其之二

 頼信は雨の中を推して訪ねて来た頼義を見て意外そうな様子で何事か言いかけ、そのまま口の動きを止めた。おそらく「どうして長いこと姿を見せなかったのだ」とでも言いかけたのだろう。

 しかし改めて口を開いた頼信は、頼義に向かってこう言った。

「東国から馬が来たと聞いたがわしはまだ見ていないのだ。今夜は暗くて何も見えまい。明日の朝おまえが見て気に入ったなら持って行くがいい」

 この言葉は頼義を喜ばせた。自分から馬の事を言い出す前に父はくれると言ったのだ。音沙汰のなかったことには触れずに「明日の朝」つまり泊って行けと言ってくれたのだ。

 頼義は嬉しく思って答えた。

「では今夜は父上の御宿直仕って明朝拝見いたします」

 宵の内は親孝も交えて雑談して過ごした。そのうちに話題は親孝の子のことに及んだ。

「だいぶ以前におまえの子が出家したと聞いた。詳しいことは聞かずにいたが、それはあの時の男の子であろう」

「はい。殿に命を助けて頂いた息子にございます」

 それを聞いて頼信は感慨深げに沈黙した。乳兄弟の近しさで親孝もそれ以上は何も言わない。頼義にもそれが何の話であるのかすぐにわかった。


 頼信が上野守として任国にいた時のことである。親孝も頼信に従って上野国に住していた。

 ある日、家に盗みに入った盗人を親孝が捕らえて家の中に縛り付けておいた。その盗人が手足の枷をはずして逃げ出し、あろうことか親孝の五歳になる男の子を人質にして物置の中に立て籠もってしまったのだ。

 驚いたのは役所にいた親孝である。家の中に盗人を捕らえていたのに何故小さな子を放っておいたのかと知らせに来た家の者を詰っても始まらない。

 家へ駆け戻って見ると、本当に盗人が物置の中で泣き叫ぶ子どもの腹に刀を付き立てている。親孝は目の前が真っ暗になった。

 さしもの親孝も可愛い我が子を人質に取られ何も考えられなくなってしまった。飛びかかって奪い返そうにも底光りする大きな刀を突き立て「一歩でもお近づきになったら若君を突き殺してしまいますぞ」と脅されてはどうすることもできない。本当に突き殺されてしまったら何もかも後のまつりではないか。

 進退窮まった親孝は御屋形の頼信の元へ駈け込んだ。

 何の前触れもなく顔を真っ青にした親孝が今にも倒れ伏しそうな様子で慌てふためいて駈け込んで来たのだ。これには頼信も驚いた。

「いったい何があったのだ」

 親孝は心配のあまり目に涙を浮かべて頼信に泣きついた。

「たったひとりの幼子を盗人に人質に取られてしまいました。このままでは突き殺されてしまいます」

 これを聞いて頼信はからからと笑いだした。

「馬鹿だな。そんなことで泣く奴があるか」

「し、しかし」

「おまえが泣くのはもっともだが、ここで泣いてどうなるのだ。たとえ相手が鬼であろうと神であろうと立ち向かってやろうというくらいの気構えがなくてどうする。子どもの一人くらい突き殺させてしまえ。それくらいの気構えがあってこそ武人の面目が立つというものだ」

 理路整然と叱責され親孝も冷静さを取り戻した。

「だがまあ、それはそれとして。どれ、ひとつおれが行ってみよう」

 頼信はそう言って太刀だけを持って親孝の家へ向かった。

 頼信が来たとなると盗人も親孝に対したときのようにはいかない。目を伏せてますます刀を突き付け、少しでも近づいたら刺し貫く様子を見せた。子どもは激しく泣き叫んだ。

 頼信は物置の入り口に立って盗人に向かって言った。

「おまえがその子を人質に取ったのは、自分の命が惜しいからか、それともただ子どもを殺したいからなのか。どちらなのか、しかと申してみよ」

 頼信の威厳に圧倒され、盗人は弱々し気に答えた。

「どうしてこの子を殺そうと思うことがありましょう。ただ命が惜しく助かりたいと思うからこそ、もしや助かるかと思って人質に取ったのです」

「よし。ならばその刀を投げよ。この頼信が言ったからには投げずには済むまい。おまえが子どもを突くのを、おれは黙って見てはいないぞ。おれの性格は風の噂に聞いていよう。さあ、刀を投げよ」

「……」

「さあ」

「恐れ入りました」

 盗人は刀を投げ出して子どもを放した。

 親孝はすぐさま盗人を切り捨てようと思ったが、頼信は盗人を引き出させて言った。

「こいつは殊勝にも人質を放した。貧しいゆえに盗みをし、命が助かりたいがために人質を取ったのであろう。憎むこともあるまい。それにおれの言う通り人質を放したのだからものの道理をわきまえた奴だ。すぐにこいつを放してやれ」

 そして盗人に向かって尋ねた。

「何か欲しいものはないか。あれば申してみよ」

 盗人は、ただただ泣き入るばかりで何も答えられなかったそうである。

 頼信は粗末な弓と、矢を入れて携帯するやなぐいを取って来させ、草刈馬の中で強そうな馬に鞍を置いて引いて来させた。そして盗人にやなぐいを背負わせて馬に乗せ、十日分の食糧の入った袋を腰に結びつけてやった。

「さあ、まっすぐに馬を走らせここから消え失せろ」

 男は頼信の言う通り一目散に逃げだしたそうだ。

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