付け通りに育て、散り散りになる際トワイズに引き取られた。
名前を付けたのはあたしだった。たしか、レティシアと名付けた筈。産毛同然に柔らかい蜂蜜色の髪と澄んだ琥珀色をした目が綺麗だった。まだ肉体的にも精神的にも幼かった頃のあたしの記憶。
二人の亡骸を調査するのを中断し周囲に視線を巡らすと、部屋の入り口の扉付近に鈍く光るものが見えた。訝しんで拾い上げてみると、それはライフルの空薬莢。
「こいつはまた……」
大層な証拠を落としてくれたものだ。お誂え向きにトワイズがライフルに刻んでいた印まで一緒。彼の考えでCold Boarだけが仲間内で使っていた、祈りの合言葉。
Corps De Bois
森林部隊、森の人、酷い意味になると雑木林の死体などといったニュアンスの言葉になる。今よりずっと無邪気な頃のあたしたちはすぐに採用した。あたしたちは森林を駆ける部隊で、森に生きる人で、最後には雑木林で名も知れぬ死体のひとつになるのだ、と。
あたしはライフルの空薬莢を拾い上げてアルファ・ジールに見せた。彼は目を凝らし、傭兵部隊に所属していた頃の知識をすぐに引き出してこう答えた。
「そいつは大変な貴重モンだ。そうそう手に入りはしない。なんだってこの生産不足の時代にそんなめんどくせえほど珍しい弾が転がってんのか不思議だ」
「この弾、流通しているとしたらどの辺りが濃厚?」
「そうだなあ」アルファ・ジールは答えた。
「製造可能な工場は海を渡った大陸に極小数。つまり、ここでその弾を手に入れる事ができるのは、遠方からの貿易商を抱えた町だけって事になる。その程度の商業規模を持った町ならこの辺ではかなり絞り込める」
「具体的な場所は?」
「脳味噌使いが荒いぜ」悪態吐きつつも彼は答えてくれた。
「この辺りでそれなりの規模を持った町となると、カナーレか、アンルーヴってとこしかない。とは言えカナーレは土地が平坦、町全体の食糧も余るほど生産できるくらい安定してる。つまり武装取引をほぼ必要としない。考えられるとしたら断崖絶壁に囲まれた陸の孤島アンルーヴ。山ん中のど田舎だ」
名前は聞いた事が無かったが、アルファ・ジールの説明だけ聞くと非常に興味深い町だ。
あたしは杖で床をひと叩きした。
「行き先はカナーレよりもアンルーヴを優先させようかね。身を潜めるには持ってこいの場所かもしれないし」
「姐御に同意」
アルファ・ジールは手持ちのノートにさらさらと鉛筆を走らせたのち、やがてぱたりと閉じた。戦場の最前線でも銃撃戦に隙があればメモや戦況を残しておく癖のあるアルファ・ジールは記録係に打って付けの存在だった。ずっと昔、大規模な衝突があったらしい荒野を、銃とノート片手にとぼとぼ歩いていた彼を見付け「あんた鉛筆持ってないか」と声を掛けられた時は面白い以外の感情が湧いてこなかった。今では立派なあたしの仲間。それは勿論、テオやラウや、トラックで待機している他の野郎共だって。
「車でどれくらいかしら」
「季節柄雪道になっている地域が多いから、あまり急ぐのも良くない。多く見積もって二週間」
「安全を第一に動いて」
アルファ・ジールは頷くと立ち上がった。無線機で外の仲間と連絡を取ると、連絡を受け取った仲間が一斗缶を抱えてやって来た。それを二人に掛け流すよう伝え、彼はマッチを一本擦って、二人の上に投げ込んだ。
たちまち激しく燃え上がる炎と煙。そして煤になる二人の亡骸。
やがて全て吹きさらしの部屋の風に運ばれて行って、とうに魂を失ったこの地の空に、ただ寂しく舞い降りる。
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