160万PV達成記念・もう少し未来のお話

160万PV達成記念・もう少し未来のお話・花嫁の母

 ――――思い出して……リツコさん、思い出して……。


「中さん……私……私……にゃあ……夢か」


 ここは滋賀県新高嶋市、高嶋町にある大島家です。


「にゃー……あ痛たたたっ!」


 リツコです。最近伸びをすると足がつるお年頃になりました。大島家っていうかあたるさんに嫁いで二十数年、すっかり歳を取りました。


「リツコさんが騒いでるけど、見てきた方がイイのかな?」

「伸びをして足がつったんやろ、ほっとき」


 キッチンで話しているのは娘のレイと晶ちゃんの息子の楓君です。この度二人は結婚することになりました。しかもレイのお腹には新しい命が宿っています。


「もう、チョッチくらい甘やかしてくれてもいいのに」


 もう数か月もすれば私(お祖母ちゃんと言われたくないんだけど)と晶ちゃん(イケメン過ぎる気がするよ)はお祖母ちゃんに、薫ちゃんは(可愛すぎるんじゃない?)お祖父ちゃんになります。


「ふわぁああ……にゃふ……」


 キッチンからコーヒーと焼いたパンの良い匂いがします。楓君が我が家に下宿を始めてから、我が家の朝食はご飯よりパンが出てくるようになりました。楓君が職場兼修行先のパン屋さん『パン・ゴール』で焼いてきてくれるからです。


「リツコさん、寝不足ですか? 眠気覚ましのコーヒーをどうぞ」

「ありがと、最近チョッチね」


 義理の息子になる楓君がコーヒーを出してくれました。晶ちゃんと薫ちゃんの息子だけあってインスタントコーヒーでもドリップコーヒー並みの美味しさに感じるイケメン具合です。晶ちゃんの美貌と薫ちゃんの愛らしさを兼ね備えています。男装の麗人晶ちゃんの男性バージョン、我が家のアホ娘にはもったいない優良物件です。


「八時間も寝て寝不足って嘘や、メチャクチャ寝言言うてたで」

「寝言ねぇ……最近妙な夢を見るのよ」


 結婚が決まって以来、この数週間はアッと言う間でした。金ちゃん億田金一郎は式場の手配をしてくれました。新高嶋市商工会の顔役である金ちゃんでも結婚式場を抑えるのは少し大変だったみたいです。金ちゃんは「頑張ったけど二か月先やで」って言ってました。


 明日香さん億田夫人は招待状の発送や細かな打ち合わせを担当してくれました。お腹が大きくなる前にとスタジオで写真を撮ったりドレスの手配をしたり。お世話になりっぱなしです。


「お母さんは寝過ぎやねん」


 そして新郎と新婦は披露宴の内容を詰めたり産婦人科に行ったりでバタバタな毎日。そうそう、仲人は中さんから店を引き継いだ速人君と理恵ちゃん本田夫妻にお願いしました。速人君は「やっぱりこの店で売るオートバイは人と人を繋ぐんですかねぇ……」と言ってました。


「変な夢ですか? どんな?」

「ず~っと『ニャフ? ニャフ~!』って大騒ぎしてたで」


 人を猫みたいに言わないで……と言いたいところだけど、夢の中で亡き夫に猫扱いされてるんだから仕方がありません。生前の夫は私を猫扱いしていました。私ってそんなに猫っぽいかな?


「中さんよ、夢に中さんが出てきたのよ」

「お父さん? ほな仕方がない」

「仕方がないですね」


 夫は若い頃の姿で夢の中に出てきては「思い出して」とか「忘れないで」と猫になった私をワシワシと撫でくり回しながら言うのです。夫の事を忘れた事は有りません。思い出だって出会った頃から初めての夜、そして燃え上がった夜(中さんは燃え尽きてた)もキッチリと覚えています。もちろん最期の時まで……。


「お父さんがね、『忘れないで』とか『思い出して』って言うの」

「そうですか、ところでリツコさん。今日は会議があるとか言ってませんでしたっけ?」


 防災無線から定時放送が流れ始めました。時刻は午前七時十五分、ゆったりご飯を食べているどころでゃありません。


「にゃっ! 忘れてたっ!」

「やっぱり、お父さんが心配するはずやで」


 バタバタと朝食や身支度を済ませて出発です。近頃物忘れが多くなった気がします。夫は老いた私を心配して夢に出てくるのでしょうか?


「じゃあ、行ってきます! 行ってらっしゃいのチュー!」

「慌てるな、それは私のや」

「リツコさん、お弁当お弁当!」


 お弁当を忘れたら大ピンチ、腹が減っては戦は出来ません。保護者からの理不尽なクレームや無茶な要望、保健室に来る多感で繊細な生徒。私の職場は戦場です。


「最近忘れてばかり、中さんが心配して夢に出てくるのかなぁ……」


 もっと大切なことを忘れているかもしれません。


◆        ◆        ◆


 ヴォロロロロ……


 忘れ事をしたり体力が落ちたり、衰える私を乗せたリトルカブは今日も国道一六一バイパスを四速で巡航中。


「あなたは今日も元気いっぱい、なのに私は歳をとるばかり。寂しいな……」


 あたるさんが部品をチョイスして組み立ててくれたリトルカブは今日も元気に湖西路を走ります。高嶋高校が今都町に有った頃は結構な距離を走っていたけれど、校舎が真旭町に移転して少し走行距離が減りました。通勤時間が短くなったのは良いけど中さんが組み立ててくれたカブに乗る時間が減ったのは少し寂しい気がします。


 高嶋たかしま町から安曇河あどがわ町を抜けて真旭しんあさひ町へ。バイパス道路を降りてエネルギーステーション六城の前に在るのが私の職場『滋賀県立高嶋高等学校』です。


「やれやれ、どっこいしょっと」


 年々センタースタンドを立てるのが辛くなります。五十代前半で夫がこの世を去り、三年後に楓君が我が家へ下宿。更に二年が過ぎて娘と楓君が結婚、もう数か月で孫が産まれます。定年までカウントダウン状態、定年後は孫のお守りをして過ごすことでしょう。


「中さんが生きていれば完璧な老後なのに……上手くいかないなぁ」


―――リツコさん、思い出して。


 中さんは私に何を思い出してほしいのかしら? 


 モヤモヤした気持ちで職員昇降口へ向かうのでした。

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