2022年 9月

ストーカー⑪ 金一郎

 黒いスーツの男二人に両腕を捕まれた野崎は琵琶湖の畔にある倉庫へ連れていかれました。倉庫には窓は無く、空調も無いので高温多湿です。エアコンの効いた部屋で過ごしていた野崎は汗が止まりません。


「わたくしをこんなところへ連れてきてどうするつもりですかっ! こんな蒸し暑いところへ連れてくるなんて失礼にも程がありますよっ!」


 激高する野崎の元に数人の男が現れました。一人はストライプのスーツを着た金一郎、残り数名も仕立ての良いスーツ姿です。全員が明らかに堅気の職業で無いのは一目瞭然です。


「兄さんたち、この男で合うてまっか?」


 男たちは野崎の顔をしげしげと眺めました。


「野崎はん、お久しぶりでんなぁ」

「こんな田舎へ逃げ込んで、探すのに苦労したでぇ」

「借りた金は返すのが筋っちゅうもんやろう?」


 男たちの正体は無許可で金銭を貸し出す金融関係の方々です。俗にいう『闇金』です。野崎は大阪時代に闇金に借金をしていました。一応は『返済義務が無効』になるまで逃げたつもりですが、闇金に法律や常識が通じる訳がありません。


「ところがな、こちらの兄さんが立て替えてくれはってん」

「良かったのう野崎はん」

「そんなわけで儂らは帰ります。あとは煮るなり焼くなりお好きに」


 闇金業者が帰ったので野崎はホッとしました。でも本当の恐怖はここからです。


「さて野崎はん、儂は安曇河で金貸しをしとる億田ちゅうもんです」

「あああああああんんんんたがおくおくおく……『鬼の億田』かっ?!」


 高嶋市で『安曇河で金貸しをしている億田』はそれなりに知られています。


「あちこちの闇金からつまんでは逃げて、地元に戻って親に寄生して。昔は裕福な家やったみたいやけど、全部アンタが喰い潰したんやな。親不孝やで、『孝行したいときに親は無し』っていうのに困ったお人やでぇ」


 時には仏、時には鬼。閻魔さまからでも銭を取り立てると言われる男が目の前にい居ます。優しく話しかけていた金一郎の顔が真剣な表情に変わりました。


「あんたの借金はこの億田金一郎が

「なっ!」


 精神状態が異常な野崎でも『肩代わり』の意味はわかりました。『出資』ではなく『肩代わり』ですから後で返さなければいけません。


「野崎はん、親父さんは認知症でお袋さんは精神的な病やったな。介護が大変で働きに出られへん……そんなアンタの悩みと借金を一気に解決や」


 二十代前半で銀行を退職した野崎は現在に至るまで何かと理由を付けて働きに出ず現在に至ります。働かず仕事を探そうともしない者を指す『ニート』の言葉が生まれる前からの生粋のニートです。


「とりあえずご両親は施設に入所させた、支払い手続きもしてある。アンタの就職先も手配したで、年収一千万の高収入や。よかったのぅ、やっと親孝行が出来るでぇ」


 野崎は「年収一千万ならわたくしにふさわしい職業ですっ!」と大喜びしました。


「野崎はん、アンタにはベーリング海で蟹漁船に乗ってもらいます」


 就職先を告げられた野崎は発狂しそうになりました。ベーリング海の蟹漁船と言えばハードな肉体労働で命の危険があるので有名な仕事です。そして保険金案件でも有名です。


「言うとくけど命は取らん。その代わりに腎臓を一つと肝臓の一部をもらう。それでも足りん分は給料から天引きや」


 ちなみに野崎に与えられた仕事は船内での雑用です。雑用だけでなく船員のストレス発散のサンドバッグや性欲処理の役目も兼ねています。内臓を抜かれた上に奴隷代わりとなり屈強な男たちに殴られ、更に性欲のはけ口にされるのです。


「文句があるんやったら一括でもエエで、その代りアンタは売られることになる。俗にいう人身売買やな」

「わたくしを売るですと!」


 野崎は「ふざけるなぁっ!」と叫びながら金一郎に殴りかかりました。百戦錬磨の金一郎が鈍りに鈍り切った五十代の拳を受ける訳がありません。ヒョイと避けて強烈なカウンターを入れました。


