二〇二三年 六月末
四月に登録をした天美さんのモンキーは無事に走行距離を刻み続け、通勤だけでなくチョットしたお買い物や気分転換のツーリングで琵琶湖西部を走り走り回っている。王子様タイプの晶さんやスポーツマンタイプの純さんに続く高嶋署三人目の白バイ隊員は少しミステリアスな青年……に見えるが女性である。
「順調に走り続けてるな」
「ですね」
同じ『オートバイ』でも満艦飾の白バイと必要最低限プラスαで出来ているモンキー。天美さんは「軽快さが頼りなくもあり楽しくもある」とご機嫌で乗り回している。
「で? この後はモンキーに乗ってお散歩? それとも買い物?」
「今日はですね、エステに行こうかなって」
高嶋市といえば滋賀県の田舎ランキングで確実に五位以内に入ると言われている。そんな高嶋市だが南北で大きな壁があって、新旭のグランピング施設を境に北側が徐々に衰退するのと対照的に南側は徐々にいろいろな施設が出来始めている。
「なんか広告が入ってた気がするな」
インターネットが普及したとはいえ新聞広告は大切な情報源だ。
「私たち男役は女性から見ても美しくなければいけませんから」
天美さんは人差し指でポリポリと頬をかきながら答えた。
◆ ◆ ◆
去年と違って今年は梅雨というほどジメジメした感じは無い。空梅雨ではあるものの梅雨であることは間違いない。それなりに雨は降るし湿度で空気が重く感じられたりする。雨が降り続けると洗濯物が乾かなかったり雨の中で遊んで泥だらけになった娘を洗ったりするので困る。
「よう、大島ちゃん」
「帰れ」
湿った空気を更に不愉快にする笑顔で変態野郎@中島が現れた。コマンドのカーソルを『にげる』に合わせて逃亡したいが、きっとこいつは回り込んで防ぐだろう。
「いきなり帰れは無いやろ? 部品の注文に来たのに」
もう一年近く前の話、中島は織布関係の会社を辞めて旅に出た。安曇河町に戻ってくるまでどうやって過ごしていたかは知らないし知りたくもないのだが、なんらかの形で収入を得るか貯金を切り崩して過ごしていたのだろうと思う。
「それよりもお前の格好が気になるわ」
俺の中で中島といえば作業着姿かおっさん臭い普段着姿のイメージしかない。そんな男がスーツを着てネクタイを締めている。足元も普段の安全靴ではなくて革靴だ。
「これ? 就活や就活」
後頭部を掻きながら「似合わんのは自覚してるけど笑わんといてな」という中島だったが、本人が言うほど違和感は無い。黙ってさえいればどこかの係長クラスに見えないこともない。
「さっき面接を受けてきてな、どうなるかはわからんけど」
四十代後半で再就職となればかなり厳しい状況に追い込まれる。個人的には再就職で正社員として採用されやすいのは四十代前半……いや、三十代だろうと思う。中島はとっくに四十代半ば、笑顔の裏側にあるのは採用合否に対する不安だろう。
「内定が出るまで無駄遣いは辞めといたほうが良いと思うけど、今度は何の仕事や?」
中島は真剣な顔になって「同業他社や」と答えた。今まで転職するたびに違う職種を選んでいた男にしては何とも珍しい答えだ。
「同業? そもそも仕事が嫌になって辞めたんと違うんか?」
「大島ちゃん、それは違うぞ」
俺は繊維業界の事は良く知らんのだが、中島曰く「仕事自体は嫌いになっていない」らしい。前職場で中島がやっていたのは織機を管理だか監視する仕事。
「工業製品に使われる布はクソ安い糸で織るから糸が切れまくる。切れた糸は繋がんと織れんから必死になって繋ぐ、スピードの無い俺には向いてない仕事やな」
中島の前職場はトラックの幌やテント地に使われる単価の安い布を織っていた会社だったとか。気が付けば工場内に一人取り残されていた中島はスピードを要求されていたらしい。水を飲むのに受け持ち場所を離れられず仕事のマニュアルもなく『努力』で仕事を覚えて『根性』で暑さに耐える。完璧なブラック企業、悪しき昭和のブラック企業だ。
「機織りってな、織る前に経糸を巻いたり出来た製品を出荷したり。まぁ織機を動かす以外の仕事もあるわけよ」
今回面接を受けた会社は出来た製品を出荷する『出荷係』を募集していたそうだ。どちらかといえばスピードよりにパワーに振ったゴツイ体型の中島には工場内を走り回るより荷物を運ぶ出荷係が似合っていると思う。
「人手不足な業界なのはわかってるからな、前職のノウハウと持ってる免許を生かせそうな所を受けたんや」
中島は「五十近くになったあんたを雇う所なんか無いって言うた社長を見返したる」との気持ちもあり、同業他社でもスピードでなくパワー重視の仕事につこうと決心した。でもって前の会社と一キロも離れておらず家から最も近い会社のめんせつをうけたんだと。
「ふ~ん、お前は免許だけはあるからな。とりあえず仕事の話は置いといて、何の部品を注文するんや? カブか? それともシャリーか?」
中島はニヤリとして「ジャイロキャノピー、しかも四ストや」と答えた。
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