ジャイロキャノピー後日談

 リリーちゃん……いや、もう夜のお仕事から引退したのだから秋月さんと呼ぶべきか。お別れの時「関西でエステティシャンになるんです」と話す彼女に身分証明書代わりになるからと原付免許取得を勧めてから数か月。エステサロンなんて洒落たものに勤めるなら関西は関西でも大阪や兵庫、あとは京都あたりだろうと思っていたらまさかの滋賀県しかもド田舎な高嶋市。たしかに滋賀県高嶋市は関西といえば関西ではあるから間違ってはいない。


「ボーっとして、どうした?」


 なんでもないと答えると大島ちゃんは「そうか、まぁコーヒーでも」と淹れたてのコーヒーを差し出してきた。断る理由もないのでありがたくいただく。


「この前のジャイロキャノピーな、元気に走ってるで」


 当たり前だ、こちらは整備士崩れとはいえ実務経験のある二級自動車整備士。二級とはいえ俺が現役時代は実質最上位免許だった国家資格だ、そんじょそこらの機械好きおじさんと同じではない……いや、現役の整備士みたいに最新の技術が有るわけでなし今となっては少し機械に詳しいだけのオッサンだ。


「ウチのお客さんが『まるで狂おしく身を捩るように車体を傾け、右へ左へとコーナーを走り抜ける』って言うてたわ」


 ホンダの三輪スクーターは二輪車と同じように車体を傾けて曲がれる機構が付いている。これは『スイング機構』って奴で、オートバイが意志を持って身を捩らせているわけではない。


「流石『地獄のプライベーター』やな」


 俺は漫画の湾岸なんちゃらに出てくるチューナーやない。それは単なるスイング機構の説明だと言ってやった。


「ジャイロは車体を傾けんと曲がれんからな、ウチのリツコさんもそう言うてるわ」


 スイング機構のナイトハルトゴムを交換して走っている中古ジャイロはどれほど居るだろう? 交換しなくても走れなくはないけれど、交換すれば効果は体感できる。乗り手はともかく外から見ても違いはわかるのだろうか。


「それにしても、今回の値段交渉では弱気やったな。美人にクラッと来たんか?」


 クラッと来たか来なかったかと言われると当の昔にクラッと来ていたし、秋月さんがリリーの源氏名で働いていたお店にも通いまくっていた。


 ま、リリーちゃんだった頃の秋月さんに乗られて身を捩って悶えていた俺が言うのもアレだが。でもってプレイと同じく値段交渉でもガンガン攻めてくるとは思わなかったわけで。


「ニコッとしながら言うことが厳しい、ありゃタダ者やないで」


 お店に内緒なサービスを頼んでも笑顔でサラリと受け流していた彼女は百戦錬磨の猛者、病気から身を守り長年にわたり業界で生き続けた彼女は大島ちゃんが言う通り只者ではない。リリーちゃんの下で悶えた俺、そして引退後の彼女に乗られて狂おしく身を捩るように走るジャイロキャノピー。もしかするとバイクは整備した者に似るのだろうか?


「あのキャノピーはお前らしかったなぁ、基本に忠実っていうか大事なところで固いっていうか」


 だとすれば大島サイクルで売ったカブやモンキーは大島ちゃんに似るのか? 所詮オートバイは機械でしかない。乗り手が興味を失えばメンテナンスも疎かになって故障する、よく『売ろうと思った途端に壊れた』なんて言うやつがいるが放置して故障しただけだ。大昔の海外ドラマに出てきた車じゃあるまいし、機械が意思を持つわけがない。


 改造が面倒だったから普通に消耗品を交換しただけだと言った。


「ボアアップはやりにくいわやったところで対費用効果は薄いわ、最近のは触りにくくなったよなぁ。弄る側としては困った時代やで」


 今日の大島ちゃんは口数が多い。こんな時は聞きたいことがあるがズバッと聞けない時だ。今の大島ちゃんは本当に聞きたいことへ向けて話の流れを作っている。


 そろそろ来るか。


「気になってたんやけどな、秋月さんと知り合いやったんか?」


 エッチなお店のリリーちゃんと俺は仲良しさん、だが彼女は引退して一般人の秋月莉々亜さんになった。もう俺が知り合いだったリリーちゃんは存在しない。だから秋月莉々亜さんと俺は知り合いでなければ何でもない、ただの売り手と買い手だ。「この中島大五郎、エッチなお店以外の女性に知り合いなど居らぬ」と答えたら「そうやろうなぁ」と返ってきた。


 少し腹が立つ。だがそれでいいのだ。


 俺は中島大五郎、『蒼柳区のバートモンロー』とか『地獄のプライベーター』と呼ばれるバイク弄りを趣味とするオッサンだ。


「ところで、頼まれた部品やけど代替品とか値上がりが結構あってな」


 今日のコーヒーは少し苦い。

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