交渉
ジャイロキャノピーの買い手となる秋月さんと会った瞬間、
「紹介するわ、こいつはバイク趣味人の中島」
「どうも、初めまして」
秋月さんは少し驚いた表情をしたが無理はない。中島は熊の様なゴツイ男、彼女がエステ店で接客をする奥様方とは全く違うタイプだ。それでもニコリとして「初めまして、秋月です」と対応するのは接客業ゆえか、それとも見た目のわりに肝っ玉が据わっているかだろう。
「車体の説明とか値段交渉はお二人で」
こちらは個人売買のお手伝い、車体の説明は整備した中島でないと詳しくはわからないし値段に関しては二人で折り合いをつけてくれとしか言いようがない。俺に出来るのは中島が変なことを言わないか監視するだけだ。
「車体は普通に乗れる程度にメンテナンス済み、こちらの希望は十二万円」
「ん~もう少し安くなると嬉しいんですけど」
もしも中島が「俺の子供を産め!」とかの問題発言をしたらすかさず三十二文ロケットランチャー(今は亡き某プロレスラーの必殺技)を繰り出す体勢で話を聞く。
「けっこう厳しいこと言うねぇ……十一万でどうよ?」
今のところごく普通の会話しかしていない。秋月さんは何も言わず中島に微笑みかける。中島は「うぅ……」とたじろいだ。中島は無法者には滅法強いが女性にはとことん弱い、それを差し引いても秋月さんはなかなかやる。
「じゃあ十万円?」
「ん~、もう一声」
秋月さんは中島を見て顔色一つ変えないばかりか値引き交渉までしている。中島は中島で「十万やと右から左やで……」とか言いつつ滅多に無い女性との会話を楽しんでいるようだ。ちなみに『右から左』は損も利益が無いのを表す商売人の表現である。
「大島ちゃん、このお嬢さん手強いぞ」
助けを求めるように何か言ってきたので「しらん」と返してやった。
「じゃあ……
ネットオークションで探せば安いジャイロキャノピーはそれなりに出物がある。ただしキチンとした『整備済み』の車両は驚くほど少ないと聞く。一時期のブームは過ぎたとはいえ人気車種なジャイロシリーズは中古車市場で高額取引がされている。しかも二輪車と違って車体が特殊ゆえにオートバイ店では手に負えず間違ったメンテナンスがしてあったり、そもそもノーメンテナンスで売買されているものも多そうだ。
「おじさん、どうです?」
メンテナンス済みでスタッドレスタイヤが付属して十万円、これ以上安くだといくら変態とはいえ気の毒だ。それくらいで勘弁してやってくれと頼んだところで交渉成立。
「ま、楽しんだしエエか」
恐らく中島に利益は無いはず、下手をすれば若干だが損をしているくらいだろう。はっきり言って格安だと思う。ここからは俺の出番、書類にサインをもらって名義変更の準備は終わり。あとは市役所へ行って手続きをすれば引き渡しが出来る。
「じゃあ譲渡証明書にサインと印鑑を」
譲渡証明書を記入する中島に秋月さんが「こっちでも攻めに弱いね」と声をかけた。知り合いかと思ったが中島は「何の事かなぁ?」と言っている。そのそもこいつは素人の女性と知り合う機会のない男だ、彼女が誰かと勘違いしているか奴が忘れているかのどちらかだろう。
秋月さんから代金を受け取った中島は「ほい、名変の手数料」と五千円を俺に渡した。
「では秋月さん、頑張りや」
中島は妙に晴れやかな顔で帰っていった。
このやり取りの数日後、時には荷物を満載し時には犬を乗せて走り回るジャイロキャノピ-を安曇河町で見かけるのだった。
「おっちゃん、あの青い三輪バイクはこの店のお客さん?」
ジャイロシリーズを扱う店はオートバイ取扱店が多い高嶋市でも数少ない。安曇河町ではウチの店くらいだと思う。俺が直したジャイロではないが、ウチのお客さんだと答える。
「配達のバイクってあんな動きで走るんやなぁ……」
「どんな動きや?」
秋月さんの乗るジャイロキャノピーを見た者は口を揃えて言うのだった。『まるで狂おしく身を捩るように車体を傾け、右へ左へとコーナーを走り抜ける』と。
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