二〇二三年 七月某日 その一

 六月半ばから七月半ばくらいが滋賀県高嶋市では梅雨の時期、レインコートを着れば汗だくになり着なければずぶ濡れになる。オートバイに乗っているだけで蒸し暑さで体力を消耗する、ライダーにとって嫌な季節の一つだ。


「ふぅ、ジメジメして嫌な季節ね」

「れいちゃんも雨きら~い」


 帰って来て早々にTシャツとホットパンツに着替えたリツコさんはレイと話をしながら缶ビールを開けた。


「かわっ!」

「レイちゃん、ママのおつまみを取っちゃいやん」


 レイは帰ってきたママよりも焼き鳥(皮・たれ)が気になって仕方がない様子。


「毎回思うけど、レイの好みは渋いな」


 リツコさんは「誰に似たのかしら?」と首をかしげるが、見た目も食べ物の好みもリツコさんに間違いないだろう。俺の遺伝子はどこへ行ったのだろう?


「雨降りが多いけど、リツコさんはジャイロキャノピーとか気になる?」


 雨が降ると『バイクに屋根があれば』と思うライダーは多いだろう。雨以外でも強烈な日差しを浴びた時も屋根が欲しいと思うだろう。一番の解決法は屋根が有る自動車に乗ることだ。


「ジャイロキャノピー? 私は別に」


 常連であり亡き義父の遊び仲間でもあった中島がジャイロキャノピーを手に入れた。常日頃から夏の日差しや雨を嫌がるリツコさんに屋根付き三輪車の話題を振ったが反応は薄い。


「ひどい雨なら中さんに送ってもらうもん」


 妊娠中に職場まで車で送って以来、リツコさんは大雨だと「送って」と甘えてくる。車移動の楽さを覚えたのだ。残念ながら壊滅的に四輪の運転が下手なので自分で運転することはなく俺が送る羽目になるのだが。


「それもそうか、リツコさんには屋根付きスクーターは要らんよな」

「うん、屋根があると重そうだし」


 原付一種の中で最も重い部類に入るのがホンダの三輪スクーターのジャイロシリーズだ。屋根の無い『X』と屋根付きの『キャノピー』が現在も生産中、『X』は我が家にもあって店の代車やリツコさんのお買い物の足として活躍中。過去には荷役に特化した『UP』もあった。配達に便利そうだと近所の酒屋が買ったは良いが、配達で悪路を走ったら酒瓶が割れてしまったとかなんとか。ウチのお客さんでキャノピーは居ないが屋根がある分重いだろうと思う。


「Xでも軽いとは言えんけど、屋根が無いだけまだ軽いか」

「タイヤが三つもあるんだもん、でもね」


 クルマに関してはペーパードライバーなリツコさん曰く「原付免許しか持っていないなら非常に便利な乗り物だと思う」らしい。完璧ではなさそうだがある程度の雨風を防ぐ屋根と風防は原付免許しか持っていない交通弱者の味方だと。


「通学に使うにはチョッチつらいかも」


 我が家のある高嶋市安曇河町から魑魅魍魎が蠢く高嶋市今都町までは約十㎞の道のりだ。ツーリングのメッカでもある琵琶湖沿いの道路はついついアクセルをワイドオープンしがちな魅惑の道路。制限速度が時速三十キロメートルの原付一種で走ればついついスピードオーバーで走ってしまう。


 我慢しろといったところで高校生たちはスピードを出し過ぎてしまう。リツコさんが言う「チョッチつらい」なのは車体ではなく乗り手がスピードの魅惑を我慢できるか否かだ。


「普通のスクーターとかカブやったらボアアップで何とかなるけんど、ジャイロは排気量アップと登録の関係が曖昧からな」


 排気量アップしたジャイロは登録が面倒くさい。ジャイロシリーズは一九八〇年代初めから改良をしながら作られ続けているロングセラーモデルだ。同じように見える車体は現行モデルだとデビュー時よりホイールベースが伸びてトレッドが広がっている。


「高嶋高校は側車付二輪やミニカーで通学は不可よ……って、レイちゃんママのネギマを全部食べないで」

「にゃふ?」


 リツコさんとレイが焼き鳥を奪い合っているうちに少し説明をしよう。


 俺が少し調べた限りではあるが、初期のトレッド(後輪の間隔)が狭いモデルならボアアップして原付二種登録が出来るらしい。ただ、これは自治体により曖昧なところがあって原付二種が『五〇㏄以上九〇㏄未満の二輪車』とされているので三輪のジャイロシリーズは二種登録を断られる場合があるとか。


 ホンダ以外からも三輪スクーターが発売されている。原付二種として登録できているモデルもあるのだ、ジャイロだからダメでは理屈が通らない。


 トレッドが広がり全長が伸びた二ストロークエンジン搭載車の中期から現在販売中の四ストロークエンジン車は後輪のトレッドが広がったので排気量アップしたところで二種登録は出来ない。原付一種の呪縛から逃れるには排気量四九㏄のままでミニカー登録するか排気量アップして側車付二輪車として登録するかの二択になる。


 高嶋高校の生徒が通学で使うなら部品供給が絶望的な初期型をボアアップして二種登録するか。原付一種のままでおとなしく乗るかの二択。もっとも中古車市場でも高価安定中のジャイロを選ぶ高校生は滅多に居ないのだが。


「もうっ! 全部食べられたっ!」


 酒の肴の大半ををレイに食べられてしまったリツコさんは塩を振ったキャベツを肴にビールを飲み続けた。


「中島さんが買ったのは四ストロークモデルでしょ? ボアアップとかって聞かないわね」


 そう、中島が買ったのは排気ガス規制に適合した四ストロークモデルなのだ。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る