「そんな元気があるんやったら大丈夫、これから十年で怠けてた三十年分も含めて働かせたる」


 野崎に『はい』以外の選択肢は有りません。ですが答えたくない。緊張で喉が渇いた野崎は傍らにあったペットボトルの水を飲み干しました。


「わたくしは戦国武将野崎官兵衛の末裔ですっ! 誇り高き野崎家の末裔にこんな仕打ちは許されませんよっ! わたくしはっ……わたくしは……」


 次第に意識が遠くなり、野崎はベッドで目を覚ましました。すでに片側の腎臓と肝臓の一部は抜かれていました。


「わたくしは……アントプレナーなのです。起業を提案する偉い立場なのです。肉体労働などするレベルの人間とは格が違うのです……わたくしは戦国武将野崎官兵衛の末裔なのです……」


 建物を抜け出して遠くへ逃げようとしましたが体が怠くて動けません。動かない体を引きずるように建物を抜け出した途端、「それだけ元気やったらすぐに働けるなぁ」と金一郎の手下に強制退院させられてしまいました。


「野崎はん、逃げられたら困るし一括で払ってもらうわ」

「嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だっ!」


 内臓を抜かれた野崎が荒れ狂う海原で逃げ場の無い漁船で奴隷扱いされた上に屈町な男のオモチャにされるのは間違いありません。生きて帰ってきたところで廃人になっているのは間違いないでしょう。


「そうそう野崎はん、あんたは射○に拘ってたやろ? BのLやったっけ? 上とか下とかあるらしいやん。挿れられる側になったら新たな地平線が見えるかもしれんで」


 野崎は屈強な船員に引きずられて連れていかれました。ドナドナです。


「野崎は~ん! お元気で~!」


 この日を最後に、高嶋市内で野崎日出夫の姿を見た者は誰も居ないそうです。


◆        ◆        ◆


 ストーカー騒動にバイク盗難。二〇二二年の八月は大きな面倒事が有った様に思う。リツコさんに化けた薫君がストーカーをボコボコにしたと聞いた時は本気で心配した。傷害罪で訴えられるのではないかと思ったが「揉み消す。薫さんのためなら全身全霊をかけて揉み消す」と晶さんが言っていたからか何の問題にもならなかった。


「えっと、ストーカーの件で……兄貴、キレてます?」

「キレてないですよ♪……って言うて欲しいんやろ?」


 すべてが終わって一息ついていたら金一郎が来た。出張帰りに土産を届けに来てくれたのは良いのだが、何もかも終わってから来るとはどういう了見だ。


「困った時に限ってお前は出張で帰ってこんし、リツコさんは怯えるし。警察にはバイクの引き取りで呼び出されたし、今回はまいったで」

「そやかてあたる兄ちゃん、儂かて社長として仕事が有るんやから」


 一番活躍してくれたのは我が家へ上がり込もうとするストーカーを退治してくれた高畑夫妻だろう。木の衣紋掛けとお玉でストーカーを追い払ったのだからお達者としか言いようがない。


「安浦さんと亀山さんが言うてたけど、保釈金を払った奴が居るみたいやな」

「へー、あんないかれたストーカーを野放しにしてエエんでっか?」


 その後はよく知らないが、野崎のFaceboxには『申し訳ございませんでした』と謝罪文が投稿がされていた。


「刑務所へぶち込むくらいしてもらわんと」

「難しいところですな」


 安浦さんは「もやもやした気持ちですが、事件解決です」と言っていた。詳しい事は守秘義務があって話せないらしい。公務員は大変だ。


「ウチのお客さんのシャリーを盗んだんが野崎やったらしいわ」

「へー、ストーカーだけや無うて人の物まで盗むとは最悪でんな」


 保釈金を払ったのは誰だろう? どう考えても野崎にスポンサーがいると思えない。もしかすると……いや、考えすぎか。


「とにかく、全て解決でめでたしめでたし」

「お前が言うな」


 金一郎は「すんまへん兄貴」と頭を掻いて謝るのだった。

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